同じ日は二度と戻ってこない――そんな当たり前で残酷なことを、
きっとこのまま気付かないで大人になる、そう思っていた


揺らぐ炎に朝日はえず



夢を見て、ユンファはうっすらと目を開けた。
虫とヨルノズクがひっそりと鳴く遠征中の夜、眠りについてからそう時間は経っていない。
目の前で焚き火の炎が小さくぱちりと爆ぜて、火の粉を空へと飛ばした。
 ユンファは幹に背中を預けたままぼんやりとその火を見つめる。
懐かしい夢を見た気がすると、そう思う。――けれど、
夢の内容をユンファは全く覚えていなかった。
目が覚めたと同時にそれはどこかに吹き飛んでしまって、ユンファの中には曖昧な夢の余韻しか残っていない。
ぼーとする耳にビクトールの大きな寝息が聞こえる。
愛した女性の名の剣を隣においてフリックは寝ていた。
夢の余韻はゆったりとしつつも少しずつ消え始めていく。
 それを珍しく未だはっきりとしない頭で泳がしながら、ユンファは爆ぜる火をぼんやりと見つめていた。
掴めない煙のように、散ってしまった夢の正体。
けれどどこかに懐かしさはまだ残っていて。
ユンファは無意識にポツリと言葉を漏らす。

「………朝日が見たい……」
「じゃあずっと起きてれば」

 ――独白にあるはずのない返事が返ってきて、漸くそこで誰かがまだ起きているのにユンファは気付いた。
余程寝ぼけていたらしい……上掛けの布を羽織ったルックが、焚き火の前に座って火の番をしている。
そういえば今日は珍しく当番に応じたんだった、ユンファはくしゃりと髪を掻き上げた。

「悪い。寝ぼけてた」
「ふうん。アンタでも寝ぼけるなんてことがあるんだね」

 ルックは興味なさそうにそう言って、傍らの木を爆ぜる火の中へと放り投げた。
どこか気怠げな翡翠の瞳は寒いと小さく呟いて、足先までが布に包まるように膝を抱え直す。

「で? 朝日を拝む夢でも見たのかい?」

 珍しくルックからそう問いかけてきた。

「…どうだったんだろうなあ。よく覚えていない」

 ユンファはそれを曖昧に返す。
 ユンファはきっと懐かしい昔の夢を見たのだろう。
そうじゃないとこのゆったりとした、それでいてどこか遠くを思わせる残響が何なのかわからない。
 ……そう思う、けれど。肝心の内容は暗い夜の海に沈んでしまったみたいに、溶けて薄らぎ。

「忘れた夢を思い出す方法はいくつかあるらしいけどね。でも忘れたってことはその程度の夢だったってことさ」
「眠りが深かったとかって言い方もある」
「眠りが深くても浅くても夢っていうのは見るもんなんだよ。
 知ってるかい? 人間は寝ている間ずっと夢を見ているんだ。人がそれを覚えきれないだけでね」

 口元を布に少し埋めてルックはそう言う。―と、やっぱ寝ると唐突に零してルックがふいに立ち上がった。

「あとはアンタがやってよね」
「――おい、」

急に責任放棄したルックをユンファは呼び止めるが、振り返ったルックはすました顔をする。

「どうせ朝日を見るんだろ。だったら火の番なんてふたりもいらないからね」
「だからあれは寝ぼけて言った言葉だ」
「知らない。眠たくないから起きてた方がマシかと思ったけど、暇すぎて変なことばかり考えてしまう。
 これなら横になって睡魔に身を任せた方が楽だよ。
 忘れた夢を思い出すことでも考えてたら?」

 じゃあよろしく。
ルックは一方的に押し付けて、林の奥へと姿を消してしまった。
人が近くにいることさえ極端に嫌うルックは、野宿の際専ら離れたところにいることが多いから静かな場所へ寝に行ったに違いない。
 身勝手なやつと、ユンファは納得のいかない愚痴を零した。
なんだかんだ言ってきっと眠たかったのだろう。


 キーワードは懐かしさと朝日。
暗闇に揺らぐ炎を見つめて、ユンファはしゃきっとしない頭でその二言を並べた。
突き刺さるような白、その象徴的であるはっきりとした炎の色は――太陽の色に似ている。
昼間の太陽ではなく、その眩しさは薄闇を照らす強烈な朝日の色に似ているのだ。
 ああ、そういえば昔、テッドと共にグレッグミンスターの朝日を徹夜して待っていたことがあったのをユンファは思い出した。
父の軍が朝方旅立つというのもあり、グレミオに内緒でテッドとずっと起きていたのだ。
たまに部屋から出ては台所へつまみ食いをしに度胸試しに行ったり、夜の街をこっそり探索して夜明けを待って。
そうしてやっと窓から見た薄闇を払う光の、なんと眩しいことか。
まだ暗い街中を鎧の音を立ててテオの軍隊が堂々と進んでいく。
朝日を浴びて鋭い光を鎧が反射した。
 ―それを見た時の、胸に湧く高揚感と強烈な朝の訪れ。

 それを思い出して、ユンファは口元に笑みを浮かべて懐かしいと思った。
それはひどく夢残りの懐かしさと似ている。
 …ああ、もしかしたらあの時の思い出を夢で見たのかもしれない。
朝のはじまりを待つ期待と楽しさ――なかなか払い取れない懐かしさ。

「……夢の中でまでどっぷりと浸かっているなんてな…」

 ユンファは自嘲じみた息を吐いて、木へ体重を預け空を仰ぎ見た。
唐突に、ふと、前にルックに言った言葉を思い出す。

『どんなに遠くても俺はいつかあそこに戻るさ。そう、決めたんだ』

 ――…例え戻れたとして、俺はあの時と同じ朝日をもう一度見れるのだろうか…?
あの家の、窓際の部屋から朝を待って、そうして昔と同じ気持ちで、昇る太陽を―…?


「…………なんて、な」

 答えは否。
その為のピースはもうひとつ欠けてしまった。
 仮にテッドと再会してあの部屋から朝日を望んだとしても、バレないだろうかと懸念を抱く相手――グレミオは、もういない。
 次の戦は父、テオとの軍だ。朝日を受けて輝く甲冑を身に着けたあの父を、もう見ることはできないだろう。

 懐かしさは、その遠い距離を思わせた。
願う故郷はグレッグミンスターだったはずなのに、空に在る星のようにそれは気付けば危ういほど遠くて。


 ―――いや、本当の帰りたい場所はもうすでにあの時に……………。



 それから暫くして、ユンファは自らの手でテオとの別離を果たす。
 シークの谷では親友の魂が還った。
 新しい時代を切り開いた英雄は、結局あの部屋から朝日を見ることなく闇に紛れて去って行った。


 ふとユンファが空を見上げる、けれど、
朝日はまだ見えず、朝日はもう見えない。
あんなに近かったはずなのに。