今どこ
ツカツカツカ。
カツカツカツ。
歩けば同じだけついてくる足音にルックは苛ついた。
それは緩めれば同じようにペースを落とし、引き離そうと速足になれば付かず離れず一定の距離を開けて悠々とついてくる。
ルックは群れることを嫌う。ましてや後ろを歩かれるなんて真っ平御免だ。苛々が増し自然と足音が荒くなるのさえ腹立たしかった。
いい加減我慢の限界を超えて、城内から中庭に出たところでルックはぴたりと足を止めた。当然後ろをついてきた人間の足もぴたりと止まる。
勢いよく振り返ると、ルックはその男を睨んだ。
「何、何か用? 理由もなくついて来られても迷惑なんだけど」
「別に。俺が行く方向にルックが居るだけさ」
頭の後ろに両手を組んで、バンダナを頭に巻いた男は飄々とそうのたまった。ルックの睨みなどどこ吹く風で、それが余計にルックの癪に障る。
それが元解放軍の軍主の言い訳か。そう問い詰めてやりたいほどであった。
ルックは柄に似合わずちっと舌打ちをすると、威嚇するようにユンファを睨んだ。
この男は昔から気に障ることばかりをする。心の内で犬のように唸る。
忌々しさを押し隠しもせず、視線や声に全ての感情を込めて不機嫌にルックは問うた。
「じゃあ聞くけど、アンタはどこに行こうとしてたのさ」
「ん?そりゃー」
男は平然としていた。突き放すようなルックの言動は殊更気にしていないようで、慣れていると言わんばかりに黒い目をきょとん瞬くと少しだけ顔を傾ける。
そしてこう言うのだ。
「ルックが行くところに決まってんだろ」
「……は?」
「だからルックが行くところに俺も行こうとしていたんだよ」
「…アンタ、僕を馬鹿にしてるの?」
思ってもいなかった言葉にルックは唖然とする。
俯くと、次にやってくる感情にルックはぷるぷると体を震わせた。可笑しさ、にではない。怒りでだ。杖をギュッと握り締める。
「…それはつまり、僕に付いてきていたってことだろ…?」
「嘘は付いてない。俺が行く方向はルックが行く方向で、つまり俺の行く方向にルックが居るわけだ」
「それを屁理屈って言うんだよッ!!」
ルックが怒鳴る。怒鳴ると同時に杖を横に一閃すると風の刃がビュンとユンファ目掛けて飛び出した。
ユンファは至近距離であったにも関わらず首を傾げてそれを交わす。
代わりに背後に立っていた木が刃の餌食となり、バキッと無残にも折れ、偶然通りかかっていたフリックが顔を上げたと同時に木の下敷きとなったのだが、それはまた関係ないことである。ひとふたまる。
ギャーと響くフリックの叫び声と穏やかな午後の日差しを背景に、ユンファはひとつ息を落とすとルックと向き合った。残留した魔力がルックの体から沁み出ている。ふーふーと毛を逆なで警戒する猫の様に、近づくなと言わんばかりだ。
足を一歩踏み出そうとすると、それよりも早くルックがざっと地面の上に一本の線を引いた。
とんっと地面に杖を突き立ててルックが強く言った。
「これ以上僕に近付くな」
ルックとユンファ間に出来た境を見下ろし、ユンファは不快に眉を寄せると線の手前を軽く靴で蹴った。
「この線を越えたらどうなる?」
「アンタを切り裂く」
ルックの目は本気だった。どこか必死なようにも見えた。そこまで警戒されては無理強いなど出来なかった。しかも己の弱い部分を必死に守っているようにも見えるから尚更である。
ため息を落とし、拒まれて不機嫌に歪めた目をユンファは緩めた。
「どうしたんだルック? 今日はえらく機嫌が悪そうだな?」
「別に何もないよ。アンタが僕の後を付けるから鬱陶しいんだけさ」
「本当にそれだけか?」
「…そうだよ」
ルックが一瞬言葉に詰まった。ユンファは見逃さなかった。
一方ルックはすぐに肯定出来なかった自分自身に腹が立ち、奥歯をギリッと噛み締める。
本当は胸の内をぶちまけて、アンタのせいだと言ってやりたかった。
最近、ルックはふと気付けばユンファのことばかり考えている。それに気付いてからというもの、ぐるぐると渦巻く妙な気分をルックは胸の内に巣食わせていた。
元来他人になど興味を持たない自分である。しかも事あるごとにちょっかいを出してくる元天魁星など、邪魔者以外の何者でもない。
その筈だ。その筈である。
それが石板の前に立てば今日は来るだろうかと城の入り口を気に掛け、本を読めばアイツはこれをどんな風に解釈するのだろうと考える、ハイ・ヨーのご飯を食べながらユンファはこれが好きだったってふと思ってしまった時にはもう食べるどころの話ではない。
ユンファの事を考えてしまう自分がルックは嫌いだった。何故この男のことにこれほどまで感情を掻き乱されるのか分からなかった。否本当は知っている。
僕は、この男に焦がれているのだ。先の戦争で見せつけられた光に、その眩しさに、手を伸ばしそうになっている。ルックの中にあるユンファの存在に否応なしにそう言われている気がして、そんなことを考える自分がルックは悔しくて溜まらなかった。憧れは自分の弱さを示すようで、まるでその弱さを指を指して自分自身にせせら笑われているような錯覚までしてしまう。
「馬鹿馬鹿しい!それ以外に何があるっていうのさ!」
ルックは吐き捨てる。
地面に引かれた一本の線を悔しそうに見つめ、何も持っていない手をギュッと握り締めた。爪が肌に突き刺さる。その痛さが、その線が、ルックに告げている。所詮紛い物のお前には持つことの出来ない光なのだと、嘲笑っている。
なんだっていうのさ。俯いて地面に爪を突き立てるようにルックは言葉を落とした。
「来ないでよ。君は眩しすぎるんだ…」
「どういう意味だ?」
「アンタと僕じゃ立っている場所が違うってことだよ」
ユンファは、その言葉をしっかり聞いていた。苦しそうに咽の奥から吐かれた声を言葉を聞き逃しはしなかった。聞き逃せなかった。
空を横切る鳥の声がする。風が鳴く。暫くの間ユンファもルックも声を出さず、ただ沈黙を貫いた。
俯いたルックをユンファが意図を読み取ろとじっと見つめる。やがてルック、と名を呼ぶと、翡翠の瞳がゆっくりと顔を上げた。
ユンファは優しく言う。
「なあルック。言っとくが、俺の頭はまだキバ将軍みたいに眩しくないからな。バンダナ巻いているから禿げているんじゃないかと勘違いされても困る」
「だっ、誰がそんなこと言ったんだよっ! そういう意味の眩しいなわけないじゃないか!」
「じゃあどういう意味だ?」
思ってもいなかった言葉にルックは一瞬言葉を忘れた。しかしすぐに馬鹿にされたと思い、声を荒げて怒鳴る。真剣な悩みを頭の眩しさと間違えるな!
