穏やかな日々にさようなら
これからの未来を創るために、ボクらは立ち向かおうと思います





皇帝バルバロッサが統治する帝都、グレッグミンスター。
整備された町並みは、さすが皇帝自ら直接統制されているだけあって美しく、通りは多くの人々で賑わいと活気をみせていた。


「やったなユンファ! これでお前も近衛小隊の仲間入りってわけだ」


グレッグミンスターの一角。一際大きく建てられた屋敷の二階で、癖のある髪をした少年テッドはニッと笑って拳を突き出した。
帝国五将軍のひとり、テオ・マクドール邸である。
テオの息子ユンファはテッドと同じように笑って、テッドの拳に自分の拳をコツンと合わせた。


「サンキュ、テッド。でもまだ始まったばかり、まだまだこれからさ」
「ま〜たまたそんな謙虚なこと言って。どうせお前のことだからいろんな野心抱えてるんだろ?」
「…バレた?」
「バレバレ」


悪戯がばれた子供のように笑うユンファに、テッドは「俺を誰だと思ってるんだ」と言わんばかりの余裕さ。


「な。一体何を考えてるんだよ」


キラキラと瞳を輝かせながら、テッドが聞いてくる。
相手のほうが年上なのに、こういうとこはどこか幼げだ。
ベッドの縁に腰かけていたユンファはそのまま上体を倒して柔らかいシーツに身を預けた。
他の奴なら心中に留めておくことだが、この親友との間に隠し事はなしだ。
白い天井を見ながら告げる。


「俺はさ、テッド。いつか父さんを越えたいと思ってるんだよ。陛下に認められるよりも、父さんに勝ちたい」
「へえー、そりゃデカい目標だな」


決意の篭った言葉に、テッドはぱちくりと瞬いて、次ににたりと笑う。


「でも手強いぞテオ様は。なんたって『百戦百勝』の異名を持ってるお方だからなあ。ユンに勝てるのかねえ?」


にたにたと笑いながら聞いてくる言葉に、嫌味な奴、とユンファは露骨に眉を顰めた。
拗ねたように呻る。


「そんなこと息子である俺が一番よく知っている。俺が父さんを一番強い人間だと思うからこそ、勝ちたいんじゃないか」


誇れる父だからこそ勝ちたいのだと、ユンファを強く訴えるがテッドはただ陽気に笑うだけだ。


「若くて青くて、いやあ青春だねえ」
「…テッド、バカにしてるのか……?」


呆れたように言って、ユンファはもう何も言う気にもなれずごろんと寝返りをうった。
不貞腐れた友をにやにやと見ながら、宥めるような口調でテッドは諭す。


「おい拗ねるなって、親友。別に無理だなんて言ってないだろう?」
「あんなに虚仮にしておいてよく言うぜ」
「悪かった、悪かったよユンファ。ちょっとからかいすぎちまった。でも俺、お前の夢応援してるんだぜ?」
「嘘つけ」


顔を背けたまま答えるユンファに、テッドは胸を張った。


「本当だって! なーに、心配するなよ。確かにテオ様を越えるのは大変なことだけどさ、不可能ってわけじゃないさ。
 時間はかかるだろうけど、俺もいるんだから大船に乗った気でいろよ。
 このテッド様が協力してやるぜ、親友。ふたりでその夢、叶えようや」
「…………」


自信満々に拳で胸を叩いて豪語するテッドに、ユンファは呆気を取られて上体を少し起こした。
ついさっきまでからかっていたのに、なんでこう急に手の平を返すのか。
その潔さに呆れ果てるが、けれどユンファはこの少年の引き際のよさが気に入っていた。
――…それに、どうしてテッドにそう言われると、こうも安心するのだろか?
心に温かいものを感じながら、なんだか可笑しくてユンファとテッドはふたりして顔を合わせて笑いあった。
決め事に目と目を合わせて誓い合い、互いの拳を軽く合わせる。


「じゃあ頼りにしてるぜ、親友」
「ああ、任せとけ」


にやりと笑っていつも通りの仲、心地良い空気。
と、ふいにユンファがベッドから立ち上がり、縁に座ったテッドに向かって不敵に笑った。


「でもなー。テッド、猪突猛進なとこがあるから見境なしに突っ走って、俺の足は引っ張らないでくれよ」
「……おいおいユンファくん、それはさっきの仕返しのつもりか?」


ピクリと眉をつりあがらせて、上等だとばかりにテッドも立ち上がる。


「ユンこそ喧嘩でまだ俺に一度も勝てたことないのに、よく言うぜ」
「それはテッドだっておんなじことだろ? 昔は負けたけど、今は互角だ」
「なんだと? やるか!」


そう叫んで、テッドはユンファへ取っ組みかかった。
ユンファもすぐに応戦して、ふたりして床に転がりながらじゃれあうように暴れあう。
広い家にギャアギャアと騒ぎ声が響いて、下の階で料理を作っていたグレミオが止めに来るまで、その無邪気なじゃれあいは続いた。





