Attention!

本当に好き勝手やってますが、まあ暇つぶし程度にでも付きやってやるよ!という寛大な方、構ってやってくださいませ。 ---進む---


































HOWLING


T.

口を開けば魂さえも呑み込み、爪は大地を壊死させ二度と植物は芽を出さない、一声吼えれば空が割れる。
そう伝畏れられてきた狼と出会ったのは紅葉がはらはらと落ち始める秋の日だった。
狼といっても天界と地上では物質量が違うとかなんとかで、地上でのその姿は人間そのもの、木の根本で丸まって倒れている時には行き倒れかなと心配したものだった。

「傷は?」
「平気」
「ご飯食べる?何か罠にかかってた」
「いらない。ネズミもウサギも腹の足しにはならない」

近づけば頭の耳と尻尾をピクリと動かして、狼は億劫そうに目を開けるとすぐに興味がないとばかりに目を閉じる。
天界から傷を負って堕ちてきたらしい狼は見つけた時から一度も動かず、傷が治った今でも、動こうとはしなかった。

「お腹減らないの?」
「さあ。わからない。何も感じないんだ」
「でもきっと空いてるよ」
「多分ね」
「食べる?」
「何を?」
「僕を」

狼は何も言わずに目を閉じた。




U.

見つけたその日から狼の居座る大木へ通うのが日課となり、その都度狼は興味がなさそうにこちらを一瞥して目を伏せる。
また来たのか、と言わんばかりな視線は、でも結局声にはならない。
狼は何も言わず終始目を閉じているだけで、その傍ら僕もただぼけっと葉が落ちる様を見ているだけだ。
珍しいことに一度伏せた瞼がまた持上げられたのは、大木の色づいた落ち葉で地面が飾られる、その様をやはり何気なく座って眺めている時だった。

「恐くないのか?」
「なにが?」
「俺が。ここではこんな形をしていても元は狼だ、人間を喰うのだって容易いこと」

牽制するような狼の瞳は綺麗な小金色で、普段拝めない分僕はそれをじっと見つめる。

惜しいな。天界での彼はきっと綺麗だ。
汚れのない黒の毛並に鋭い牙と爪、夜に紛れない月の双眸にぴんと立つ耳、きっと美しい黒狼だ。見てみたかった。
毛並みと今の髪質は同じなのだろうかと手を伸ばしかけ、思い直して首を振る。

「恐くないよ」
「どうして?」
「だって僕は君に食べられたっていいから」

それは美しい君の一部となるってこと。
むしろそれを僕は心から望んでいる。

「…死にたいのか?」
「さあ。どっちでもいいんだ」
「なんで?」

掘り下げて問うてくる狼に、僕はぶちまけた。
言うつもりはなかったが、隠すことでもなかった。

「生きる理由がよくわからない」

生まれた時から風を操る能力があった。
人間の枠から外れていたそれを人は気味悪がる。化け物・鬼と罵り、石を投げるのに飽きれば、ついには命を奪い存在を消したがる。
真理がどうとあれ人が世界を憚っていれば、人の意見が世界の中心だ。
命からがら逃げ出して、たどり着いたこの森で暮らしてはいるが、未だに村の奴等は外から機会を伺っているのだと風は言う。
隠れ家という名の牢獄で、何を望み生きればいいのか。わからなくなった。

「自分で終わりにしようと思ったんだ。でもダメだった。風が傷を塞いでしまう」

狼の視線はいつの間にか僕に向けられていた。何も興味を示さなかった小金が初めて違う色を持っていて、自然と口元が緩む。

「でも君に喰われれば魂さえも消滅する。転生も出来ない。すごく素敵だと思ってさ」
「………」
「なに、同情でもした?」
「しないよ。狼は人間ほど感情的じゃない」
「じゃあ食べてくれる気になった?」

小金の眼が強く見据えてくる。

「喰わない」

狼が初めてはっきりとみせた拒絶だった。




V.

傷が完治すると狼は眠るのを止めて、昼は空ばかり眺めていた。

「何を見ているの?」
「空を見てる」
「楽しい?」
「いや、ちっとも」
「じゃあ何で見るのさ」
「暇だから」

狼は本当に一歩も動かない。
何処か他の場所に移動しないのかと問うてもよかったが、それを言って別の所に行かれても嫌だったからやめておいた。
空は一面の灰色で、青さもなければ雲の白さもない。
遠い昔に消えてしまったのだと聞く。太陽さえも僕は見たことがなかった。

「ここの空はいつもこんな色なのか?」
「うん。君が居た天界には空にも色があるらしいね」
「一面に青空が広がっている。眩しいくらいだ」
「きれいだろうね」
「きれいだよ」

