そっと開いた夢のカタチ。
眠らない夜、眠れない月
静かな夜である。
ルックははっと目を覚ました。
一時的の覚醒というよりかは、起きぬけなのに妙に目が冴えていて、飛び起きたというかんじのそれ。
上体を起こして胸元に手を当ててみると、息は上がっていて脈は早く、蒸し暑い夏でもないのに掻いた汗で夜着がぐっしょりと濡れている。
昔から物覚えがあるそれに、ルックは、ああまた夢でも見たのかとゆるりと息を吐いた。
眠りを妨げてくれるとは、なんとも忌まわしい夢でだろうか。
今回は珍しく夢の内容は覚えていないが、どうせ灰色の世界か過去に囚われた記憶に決まっている。
ひんやりとする床に足を下ろして、ルックは寝台から下りた。
裸足に冷たい石の感触が走って、うっすらと残っていた眠気を一気に飛ばす。
嫌な夢を見たあとは、しばらく寝直せないのだ。
窓辺により、気のよろい戸を開けると、ひゅるりと夜の風が入り込んできた。
べったりと汗を掻いた肌には、少し肌寒い風。
ぽっかりと大きな満月が空を漂っていて、今日は闇夜も少しばかり明るい。
いい夜だ。
「…………ん、」
夜風にあたって涼んでいたルックは、くぐもった声を聞いて振り返った。
さっきまでいた寝台、隣に眠っていたユンファが眉を寄せて居心地悪そうにしている。
もともと眠りの深いやつではない。
起こしてしまっただろうかとルックはどきりとしたが、けれど幸いにもユンファが起きてくる気配はなかった。
そのことにルックはほっと胸を撫で下ろす。
解放軍時代は軍主という地位もあって、この男は常に命を狙われ、心から休める時などほとんどなかった。
遠征や数人のパーティーで出かけた時も、誰かが立ち上がる度に目覚めていたやつである。
それからもう何年か経ってしまってはいるが、浅い眠りがもう習慣となってしまったと笑いながら言っていた。
なのにそんな彼が、他人が動いても起きないほど深い眠りについているのか。
ルックは悟らせないようにそっと寝台へ近づいて、ユンファの顔を覗き込んだ。
歳はもう20を越えるのに、真の紋章のおかげで体は少年のまま。寝顔だってあどけない。
普段なら絶対見せない表情だ。
そのことがなんだか可笑しくて、ルックは自然と笑みを零し、もう少し眺めようかとその場に膝をついた。
バンダナを巻いていない黒髪に、すうすうと息つく寝息、それほど日焼けしてない肌や閉じられた瞼。
それらがぜんぶ月明かりでぼんやりと露になる。
ルックは手を伸ばして、何気なくユンファの髪を梳いてみた。
さらさらと細いわけではない髪が、梳く手の間を通り抜けていく。
触ったらさすがに起きるかとルックは思っていたが、予想に反してユンファは起きなかった。
すやすやとただ眠り続けていて、なんの反応も示さない。
いったいどれほど深く眠りについているのか。
手は止めず相も飽きずに髪を梳き続けていると、ふと視線の先にソウルイーターが映った。
包帯に覆われているその下には、赤黒く光る紋章によって、ユンファの大切な人達の魂が捕らわれている。
動かし続けていた手を止めて、ルックはああと思った。
ああ、もしかしたら彼は夢を見ているのかもしれない。
まだ何も失っていないときの、幸せだった頃の夢。
楽しい幻影を見ているから、彼はなかなか目を覚まそうとしないのだ。きっとそうだ。
「……………」
なんだか急に冷えていく己をかんじて、ルックは手を離し寝台の縁へと座り込んだ。
自分は彼を見ているのに、彼は楽しい夢を見ていて。
それは彼が何よりも大切にしている思い出。自分が共有できるものではないもの。
馬鹿らしいと一蹴りして、ルックは膝を抱えて頭を沈めた。
競り上がってくる何かを押しとどめて、なんてことはないことにひどくショックを受けている自分に嫌気がさす。
寂しいなんて気持ちは認めたくなかった。
「………どうした…?」
起きた時特有の掠り声がしたけれど、気配で目覚めていたことを知っていたルックは驚きもしなかったし振り返ることもしなかった。
背を向けて顔を見せようとはせず、口を閉ざし続けるルックを疑問に思いながら、とりあえずユンファは片肘をついて軽く体を起こした。
「どうした…? 何かあったのか…?」
「…別に。ただ月が明るかったから目が冴えただけだよ」
寝ていた時はよろい戸を閉めていたはずなのに。
我ながら矛盾した言い訳には棘が含まれていて、抑えられない感情にルックは悔しそうに眉を顰めた。
言葉の端からルックの感情を読み取ったユンファは、当然機嫌が悪いのだと悟り、手を伸ばしてぐいっとルックの腕を引っ張る。
否応なく振り向かされたルックは、離せとばかりにユンファを睨みつけた。
やたらと機嫌の悪いルックに、ユンファは困り果てる。
「どうしたんだ。夢見でも悪かったのか?」
「なんでもないって言ってるだろ。夢を見たのはあんたじゃないか」
「ゆめ?」
つい口に出してしまった言葉に、ユンファがきょとんと瞬きをいれた。
そして穏やかに微笑むものだから、ルックは言うんじゃなかったと本気で後悔した。
「どんな夢だったか知りたいか?」
「起きないアンタを見てたら分かるよ。さぞかしいい夢だっただろ」
「ご名答。そのとおり」
嬉しそうに笑うユンファに、ルックの気分は急降下だ。
未だ己の腕を掴んでいる手を払いのけて、不機嫌そうにだったらと言う。
「だったら起きなきゃよかったじゃないか。今ならまだ続きを見られるかもしれないよ」
「いや、もう行ってしまったから無理だな」
目元を下げて、ユンファが可笑しそうに笑う。いつもは見ない彼の姿に、ルックは毒気を抜かれて目を引かれた。
いつのまにか伸びてきていた手がゆっくりと髪を梳く。
月明かりが注ぐなかで、ユンファは楽しそうに夢の正体を教えてくれた。
「こまっしゃくれた風使いの夢を見たんだよ」