 †・†・†・†・†・†・†・†・†・† ・†・†・†






世界の終焉を、ルックは知っていた。
いつから見始めたのかは定かではない。
けれど気付けばそれは、夢というカタチでルックの前に現れていたのだ。


夢の中の世界はすべてが灰色一色に染め上げられ、音や色、形さえも失った世界だった。
無色無音の、静かすぎる究極の世界…。
はじめはそれに、ルックはなんの感慨も持たなかった。
というより、実感がわかなかったのだ。
石造りの牢屋には鮮やかな色なんてなかったし、音と言えば顔も覚えていない番人や研究員たちの耳障りな声だけ。
ずっとずっと暗い牢屋の中へ閉じ込められている日々は、夢も現実もさして変わりなどしなかった。
狭い箱に閉じ込められて、世界なんて知らなかった。




――けれどそれも、ある日を境に唐突に変化を遂げることとなった。




まずはじめに見たのは晴れ渡る青空に痛いほどの光。
青い空はどこまでも果てしなく澄み渡っていて陽光は目蓋越しにも感じるほどさんさんと降り注ぎ、知ったのは空の広さと太陽の大きさ。
青々と葉を茂らせた大木は辺りに生い茂り、地面には鮮やかな花が咲き誇っていて吹き抜ける風の匂いさえ違う。
優しく手を引いてくれる人にあの光る水はなんなのかと聞くと、暗い牢屋から連れ出してくれた人はそれは海だと教えてくれた。
はじめて見る色、はじめて聞く音、はじめて知る形。
なんて世界は綺麗なのだろうか。
ルックは感動した。
目に映るすべてが美しく、またそれが世界だと知った瞬間だった。


…しかしいろいろ覚えていくうち、いまだに見る灰色の夢がとてつもなく恐ろしいものなのだと、ルックは理解せざる終えなかった。


灰色に呑まれた世界に知った美しさなどない。
夢はどこまで行ってもモノクロームに包まれている。
歳月が過ぎ、異様な夢を調べ、やがてその意味が世界のなれの果てと知った瞬間。
……その時の、絶望さをなんと言えばいいのだろうか。






フワっと風が吹いて薄茶の髪を揺らす。
塔の壁を四角形に切り抜いただけの窓前に立ち、ルックは外を眺めていた。
どこまでも続く青い空には、飛び去っていく竜の姿が小さく見える。
その背には先ほど、星見の結果を取りに来た人間たちが乗っているはずだ。
それをつまらなそうに見ながら、ルックはポツリと呟いた。


「……あれが、運命を変える存在か…」


師は、彼をそう呼んでいた。


『ルック…。あの少年が、運命を変える存在になります』
『へえ…。僕にはそんな風には見えませんでしたけどね』
『今はまだ機が熟していないのですよ。時が来れば、貴方も手を貸すことになるでしょう』


今は仮定でも、いずれは…。


「運命を変える……ね。人間の手であの未来が変えれるわけがないじゃないか」


嘲けるように忌々しく言いながら、ルックは冷めた目で飛び去る竜を見た。
―己の知る未来は灰色の世界のみ。それは水の流れを変えられないように、何事にも揺るがない絶対的なもの。
それを、ちっぽけな人間の手で変えれるというのか。


「……馬鹿馬鹿しい」


―――運命なんて変えれるわけがないと、ルックは信じていた。





 †・†・†・†・†・†・†・†・†・† ・†・†・†






いつもの日常の終わりなんて、本当に唐突だった。


クワバの城塞の南に位置する小さな村セイカ。
月が出て村が寝静まった夜、ユンファはひとり水が打ち寄せる岸辺に佇んでいた。
水面を月光が反射して光り、ぱしゃぱしゃと水が打ち寄せる音が小さく響く。
こんなに遠くまで来たのは初めてだと、ふとユンファは思った。
帝都から離れることはそんなに多くはなかったし、セイカに来たのだってこれが初めてだ。


