旅のルール。
とくに目指す場所がない場合、棒を倒して行く方角を決めること。
転移は禁止。歩くことを基本とし、大陸の移動や遠方へは馬や船などの乗り物を利用する。
そしていろんな土地の人達と関わり、いろんな世界を見て、ふたりで旅をすること。


く速さとう速さ



カラカラコン。
青空に向かって一本に伸びていたユンファの棍が、支えを失ってカランと地面へ倒れる。
向いた方角はここより南。
果てしなく草原が広がる向こうである。

「…ちょっと、なんでよりにもよって南になんかなるのさ」
「文句を言ってもしょうがないの。ずっと北と東ばっか進んできたから、ちょうどいい方向転換だろ」
「…………暑いじゃないか…」

小さな声で、ルックが拗ねたように不満を洩らす。
ルックの暑さ嫌いと乗り物嫌いは昔からのこと。だから、ユンファはその文句を重々承知で、諦めろと言った。
今はまだ梅雨入り前の初夏なのに、南というだけでルックは嫌そうだ。
地面の棍とふたり分の荷物を持ち直して、ユンファが諦めろと笑った。

「涼しいうちに南が出て正解だっただろ。ルックなんか前の冬に北ばっかりだして」
「過ぎたことをねちねち煩いよ。僕だってだしたくて北をだしたわけじゃない」
「俺だってだしたくて南をだしたわけじゃないさ」
「………………」
「そゆことで」

不機嫌のメーターを上がらせてくルックに笑いかけて、ユンファは南へ歩きだし、ひとつ息をついてルックもそれに続いた。
草の海。急ぐわけでも走るわけでもなく、まわりの風景を楽しむようにゆったりと進み行く。
目的もない旅である。
旅をして世界をまわり、人と関わり、なんのしがらみもなく、ただ歩く、ふたりだけの。
行き先を棍にまかせた、風のように自由で、闇のようにゆったりと、終わりのない、旅。
ユンファとルックがようやく行きついた、ひろいひろい世界だ。
ふたりで生きることを決めた。


突発的に吹く強い風に、纏った外套をなびかせ、ルックは心地良い風に目を細めた。
風がこんなに優しいものだったなんて、ユンファと旅をするまで気がつかなかったことだ。
ふたりが出会ってからもうずいぶんと時が流れたが、その分だけいろいろあったし、いろんなことと向きあった。
それこそ今まで作り上げてきた自分を凌駕するぐらいの、多くのものと。
世界の色さえも違って見える、たくさんのこと。
憎しみ恨んでばかりだったルックだって、数多くのことを知り、人と関わることで、少しずつ変わっていく己をかんじていた。
縛られていた枷が、ひとつひとつ外れていくのが分かった。
―――そのほとんどが、自分で締め上げていたものだったけれど。
自由になったと、今では本当に思う。
そして手を伸ばしてくれたのは、紛れもなく、隣を歩くこの男。
ルックが愛する人間。


「すいません。ここをまっすぐ行った先に、町か村はありますか?」

途中後ろからゴトゴトとやって来た荷馬車を呼び止めて、ユンファが問いかけた。
目尻の下がった人の良さそうな主人は、旅格好のふたりを見るなり、ああと笑って頷く。

「地図にも載っていない小さな村だがね、綺麗な花が咲くいい村があるよ。一日で辿り着ける場所さ」
「へえ」

他では見ることの出来ない花だという言葉に、ユンファは興味を惹かれたようだ。
どうやら今回の宿の場所は、そこに決まったようである。

「わたしも今からそこに荷物を届けに行くところだ。一日で行けると言っても、少年らの足ではきつかろうて。
 なんなら後ろに乗せてってやるが、どうだ?」
「ありがとうございます。けどゆっくりと歩くので、平気です」
「そうかい。じゃあ気をつけて行くんだよ」

馬に紐で合図を送って、荷馬車の主人は馬を走らす。
ユンファはそれに軽く会釈し、ルックはユンファを半眼で見た。

「猫かぶり」
「そうか? 少年は礼儀正しくってな。普通だよ」

口調をいつものそれに戻し、ユンファはのたまう。
思いっきり二重人格じゃないかとルックは思ったが、そんなことは昔から知っている事実である。
傍若無人そうに見えて、人を意を酌むのが上手く、壊れそうで壊れなかった、芯の強い人間。
もう何度も思い知ったことだ。
ああ、昔は追いかけることに必死だったのに。
ルックは記憶を巡らし、ゆるく微笑んだ。
自分のことに精一杯で、ひたすら走り続けていた昔。
ユンファの光に魅せられてからは追い求めるのに必死だった。
ルックはユンファの強さ欲していたのだ。決して折れないその強さが、羨ましかった。
なのに今はこんなにも穏やかな気持ちで、同じ風景を見ながら一緒に歩いている。
この変化はなんだろうか。

「どうかしたか?」

黙りこくっていたルックの、微妙な表情の違いを読み取って、ユンファが振り向いた。
ルックはいつも通り、別に、と一言返す。
もう追いかける必要はなくなった。これからはユンファの横で、同じように歩いていける。
…そのことが、どれほど嬉しいか。
今はまだ素直に言えないけれど、きっと近いうちに言えるはずだ。
感謝も、謝罪も、好きだというこの気持ちも。
言えるはずである。
だって振り向けばもう、ユンファはすぐ傍にいるのだから。