SPIRAL
今は、雨らしい。
(……よし、出来た)
暗がりの中で字を書くのにもだいぶ慣れた、蝋燭だけが光源の部屋でわりときれいに仕上げた書類をボックスの中に放り込んで、ひとつ事をやり終えた余韻に浸ることなく次の書類に取り掛かる。
先ほどからざわざわと騒がしい、洞窟と同じ要領だから兵士の慌てる声と歓喜の声が一緒くたになって耳に流れ込んでくる、それでも書き物を続けるのはもう意地のようなものだった。
レジスタンスの拠点が地下に変わってここの暮らしにも慣れたものだ。
天井の一点に溜まった水滴がたまらずぽちゃんと、下に用意していた桶に落ちる。
(…あ、ダメだこれ)
新しく手に取った書類はリーダーの判がなければ先に進まないものだった。そのリーダーさまは現在療養中。
仕方なく端に避けて他の書類を手に取るけれど、どれもこれも憎たらしい認印の箇所がそこここにあって探してみると素晴らしいほどの全滅、完璧な手詰まりにどうしようもなくなってずっと握り締めていた筆を置いた。
と、ちょうどいいタイミングで足音が近づいてきて扉が開く。
「ルック、リーダーが呼んでるぜ」
「わかった」
そろそろ来る頃かと思っていたところだ。
用もないはずなのにさも呼ばれることが当然のように軽く返事してしまった、椅子から立ちあがって、そんな風に構えている自分にん?と違和感を覚える。
そういえばこの部屋の扉は今日初めて開かれたのではないだろうか、いつもはアイツが勝手に来てはいろいろ話していくから開け閉めも頻繁で、そんなリーダーさまに用があったりついでにシーナなんかも一緒に居座り込んだりするから今更ながら静かな部屋が妙に感じられた。
…自室から出られないほど重症だったというわけか。
未処理の書類を手に持つ、不思議と緊張していて、どんな顔で会おうかなんてらしくもないこと考えてる。
一発の砲撃だった。それを正面から食らってアイツは僕の目の前で倒れた。
本来なら僕に向けられて撃ってきた、空気を裂く銃声が今も耳に残って痛い。なんで庇ったんだか、僕にわかるはずもなく。
「判子、ちょうだい」
「…は?」
「だから判子。アンタの証印がないと仕事が進まないんだけど」
「言うことに欠いてそれか、普通」
「アンタが居なくてもちゃんと仕事してるんだから真っ当じゃない」
上半身を起こしただけでまだ寝台から出られない安静中の、そいつの顔面に書類の束をつきつけたらひどく顔を顰められた。
受け取ってくれないから仕方なく僕の用件の物は下げる、大きな溜息がこれ見よがしに吐かれた。
「目が覚めたって自主的に来ようとしない。呼んでやっと来たかと思えば仕事のことしか口にしない。なんだか報われない気分だ」
口から出る声音や言葉は飄々としていていつもと変わらなくて、内心少しだけ安心する。
「なんか拗ねてない?」
「別に。ルックこそ、何か俺に言うことあるんじゃないのか」
「…え?」
逸らしていた視線を戻すとじっと何かを求める黒の双眸があって、息が止まる。
言わなければと思ってはいたが、相手から催促されるとは思ってなかったからだ。
言葉にした経験なんてないからどう言ったらいいのか言いあぐねて言葉を探す、ありがとうではないだろう、言葉にするのは感謝ではなく謝罪だ。裸の上半身の肩と腹に巻かれた包帯の白が痛々しい、そうこれは確かに、僕が受けるはずの傷だったのだ。
腰から深く折って頭を下げると、ルック?と頭の上から心底不思議そうに呼ぶ彼の声がして促される。
「その…悪かったよ。あれは完璧に僕の不注意だった。君に突き飛ばされなかったら、僕は死んでいたかもしれない」
俯けた視線に映る、寝台の横に置かれたゴミ箱から血をすった大量の包帯があふれ出しそうになっていてぞっとして顔を上げた。そしてやっぱり、と重く思う。