グレッグミンスターは夜だって眠らない町だった。
マリーの宿からは喧騒が聞こえ、夜中に軍が出兵するのも見たことがある。
グレミオには早く寝るようにいつも言われていたけれど、ベッドにこもってテッドと夜更けまで話し込んだことは、いったい何回あっただろうか。
滅多に家に戻らない父が帰ってきた時は、グレミオだって遅くまで起きていても文句も言わなかった。


育ちの町、グレッグミンスター。夜になっても町から灯りが消えることはなかったのに――けれどここは月明かりだけ。
帝都から追われてそんなに経ってないのに、それはひどく懐かしくかんじた。




終わりは突然。


いつもの延長線だった明日は帝国に狙われることで途切れ、それからはまるで坂を転げ落ちるようだった。
グレッグミンスターからは抜け出し、テッドとは別れ、帝国に反旗を翻すレジスタンスと出会い、そしてそのリーダーの死…。
一度に経験できないようなことが、一気に過ぎ去った。
半ばユンファは今何故自分がここにいるのかも正確には理解できていないくらい、それは濁流のように速い速い流れだった。


その流れの中で言われた言葉を、ユンファは思い出していた。


『覚えていて。自分の目で見て、自分の頭で考え、自分の心で決めること、それが大事であることを…』
『あの娘は自分の信じるもののために、その身を常に戦いの中においていました』
「―――――己の、信じるものか…」
「ぼっちゃん…?」


宿にいたはずの従者が歩み寄り、ユンファは振り返ることなくその声を聞いた。
グレミオはふっと微笑んで気遣いをみせる。


「ぼっちゃん…そろそろ部屋に戻らないと風邪をひきますよ?」
「グレミオ」
「はい?」


振り返ることなく問われる言葉に、グレミオは首を傾げた。


「どうかしましたか?」
「…グレミオ、俺は明日マッシュに返事を返すつもりだ。
 もう後戻りはできない。お前はどうする?」
「? …どうするって…グレミオはずっとぼっちゃんの側に居ますよ。それがグレミオの役目です」


きょとんと瞬いて当然のように告げるグレミオに、ユンファは首を振った。


「違う、そうじゃない。父上から受けた任を解くと言っているんだグレミオ。
 帝都にはもう戻れないだろう。
 だからお前もクレオも、自由に生きていいんだ」
「…………ぼっちゃん…」


ユンファの声は真剣だった。
グレミオはそれ以上何も言わない少年の背を見つめた。
言葉を反芻してちゃんと意味を量り取り、暫しの沈黙の後、困ったようにゆるく息を吐いた。


「確かに、もう帝国に戻れないのならテオ様の言いつけを守る必要もありませんね」
「…………」
「だからこう言い換えましょうか。
 今からグレミオはテオ様の命ではなく、グレミオ自身の意志でぼっちゃんと共にいます。
 ぼっちゃんをグレミオがお守りしたいから、グレミオはぼっちゃんに着いて行きます。
 安心してください。きっとクレオさんもそう言うはずですよ」
「グレミオ、」


思いがけない台詞にユンファが振り返ると、そこには満面の笑みを湛えたグレミオの姿があった。
…昔からグレミオがよくする、信じてくださいという見慣れた笑みだった。


言いようのない嬉しさが胸を占めて、ユンファは泣きそうに顔を歪ませて笑った。


「…………ありがとう、グレミオ」





朝の早い時間に、ユンファたちはマッシュの家を訪れていた。
昨日はいた子供たちも今日は話が話だけにマッシュが先に来ないよう言い伝えていたのか、その姿はない。
向かい合わせにマッシュと立ち合ったかたちで、ユンファはその口を開いた。


「昨日の答えを、返しに来ました」
「ええ、聞きましょう」
「一晩悩んで決めました。
 俺は、解放軍を引き受けます」
「…悩みはありませんか? 父親が仕える帝国と対立することになるのですよ」


念を押してくるマッシュの言葉に、さっとユンファの気がかりが過ぎった。


――もう帰れない町、行方の分からない親友、……そして将軍としての父―…。


覚悟は決めたのだ。
それらを振り切るようにゆっくりと一瞬きをした後、ユンファはしっかりと己の思いを口にした。


「グレッグミンスターを出て、己の知らない世界と出会いました。
 私欲に走る官僚、賊の放任、武力や金に溺れた国兵、そして人々がどれほど国に愛想を尽かし、解放軍に希望を見出しているか。
 オデッサさんに言われたように、自分の目で見て、自分の頭で考えて、自分の心で決めた答えです。
 最早改善ができないほど帝国は腐敗している。
 あなたは昨日、私に人を率いる器があると仰った。
 そしてオデッサさんが『力を持っているのにそれを使わないのは臆病だ』、とも言ったと。
 私に力があるのなら、私はそれを信じる道へと使いたい。だから――…」


