へえ。やれるもんならやってみろよ。けどお前には、まだ早いぜ?
波間に預けた何時かの話を
陽光がきらめくように反射し、ざあっと響く細波、ぽっかりと浮かぶ雲は大きくて、空との境目は曖昧。
鳥が大きく羽ばたく空を仰ぎつつ、ユンファはうんと潮の香りを吸い込んだ。
押し寄せ返り、一定の間隔で鳴り響く細波がどこか子守唄のように心地よく耳に届く。
目の前に広がる海は壮大だ。
白い日差しに目を眇めつつ、ユンファは右手を太陽に翳した。
手袋の下で眠る、黒き闇を統べる魂狩りの紋章、ソウルイーター。
…この存在に何度も惑わされてきたけれど、もう歩み外すこともないだろう。
ユンファはかつての親友と同じように、ソウルイーターと共に生きるのだ。
―なあ。お前もこの景色を見たことがあるよな。
右手を翳したまま、今はもう亡き親友に向けてユンファは緩やかに問いかけた。
時間が幾ら経っても、右手越しに浮かぶテッドの顔は、いつだって笑顔だ。
自分とは違い感情がとても豊かで、笑いかたも物事の楽しみかたもみんな教えてくれた親友。
傍観することを良しとしていた己に、「ほら、あれなんだろな」と野次馬根性を覚えさせ、人や物と関わることの楽しさを教え。
父の背を目指すばかりのユンファに、無邪気に遊ぶことの面白さもテッドは教えてくれた。
笑うこと、怒ること、呆れること、悲しむことも。
みんなみんな、ユンファはテッドから学んだのだ。
くっていた年齢を考えれば、こういうのを人生の先輩とか言ったりするんだろうか。
(――…先輩だって? なんか可笑しいのな)
しっくりこない言葉に、妙な違和感を感じてユンファは笑った。
周りをぐるりと見渡せば、地平線まで続く青い空に青い海。
300年もの長い間流離った彼なら、海になんて何度も出くわしたことがあるだろう。
現に昔、海を見たことがあるというテッドを自分は羨ましがったことがあったはずだ。
どんな話の繋がりかはもう覚えていないけれど、海についてテッドが身振り手振りで語っていた懐かしい思い出。
『すっごくでかいんだぞ、海って!
この町の全員が手を繋いだって表しきれないぐらいでっかくてさ、グレックンスターなんかすっぽり沈んじゃうぐらい大きいんだからな!』
『…テッドはずるい。なんでそんなにいっぱい知ってるんだよ』
『そりゃ俺が旅をしたから…って、なに拗ねてんだよ。海なんてそのうち見られるさ。
ほら、船に乗ったり馬で直接砂浜に行ったりしてさ。
ああ、そうなったらいつか一緒に見に行こうぜ、ユンファ。
俺が海での楽しみ方を教えてやるよ』
『……本当だな。約束だからな』
『ああ。約束だぜ、親友』
――その約束が叶う日は来なかったけれど。
彼が言っていたことをその目で見る度、あの時は信じてなかったお前の「旅話」を、ああ本当にお前は世界を旅してたんだなって実感するよ。
「…何、黄昏てるわけ?」
後ろからいつものように愛想のない、そして少し控えめに掛けられた声にユンファは遠くに向けていた思考を舞い戻した。
細波と同じように心地よく届く声に、ゆるく口元を緩める。
「いや。テッドもさ、この海を見たのかなあって思って、ちょっと昔を思い出してた」
「…そいつの前の継承者?」
「ああ。俺の親友であり、ライバル、悪知恵ばっかりよく働く兄みたいな奴だよ」
いつも競うことばっかやって。喧嘩、駆けっこ、大喰い対決なんてのもやった。毎回互角に終わって、勝ち負けなんてつかなかったけど。
ぽつりぽつりと話しながら、ユンファはははっと笑った。
乾いた笑いではない、心から楽しい思い出を懐かしむ笑み。
よぎるのは、今でも大切な親友の姿だ。
止めなく溢れ返る思い出にゆるく一瞬きしたあと、ユンファはまっすぐとさざめく海を見つめた。
「なあルック。今まで俺はテッドから勝ち星を奪うことはできなかったけど、これから勝ってやろうと思ってるんだ」
「…何に勝つっていうんだよ」
テッドはもういないじゃないか――…そんな言葉は口に出さなかったけれど。
目を細めて訝しげに問うルックに、声なき疑問を聞いたユンファは楽しそうに答えた。
「世界を歩いた時間―…かな。
俺はテッド以上に時間をかけて、いろんなことを見て知って、世界を回ってやるんだ」
テッドがもういない、今更ながらの挑戦状だけど。
ユンファにとっては紛れもない、それは親友への挑戦で。
ユンファは満足そうに頷いた後、黙ったルックのほうへくるりと向き直った。
深い緑の目をした、共に道を歩いてくれる人間。
ユンファにとってかけがえのない大切な人に。
「だから、な。
お前も手伝えよ、ルック」
「……何を?」
見上げてくるルックの姿を認めたユンファは、にっと笑って。
「何ってテッド以上の時間をかけて世界を回るって言ったろ。
ルックと世界を回って、テッドに勝つんだ」
親友が歩いてきた時間以上の刻を、ルックと旅をする。
ひとりならそんなことをしようとも思わないけれど、ルックとなら。
ふたりでなら、何百年だって歩いてやるさ。
きょとんとしていたルックは、その意味を悟るとさっと顔を背けた。
覗く耳が少しばかり赤くて、ユンファはちょっと笑った。
――なあテッド。
こんな長い時間の中で、こうしておんなじ風に歩ける人がいるって幸せだよな。
俺はお前が長い刻を歩いてきた上で、ようやく会えたって思える人間だっただろうか。
お前の行き着いた探し物に、ちゃんとなれたか?
さくさくと、砂浜を歩き出せば。白い砂浜の上には足の大きさが違うふたつの足跡。
さざめく波に、照りつける太陽、白い雲に輝く光、青と青の海と空。
絶え間なく届く波音に、「まあ見届けといてやるよ」なんて笑う友の声が聞こえた気がして、ユンファは笑いながらその挑戦状を叩きつけた。