そして怒鳴って噛みついてから気付いた。ユンファの黒い闇色の目はとぼけているわけでも冗談を言っているのでもなかった。漆黒の目が真っすぐとルックを見ていた。
ユンファがもう一度問う。どういう意味だ、と。
(言えるわけないじゃないか…)
人を惹き付け道を切り拓くユンファの真っすぐな光に憧れているなんて、素直に言えるわけがなかった。ルックに出来ることと言えば声を飲み込み唇を噛み締めるぐらいである。
ユンファはそんなルックを真っすぐと見つめていたが、やがてはあと大きなため息を吐くと肩の力を抜き、全く気難しい奴だと呟き空を仰いだ。ふいに指を一本空に向かって突き立てる。
「ルック、今の空は何色だ?」
「は?」
「いいから答えろ」
「……あお」
「じゃあさっき偶然通りかかったばっかりにルックの斬り裂きの餌食となった運の悪い男は?」
「…フリック」
「今お前の目の前には誰が居る?」
「…アンタ」
「名前」
「…ユンファ・マクドール」
「そうだ。そして俺の目の前にはルックがいる」
ユンファは嬉しそうに笑った。意味が分からないとばかりに眉を顰めるルックに対し、ユンファは目尻を下げて柔らかな顔でルックを見つめる。ルックは困惑するばかりだ。温かなひかりをもつ闇色に魅せられる。
「なあルック。お前がどんな意味で俺を眩しいと言ったのか、それは分からない。けど立っている場所は同じじゃないか。考え方が違うのは当然だ、けれど同じ物を見て同じ音を聞いて同じ場所に立っている。それだけじゃダメか?」
ルックと違う場所に立つなんて俺は御免だよ。
一言一言が伝わるように、ユンファはルックを見つめいとおしそうにそう言った。
ルックの翡翠がパチリと瞬く。言葉の意味を染み込ませているようだとユンファは思った。
先の戦争で親代わりだった男や実の父、たったひとりの親友を失ってからというもの、どんなに僅かな間でもユンファはルックから離れたくはなかった。もう大切なものは片時も手放したくない。出来ることなら戦争になど加わらず、このまま連れ去ってしまいたいほどである。
(けど使命の為に戦うルックもすきなんだ)
だから行動には起こさない。その代わり此処に居る。傍に居て見守ることにする。
ユンファはルックに向かって真っ直ぐと手を差し出した。
「俺は此処に居る。ルック、お前は今どこにいる?」
「僕は…」
ユンファの言葉がじんわりと広がっていくのをルックは感じた。差し出した手を見つめ、ゆっくりと顔を上げ、翡翠の瞳で真っ直ぐとユンファを見返す。視線の先でひかりが笑っていた。その輝きを受けてルックは胸の内の闇に光が差し込むのをかんじた。声に出して告げる。
「僕は今、アンタの目の前に居る」
「ああそうだ」
ユンファは破顔して大きく頷いた。それが求めた答えだと言わんばかりの笑顔だった。
ルックがその笑みに見惚れている間にユンファはルックの手を掴むと、グイッと自分の方へと引っ張った。
あっと言葉を落として、ルックは足を一歩踏み出す。
地面に視線を落として、近くに居るからと満足そうにユンファが笑った。
倣うように地面に視線を落とす。
踏み出した足が、地面に引かれた線を越えていた。
それを呆然と見る。何故だろう、泣きそうなほど嬉しくて堪らなかった。理由なんてわからない。
ただ、ほんの少しだけ繋がれた手に力を込める。何も言わず握り返してくれるあたたかさに、今度こそ何かが溢れそうになって縋りつきそうになる自分がいて、ルックはそんな自分を抑えようと唇を噛み締めるので必死だった。
「離さないから」
ざっと駆け抜けた強い風が地面に引かれたボーダーラインを掻き消して、境界線は姿を消す。ユンファの声だけがルックの耳に残った。