そこでいったん言葉を区切り、ユンファは揺るぎのない言葉を口にする。


「だから、この決意に後悔も未練もありません」
「…………………」


強い言葉と思いが、しばらくその場の空気を飲み込んだ。
一区切りした後、マッシュは頷き返す。


「分かりました。たった今から私は解放軍の軍師、そしてあなたは、解放軍の軍主です」





 †・†・†・†・†・†・†・†・†・† ・†・†・†






「お呼びになりましたか、レックナート様」


カツカツと石造りの階段を上ったルックは佇む師に向かってそう呼びかけた。
盲目の星見師はその気配をしっかりと読み取り、ゆっくりとルックの方へ向き直る。


「ルック。星が集い始めました。私もあなたも、そろそろ出向く頃合です」
「どうやら事はしっかりと運んでるみたいですね。まったく、運命様様ってわけだ」
「ルック、」


咎めるような師の言葉に、ルックはただ小さく肩を竦めた。
レックナートはゆるく息を吐き出し、魔力を紡ぎだして何もない場所へ大きな石版を現出させた。
初めて見るそれを、ルックは不思議そうに見る。


「レックナート様、これはなんです?」
「これは約束の石版と言って、これに星を宿した者の名が綴られていきます。
 あなたは天魁星に力を貸す他にもうひとつ、この石版の管理もしてもらうことになります」
「星の集いを表す…か」


呟いて、ルックは皮肉っぽく言った。


「ってことは運命に踊らされた人間の名前が載るってことですね」
「ルック、そういう言い方はなりません」


レックナートは先ほどよりも強く咎めた。
しかしルックは悪びれることなく、逆に冷めた目で師に問う。


「レックナート様。本当に人間の力で運命が変えられると思っていらっしゃるのですか」
「…人の力は強いものです。ひとりひとりは小さくても、それが集まれば巨大な力を生み出します」
「僕にはそうは思えませんけどね」
「………ルック」


どこまでも受け入れようとしない子を、レックナートは悲しく思った。
今は身のうちの闇が深すぎる。
これ以上何を言ってもこの子には伝わらないのだろうと、レックナートは背を向けた。


「――ルック、多くの人と関わってきなさい。そうすればあなたも、人の持つ力の強さを知るはずです」





「運命、灰色、人の持つ力――…」


塔の天辺へと転移したルックは、忌々しい言葉の羅列を並べて目を細めた。
遠く南西方向。
そこの古城に星が集まり出したらしく、風たちが騒ぎあっている。


「なるほどね…闇のにおいがプンプンする」


宿したばかりで制御しきれていない紋章の気配に、ルックはめんどくさそうに息を吐いた。


「こんな奴の下で、レックナート様は何を学べというのか…」


気が乗らない。
けれど渋ってもしょうがないかと、ルックは諦めるしかなかった。
己に星が宿っている以上行かなければならないし、反発はしたものの師の命でもあるのだ。
気を取り直してコツンと杖を打ちつけ、ルックはこれから行くであろう場所へ向かって挑むように言った。


「せっかく行くんだから、楽しませてもらうよ。
 星を率いる者、君が運命にどう立ち向かうのか、見させてもらおうじゃないか」


見ぬ者へ、にやりと口の端を持ち上げてルックは笑う。








闇を託した少年は泥沼の中を歩き出した
一歩一歩が不安定な足場で、歩みが取られ、自由が奪われる
掴むべき光は、この道の向こう
手を伸ばし、抗い続けろ
出会ったのは、眩しい闇と小さな風の子







序 曲
0.はじまりの声





トラン湖に聳え立つ古城に、志を共にする人々が集まっていた。
期待と喜びを一点に注ぎ、前方に立つ少年の言葉をじっと待つ。
同士たちの眼差し。
多くの思いを一心に受け一瞬きした後、ユンファは高らかに宣言する。


「腐敗した帝国を打ち倒すべく、自由の旗の下に我らは集いあった。
 同じ大志を掲げる者たちと共に最後まで戦い抜くことをこの場で誓い、
 これよりこの城を我らが拠点とし、我が軍の名を、解放軍とする――!!」
 

古城に誓いの号令が響く。
解放軍の、はじまりであった。



(2007.06.01)