浮き立つ足に踊る心、いつもと違って子どものように。
はしゃいで回った夏の夜。
なつおわり
カラン。
歩けばいつもと違う靴音が響いた。
少し離れたところからお囃子や屋台の明かり、賑っている音が薄闇の向こうから聞こえてくる。
訪れた旅先で、ちょうど夏祭りが開かれていたのだ。
小さな町が年に一度活気づく日だと、宿先の主人は旅格好のふたりを見るなり二着の浴衣を用意してくれて、楽しんできたらいいと笑ってそれを渡してくれた。
ルックとしてはわざわざ人混みの中に入るなんて正直気が進まなかったのだが、にこにこと笑う主人の好意を無碍にもできず、そんな行事ごとを見逃すユンファでもない。
ユンファが浴衣を受け取った時点でもうすべては決まってしまったというか、案の定「ひとりで行け」と言ってもそれを聞き入れるようなかわいい根性を彼の英雄は持ち合わせていなかった。
着慣れない服を纏ったふたりは、着替え終わるとすぐに祭りへ繰り出した。
人の波に混じって、提灯に照らされた道を歩きながら目についた屋台を覗いていく。
中央では着飾った服を着た人達がお囃子の音に合わせて踊りを踊っていた。
石畳の道を歩くたびに下駄がカランカランと鳴く。
宿の主人が言ったように祭りは賑わいを見せていて、夜だというのに、それは昼の市場街のようだった。
雰囲気に酔ったのか、それとも普段は見ない売り物を見るのが楽しいのか、普段よりもユンファはどことなくはしゃいでいる様子で。
はじめは不機嫌だったルックも、そんな彼の様子を見ているとなんだか少しだけ心が踊った。
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ふと覗くと大きな桶の中でたくさんの金魚がゆらゆらと泳いでいて、ルックはそれを物珍しそう眺めた。
赤い色や黒い色が水のなかで入り乱れている。
人の波のようだとルックは思った。同じものが同じように群れている。
「金魚すくい、するか?」
隣のユンファがそう聞いてきたが、ルックは興味がないとばかりに首を振った。
放浪する身だから、金魚なんか掬ってもどうしようもないのはわかりきっていた。
なのにユンファが横で掬っている人のやり方を見た後その場に腰を下ろしてお金を払うものだから、予想外の行動にルックは驚いた。
「金魚なんか捕ってどうするんだよ?」
「宿の人にプレゼント。浴衣のお礼にとでも思ってな」
「ふうん」
律儀なものだと、腰に手を当ててルックはその成り行き見守ることにした。
「金魚すくいやったことあるの?」
「いや、これが初めて」
薄い紙膜が張ったポイを受け取ったユンファは、ボウルを近くに寄せてからそれを斜めに入れた。
ひょいっと。
さすがに器用なだけあって、見よう見まねでやった初体験は見事に一匹の赤い金魚を掬ってみせた。
けど水に浸かって紙膜が少し破けてしまう。
けれどまだやろうと思えばできるのに、一匹を掬っただけで満足したのか、ユンファはその金魚を袋に入れてくれるよう店の主人に渡してしまって、途中放棄なんてなんだか彼らしくないなとルックは訝しんだ。が、咄嗟に袋に入れられた金魚をユンファに渡されて、つい受け取ってしまう。
疑問を口に出す前に頭の後ろに手を組んだユンファは、次の屋台を見に行くべくさっさと歩き出してしまった。
その後ろを歩きながら、ルックは受け取った金魚を目の高さまで持ち上げて眺めてみる。
赤くて小さな金魚が一匹だけ、袋の中で泳いでいた。
一匹というのが妙にルックのなかで引っかかる。
こんな狭い袋の中でも、やはりひとりというのは寂しいのではないのだろうか。
赤くて小さな金魚が一匹だけ。
揺れる袋の中にいる。
宿についても一匹だけ……。
「…どうせならもう一匹捕ってやればよかったのに」
無意識にそんな言葉を漏らしてしまって、ルックははっと前を見た。
賑わっているというのにやはりというか相手にはしっかりと聞こえていたらしく、ユンファは振り向いてきょとんとした後笑みで言った。
もちろんこちらの意図がわかっているらしく、大丈夫、一匹でもそいつは寂しくないと論外に告げてくる。
「宿の金魚鉢にすでに一匹入っているんだよ。
本当はもっとたくさんいたほうがいいかもしれないけどさ、鉢が小さいからとりあえず二匹、な」
「……あっそう」
「そうそう」
ふいっとばつが悪そうに顔を背けるルックをユンファが可笑しそうに笑った。
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「疲れた…」
「やっぱ普段履かないもんで歩くと、変に体力使うもんだな」
「…はしゃぎ回るアンタのせいだよ」
石段の上に腰掛けて適当な言葉を並べるユンファを、同じく石段の上に鎮座したルックはげんなりしつつ睨んだ。
わざわざ歩いてやって来て、休息をとるために入った町で、どうして更に疲れる羽目になっているのだろうか。
祭りに行こうと言われたとき、深く嫌がらなかったことをルックは今更後悔し始めた。
けれど足を痛める前にとられる休みや人の多さを避けた夜道など、それとなく気を遣ってくれたのは知っている。
明日のんびり休むことで妥協しようとルックは心の中で呟いた。
と、急に辺りが暗くなってなんだと思っていると、ヒューっと何かが打ち上がる音がした。
暗闇の空を仰いで見ると、次いで光って、ドォンと太鼓が割れるようなけたたましい音が響く。
花火だ。
花火が夏の夜空に満開に咲いては散って、また轟音とともに咲き乱れていた。
耳を塞ぐのを忘れて見とれてしまうほどそれは美しく咲き誇っている。
さっきまでざわめいていた音も花火のそれにかき消されてしまうほど、それは一煌きで人々の目を奪った。
ルックもその突然の輝きに目を奪われていたが、ふと気になって隣の顔をばれないように窺ってみると、ユンファはじっと空を見上げていた。
黒い瞳の中に光る花がそのまま映し出されている。
夜と同じ闇色。
でもそれよりもずっと優しい色だ。
(綺麗―…)
見惚れたようにそのままじっくり見ていると、ふっとユンファと目があった。
穏やかに笑われて―そんなことに反応する自分を知られたくなくて―、勢いよく顔を背ける。
顔が熱いなんて馬鹿みたいだ。
ちらりともう一度盗み見ると、やっぱり目が合った。
ずっと見て反応を楽しんでいたのか、今度は楽しそうな笑みを見せてきた。三度目垣間見たときはもう花火へと視線を移していた。
どうやらからかわれなくて済んだようだとルックはほっと息をつく。
空の花は優雅に咲き誇っていた。
「綺麗だな」
先程のことを言われたのかと思ってギクリとしたが。
「……そうだね」
そこは平常心をもって答え、何気ない顔をして花火を見続けた。
夜空を輝く花が彩っている。今夜は月ばかりも観客だ。
太陽ではないけれど似ているかもしれないと、不意にルックは思った。
この金魚も今は一匹だけど、二匹でいる温かさを知ったらもうひとりでは生きていけないかもしれない。
轟音とともに咲く花火。
常に照らす太陽のような光ではないけれど、それは闇の中で輝いて、空を支配して、人の心を惹きつけて照らす一瞬の光。
一度魅せられたら、もう目が離せない。
「…アンタと同じだ」
夢のように呟く言葉に、空で輝く花が舞う。
夏の夜の出来事を、きっとまた来年も思い出すだろう。