その根源たる責は僕にあるかもしれないけど、でもやっぱり彼は間違っていたのだ、レジスタンスのリーダーともあろう人間が部下ひとりの身を守るために自分を盾にするべきじゃなかった。
「なんで僕なんか庇ったりしたのさ…」
らしくない。きゅっと胸が詰まって、上手く声が出せない。
空気を読めないひとりの兵士が水を換えに来ましたーと暢気に入ってきて、僕の顔を見てぎょっとする。
悲しいわけでも怒ってるわけでもなくて悔しくてわけわかんなくて、勝手に涙があふれていたからだ。
リーダーがひらひらと手を振って兵士を下がらせる、失礼しました!と勢いよくバタンと扉が閉まればまた落ちる、静寂。ふうと息が吐かれた。
「ごめん」
「なんでアンタが謝るのさ」
「ごめん、ルックに謝ってほしくてそう言ったんじゃないんだよ。この怪我は俺が自分で受けた傷だから、誰が責任をかんじるもんでもないからさ。
ただちょっと労わりっていうか見舞いの言葉が欲しかったっていうか…」
やっと起きた、とか心配した…とかは言わなそうだけど、おはようでも寝坊助でも何でもいいからルックの口からなんか言ってほしかったんだ。
そうぶつくさ小さな声でぼやくから、言いたいことがあるんならはっきり言えって言ってやりたかったけど好き勝手に流れる涙が邪魔で、袖口で乱暴に拭うのに止めておいた。
アンタの言葉は解りにくい、仕事が進まないから早く治せ。こんな消化不良な痛い思いをするのもこいつのせいだと腹いせのように言ってやれば、緩むそいつの口元、綺麗に弧を描いて諦めたように眉尻が下がる。
「なあルック、実はさ、どうしても倒したいやつがいるんだよ」
「…は?何んだよ急に…」
突然の相談に動かしていた腕が止まる、もう涙は引っ込んでいたけどまだ濡れている目にちらりとこっちを見遣った黒い目がぶつかる、ふいっとすぐに視線を逸らしてどこか言いにくそうに頭をかりかりと掻く仕草を何とはなしに見ていた。
「どんな正攻法で行ってもくらっと傾きもしないの。こっちに転ぶだろうと思っても予想外の行動ばっかり。すごいだろ、俺はどうやってそいつを打破しようかと頭捻っているわけ」
「…はあ」
レジスタンス共通の敵じゃない個人的なライバルの話だろうか、一度喋ってしまえばもう躊躇しないのか片膝に片手で頬杖をついて、百人の相手と争えば百通りのやり方で勝ってみせるようなリーダーさまはぺらぺらと次から次へと言葉を吐き出した。
「強気だしこうと決めたら譲らなくて突っ走る頑固モンだし、生意気だし魔法バカだし肉嫌いだし酔っ払ったら人の気も知らないでへらへら笑うし本の虫だし」
「…なんか僕みたいなやつだね」
「うんルックのことだよ。見舞いの品の代わりに仕事持ってくるんだ、もう強敵。でも庇ったら怒るか呆れるか何らかのアクションは起こすかなあとは思ってたんだけど失敗したみたいだ」
泣いてたから。
ふと気付けば頬杖を外してそいつが真っ直ぐと僕を見る、見つめられて視線が外せないのは何故か、奥底でドクリと脈打つ熱が急に疼き出してそわそわして落ち着かない。
何これ、なんだこれ、こんなの僕は知らない。
これじゃあ蛇に睨まれた蛙だ、喰われる。
「泣いたってことは…心配、してくれたんだよな。ごめんな、大丈夫だから」
「だ、誰がっ」
「ルック、俺やっとわかった。俺の強敵を倒すにはわかりやすく直球で伝えた方がいいんだよ、変に不安にさせてもな」
言われた言葉を追いかけているうちにくいっと腕を引かれて彼を見る、彼が最強の敵を打ち負かすための呪文を口にした。
敵が倒れるかは僕次第、援軍なし、真正面からの宣戦布告。
「お願いだから俺を好きになって」
さあ、どうしよう。