僕の事をぶちまけてから、時折ほんの気まぐれだけど、狼は自分から話し掛けてくれるようになった。
僕も前ほど「食べてくれ」とは言わない。
はっきりと狼が僕を食べない宣言してから、きっと何があってもそれを違えることはしないだろうと感じ取ったから、もう不毛なことを言うのはやめておく。
でも相変わらずここへは毎日足良く来ている。狼と時間を共有する日課はなかなか己の身に染み付いているらしい。

「ねえ、何で空に色がなくなったの?」

ずっと疑問に思っていたことを問うと、狼は当たり前のように言った。

「天王が空の青さを独占したから」
「天王ってなに?」
「天界の王様。自分だけの空を作りたくて、空と大地を灰色の雲で遮って空を天界だけのものにした。だからここに空の青さが届かない」
「職権乱用じゃない」
「ああそうだな。でも俺も悪いこととは思ってなかった」
「なんで?」
「空の青が当たり前だったから」

話を聞いても実感出来なかったのだと狼は言い、仰ぎ見ていた目を細めた。

「でも実際見てみると、すごく悲しくて寂しい色だ」

つられて空を見上げると、やはり生まれた時からずっと変わらないいつも通りの灰色が広がっている。
悲しくて寂しい色、そう思ったことはなかった。
きっと空の青さを知っているから言える言葉なんだろう。それぐらい空の青さは透き通って綺麗なんだ。

「見たいな。青い空……君と見てみたい」
「………」
「見ようね」

狼は困った風に顔を歪めると、口角を少しだけ上げる。
嬉しいのかもしれないと思うと、なんだか僕の口元も緩んだ。




W.

木の葉がどっさりと落ちさった寒い冬のことだ。
ある噂を風伝いに聞いた。
森深くにいる人狼が人を喰ったのだという、俄には信じ難い噂を聞いた。

「どういうこと?」
「何が?」
「人を食べたって、聞いた。本当なの?」
「本当だよ。喰った」
「っ、何でさッ!」
「何が?」
「なんで…っ、」
「…何を怒っている?」

嫉妬しているからだ。

狼はいたって無表情で、いつもと変わらず大木の下で座っていた。何も変わらない。でも彼は人を食べて、僕は怒っていた。
その身の中に未だ消化されていない肉片があるかと思うと、苦い感情がぐるぐる渦を巻いて息苦しい。
襟元を引っつかんで迫っても狼の表情は変わらず、それに焦がれてヒステリックのように僕は叫んだ。

「何で!どうして食べたのさッ!僕は食べてくれなかったのに!!」

そうだ、喰われた奴らが羨ましかった。
食べてもらうのが僕の願いだと知っていたはずなのに、どうして僕は食べずに他の人間を食べたのか。空腹ならば真っ先に出会う確率の高い自分を食べればいいのに、何故わざわざ村の奴なんかを。
自分が一番だと思っていたのに順序を塗り替えられたようで、なんだかとっても悔しかった。

沈黙が降りて溢れそうになる嗚咽を噛み締め俯いていると、狼の手がそっと頬に当てられ顔を上げるように促される。
柔らかい小金色と目があった。

「人間を3人食べた。お前を殺しに来た連中だ」
「……僕を?」

狼が流れた涙を舐め取って、甘えるように鼻先を髪に擦り付けてくる。

「俺はお前を食わない。生きていて欲しいから、お前を殺そうとするあいつらを喰ったんだ」
「なん…で、」
「俺がお前を必要だから」

狼は笑っていた。
初めて見る笑顔はどうしようもなく優しくて、絡んだ視線が引き剥がせなかった。

「名前、教えて?」
「……ルック」
「ルック、良い名前だな」

狼はしっとりと唇を合わせ、二三度べろりと上唇を舐めるとその舌で中を思う存分掻き乱してきた。
何度も触れては少し離れて、また深く仕掛けてくるそれに肩を押し返すと、狼が至極至近距離で真面目な顔をしてこう言う。
俺の為に、生きて。




X.

互いの関係が少し変わってきたように思う。
大木の元を訪ねると狼はいつもの無表情を捨て去り、目に見えて嬉しそうに顔を緩ませる。
尻尾を振らないだけマシか。前よりも言葉をよく交わすようになり、共有する空気の色も柔らかい。
そんな狼が自分のことを打ち明けたのはいつもより明るいと感じる昼下がりのことだった。

「俺は天界から逃げてきたんだ」
「なんで?」
「俺が天王を殺す存在だから」
「殺すの?」
「いいや。殺す理由がない」
「…じゃあ殺さないんじゃないか。どういう意味かわからないんだけど」
「そうだな、俺もだ」

狼は曖昧に笑った。

予言が降りたのだと彼は言った。
漆黒の毛並みをした狼が天王の咽を噛み切るだろうと、どこにも根拠のない予言が下されたらしい。
天界では予言が全てだ、予言が外れることはない。
予言が現実になるのを恐れた役人は問答無用で口輪と足枷し、狼を牢屋に入れた。
最初は抵抗したものの、不毛なことだと気付くと後はもうどうでもいいとばかりに諦めていたのだという。

