キミの街に行こう
何よりもあなたが大切にする、あの煌びやかな場所へ
色とりどりの花咲く場所で
そこは記憶にないほどの活気を見せていた。
通りの市場にはこの春先に咲いた色とりどりの花々が飾られている。淡い色合いで華美、風に乗って漂う甘い花の香り。
花市場が開かれるらしい―――そこにかつて衰廃していた都の影は、もうない。幾多もの時が過ぎ去っていた。
賑やかな町並みは久方ぶりに帰ってきた旅人をゆるやかに迎え入れてくれる。
今も尚栄える国は以前と様子をがらりと変えていた。
活気溢れる町並みに繁栄の喜びよりも昔を知る自分たちにとって、郷愁を抱いてしまうのも仕方のないことだろう。
グレッグミンスターの中央通りを外套を纏ったユンファは歩き、ルックも何も言葉を漏らすことなくその後に続いた。
ユンファをここまで連れて来たのはルックだった。ユンファは未だにこのグレッグミンスターに近寄ろうとしないから、自然の風の力を借りて棒の倒れる方向をわざとここまで導いてきたのだ。
えらく遠まわしなやり方だという自覚はある。けれどそうでもしないとユンファはその足を向けない。
ルックにしても、そこまでして来る意味があった。
ユンファは懐かしさを秘めた目で変わった町並みを眺めている。悲愴感はなく、けれどその賑わいを心から喜んでいるというわけでもなく、どこか寂しげな色をのせて辺りの景色を映す。
随分と変わったものだ――――けれど。
ふと飛ぶ鳥の影が頭上を翳し、ユンファは上を見上げた。大きな鳥が影を落として飛んでいく。
と、見上げた視線の先、軒を連ねる家々の間から見覚えのある黒の軒先が見えた。
ユンファは目を瞠る。
見間違えることのないものだった。昔の情景が重なる。
まさかと思いつつも、それを視界に捕らえつつユンファの足がだんだん早足となった。
角を曲がり、中央通りを真っ直ぐに進む。
そしてすたすたと歩いて辿り着いた先、それはそこにあった。
陽光を浴びて黒光りする屋根に薄汚れた老壁、けれどまったく変わらない姿で。
マクドール邸、かつて自分が住んでいた家が、変わらずそこに鎮座していた。
「レパントやシーナが代々残して置くように伝えてきたらしいよ」
目を瞠る中、いつの間にか追いついて来ていたルックの言葉を、ユンファは家を見上げたまま聞いた。
「君はもう取り壊されていると思ってたみたいだけどね、本当はまだあったんだよ」
「……そっか…」
静かな声色、彼にしてはどこか気遣いを含ませた声だった。
ユンファはルックに表情を見せないまま答える。
かつて同盟軍に参加していた頃以来の訪れだった。誰もいなくなった後、クレオがひとりで守っていた家。
主の帰りを彼女はずっと待っていた。面影の残る家で、ただひとりの帰りをひとりで。
ずっとこの家を守ってきた彼女は、終わりもここだったのだと聞く。実際に死に目に合う事はなかった。
改めてその家を認めて、申し訳なさが立つ。けれどユンファは帰ることができなかった。……その勇気が、なかったのかもしれない。
もう来ることもないだろうと思っていたから。
だからクレオが亡くなったと聞いた時、この家も同じく消えてしまったのだろうとユンファは諦めていたのだ。戻る予定のない家だから、それはそれで仕方のないことだと。
なのにかつての家は今も堂々とその場所に鎮座していて、国の変わり目をずっと見守っている。
クレオが守り、それをレパントやシーナたちが語り継ぐことでこの家を引き続き守っていてくれたというのか。
「語り屋に教えてもらったよ。トランには代々言い伝えがあるんだって。
『英雄の家は守り通せ、いつ何時でも帰って来れるように永劫残しておくように』…って。
まったく、どれほど人がいいのかわからないね。君はみんなから甘やかされすぎなんだよ」
「……ああ、そうだな。相変わらず世話焼き好きなやつらだ」
ユンファは困ったように笑って顔を歪めると、いつもよりかは覇気の抑えた声色でそう零して古びた外壁にそっと触れた。
手袋越しに感じる、確かにある質感。
まだ、ここにあった。
彼らはなんだかんだ言っていつだって心配性だ。
けれど彼らの思いがなんだかとてもくすぐったかった。純真に嬉しくもある。
壁にコツンと額を預けて、ユンファは駆け巡るそれをしっかりと受け止める。
ルックはそれを静かに見守った。
常にたくさんの人の中心にいた彼。
彼は大きなものに包まれ、多くのものを持っていた。
その中には戦乱と月日の流れによって失ったものもあるかもしれない。
けれど今も尚それは彼が大切にしているこの場所で、確かに息づいている。
右手に取り巻かれた傍らの魂たちは、何か言っているだろうか。
人間の想いの強さはこうも根強く強い。
道端を彩る花々がまるで英雄の帰りを祝うように、華やかに咲き誇っていた。
昔のことだ。
夜中に戻り早朝に旅立つ父に向けて、誰にも内緒にして中々会えないからと窓枠に文字を彫ったことがある。
それを見つけた時、父もこんな気持ちだったのだろうか。
まさかあの時に綴った歪な字に自分が迎えられるとは。
刻まれた字をそっと一文字ずつなぞる。
たったひとこと。
『おかえりなさい』
「…ただいま」