「でも空腹も忘れた頃に俺は暗い牢屋から助けられたんだ。天王を殺そうと目論む奴らが『貴方が我々を導いてくれる』のだと言って俺を助けた。だから俺は逃げた。あのままでは流れに流されて俺はどうにかなってしまう」

狼の双眸が地上の空よりもっと遠くの空を見遣る。
暗い色をしているのかと思えばその奥でちりりと一層強く光る小金に気付いて、なんとなく直感的に悟ってしまった。
彼が、空に帰るのだと。

狼は、手を付いてゆったりと腰を上げると、ずっと座っていたとは思えない足取りで二歩三歩と大木の下から離れた。
初めて見た立ち姿は僕より頭ひとつ分背が高い。出会った時よりちょっとだけ髪が伸びていた。

「ルックのおかげだ。何を成せばいいのか、俺に教えてくれた」
「…僕は何もしてない」
「必要としてくれた」
「……。それは僕が君に食べられたかったから」
「それでも、毎日来てくれた。何度断ってもルックの姿を見ない日はなかった」

ああ、そうだ。

「必要とされているみたいで嬉しかった」

僕も途中から死にたいなんて気持ちは忘れて、純粋に彼に会うのが楽しみだった。
この特質な能力があっても君は変わらない場所で何も言わず僕を迎え入れてくれたんだ。
その先の言葉は自然と零れた。

「…行くの?」
「うん」
「何するの?」
「天王を倒して、地上に空の青さを返す」
『見てみたいな』
「ルックに見てもらいたいから」

振り向いた狼はひどく優しい笑みで、背筋が一瞬凍るような嫌な予感がした。
近くに歩み寄って確かめるように彼の服を掴む。

「戻ってくるんだよね…」

抱き寄せた狼は領に鼻先を擦り寄せてくる。

「わからない。でも相手は天王だ。多分俺は死ぬ」
「人には生きろって言って、自分は簡単に死ぬって言うの?」
「空を取り返すまでは負けないよ。それに聞いて。天界の者たちは死んだらすぐに転生するんだ。肉体が死んでも、流した血がまた肉体を作り出す。同じ姿で、生前と何も変わらない。記憶だけは全部血によって消されるけど、きっとまた会える」

けれど僕のことは忘れるのだと彼は暗に言っていた。
頬に手を添えられる。

「泣くな」

またひとりになるのだ。


イヤだ、行かないでと言う言葉を必死に押し止めて、僕は自ら彼にキスをした。彼に比べれば拙い口付けだと思う。でも必死で、文字通り噛み付くようなキスが狼から返ってきた。
しばらく絡み合って、互いに一息吐く間にぐいっと狼の顔を引き寄せた。目の前の小金に自分が映り込んでいて、それにも言い聞かせるように瞬きもせずに見つめたまま言う。

「言った言葉覚えてるよね?僕は君と青空を見るって言ったんだ。獣には帰省本能があるんだよ。記憶を忘れても、僕のことを忘れても、本能で帰ってきて。待ってるから」

今まで見てきた中で一番幸せそうに笑う笑顔を、僕は今でも忘れない。

「了解」

そう言ったアンタの声も、絡んだ舌の熱さも、何もかもが鮮明に覚えてる。




森の中でひっそりと暮らしていたある日、ぱっと一筋の閃光に目が眩んだ瞬間ルックはどこかで響く狼の叫び声を聞いた。命をぱっと燃やす前の最期の叫びだとなんとなくわかった。
見上げた先で空の中心から放射線状に厚い灰色の雲が退いていく。そこから一面の青空が広がった。
地上に生きるものすべてがその瞬間空を見ていたが、何故空が青くなったのか、理由を知っているのはルックただひとりだ。
彼は勝ったのだとその青は物語っていた。
暑い夏が迫ってきていた。大きな入道雲がどことなく狼の姿をしていたような気がした。




END.

またはらりはらりと色づいた木の葉が地面を覆い尽くす季節となった。
森ともなればそこら辺の木が黄色や赤い落ち葉を落とすから地面が見えない。
その中でも一際大きな大木はまるで森の主であるかのように堂々と鎮座し、枝ぶりの豪華さを示すかのようにその周りはやはり色とりどりの葉で敷き詰められている。
大木の下には一匹の人の姿をした狼がいた。
黒髪の狼は木の葉の絨毯の上で丸くなって目を閉じている。
ルックが葉を踏みしめながら近くに寄れば、狼はゆっくりと瞼を持ち上げて、何の感情も窺えない顔でこちらに向く。
変わらないと言っていたのに、瞳の色は小金から赤い紅葉の色に変わっていたのが少し残念だったが、それよりも言うべきことがあって少年は笑った。ああ待っていたんだ。

「おかえり」

うっすらと、狼が微笑んだ。