Butterfly Dreams

方向感覚が狂う竹林の中も歩れたもんで、今日も今日とて俺はずいずいと竹藪の中の奥へ進む。
朝露に長細い竹の葉がキラリと煌めいて、落ちた滴が鼻に直撃して冷たさに笑った。

今日は機嫌がいいらしい、辿り着いた社の欄干に座った少年は足をぷらぷらと泳がせて五月の爽やかな風に目を細めていた。
けれど対応は変わらない、片手を上げて挨拶を送る来客の俺を見るなりルックは顔を顰めて、遊ばせていた足を止める。また来たの、と言うのは彼の常套句だ。

「毎日毎日来るなんて、たいがいアンタも暇なんだね」
「ルックの体調を見るのも僕の仕事。どう?昨日の熱は?」
「アンタが持ってきたにっがい薬のおかげで今はなんともないよ」

辛いのを嫌う少年はもちろん苦味もダメで、飲む以前に吐き出そうとするからそりゃもう飲ますのは苦労した、思い出したのはお互い様のようでルックは顔をひどく歪めて俺は微苦笑を浮かべる。
どうやら合う薬が少ない少年にとっては効果覿面の薬だったようだ、今度からこの薬を主流に使ってみようかと俺は頭の中でこっそりとノートに書き記して何通りかの処方法を考えてる。


俺がこの村に住み始めて、そろそろ半年が経とうかとしていた。
見習い修行で各地を回って医学を勉強していた俺が、偶然訪れたこの村で医者を尋ねた矢先、年老いた長老にこう言われたのがそもそもの始まりだった。


この村に医者はいらないんだ。


内戦やらいろいろあって医者が不足している世の中で、村に医者がひとりも居ないっていうのはそう珍しいことじゃない、でも『医者が要らない』ってのはどういう意味なのだろう。
不思議に思った俺に長老はありがたやありがたやと呟いて両手を擦り合わせる、拝んでいるにもかかわらず優し気な笑みが嫌らしく歪んだのが妙に目に付いた。


他人の病気を受け負ってくれる少年がいるのです、それのおかげで私たちは医者要らず。我々には生き神様が憑いている。

教えられた竹やぶの中を歩いて初めて出会った生き神様と称されている少年は、古びた社の中で今にも死んでしまいそうに身体を丸めて息を荒げていた。こんなちっぽけで弱弱しいのが村の病を一身に背負う生き神様とやらなのか、その姿を目にして俺は愕然とした。


「…美味しい?」
「まあね」

苦味もダメ辛みもダメとくれば顔に似合わず甘い物を好むルックは、俺の持ってきた金平糖をぱくぱくと口に入れる、その間に俺は毎日記録している湿度やら気温を確かめて、この土地質がルックの体調と何も関係がないかを調べた。
他人の病気を自分にうつし換えるなんてどう考えてもありえないのだが、村の人が病に倒れるとルックは必ず同じような症状か風邪をひく、不可思議な現象が確かにこの村にはあって、俺は調査という名目で辺鄙なこの場所に住み着いている。

本当にルックが他人の病を自分に移すのか、幾ばくかの時が経った今でもそれは定かではない。
そもそもルック自身が病気に罹りやすい体質なのかもしれないし、生き神がいるという心情心理が働いて村人の抗力が上がっているのかもしれない、特に気にかかるところもないノートに連ねた数値と仮説を組み立てて俺は睨めっこしていた。

と、金平糖がぱらぱらと落ちてふと見やった先、俯いた子どもの首が赤くなっているのに気付いた。近づいてみれば息もぜえぜえ苦し気で、首に手を当てれば案の定発熱しているんだと知れてまたかと苦く胸中で呟く。

例えばこんな風に、さっきまで元気だったのに予兆もなく急に苦しむこともある。
まるで誰かに心臓でも握られているかのようだといつも思っている、そのうちパタリと捨てられた人形のように、誰にも知られず簡単に逝ってしまうんじゃないかと俺は心配になっていつもルックが体調を崩すたび内心はらはらしている。

「ルック、大丈夫か?ほら中に入ろう」
「ア、アンタなんかの手を借りなくたってこんぐらい」

欄干から降りて裸足の足でずるずると歩きそうだったけれど、欄干から降りる時点でもう危なっかしくて見ていられない。問答無用で背中と膝の裏に手を入れて抱き上げるとぐてーと辛そうに寄りかかってきた。

これでも俺は医者の卵でどんな状態でも冷静に診断できる自信がある。
それでもいつもの毒舌もなくて吐く息さえ重たそうな顔を見ているのは辛い、薄い布の上に細い体を横たえて、井戸から汲んできた水に浸したタオルで汗を拭った。ルックはもう混濁の中に意識を半分落としかかっていて何も言わなかった。
汗を吸った髪を梳いてやれば無意識に袖を掴まれて俺は。


どうすればいいのだろう、どうすればこの少年をこの苦しみから解き放ってやれるんだろう。
ルックと過ごしたこの半年、俺はルックに秘密の想いを抱いている。
それが医者が患者に向ける情なのか俺がそうだといいと望んでいる情なのか、とても判断しにくい傾き具合で正直俺にもよくわかっていない、けれど奥底で根付く想いは同じで俺は今も必死に頭を働かせて原因を究明しようと躍起になっている。

調査という前提をもってこの地に根を下ろした俺は、いつの間にかルック専属の医者になって、今では。


(この村から連れ出してみようか…)

そんな不穏なことばかりが頭をチラついていた。
村から出てルックが本当に人の病気をもらうのだとすれば山奥にでもふたりで暮らせばいい、そうすれば俺がへましないかぎりルックの苦しみは減る。
それがルックの自由を奪うことになろうとも、それが一番の理想だと言わんばかりにそうしろよとこそこそと何かが俺に囁きかけた。


ああ恋が不治の病と称されるなら、俺のこの病もルックにうつってしまえばいいのに。


「……死ぬな」

袖を握る手を外させて、再度包み込むようにして握る、俺の理想ばかりの考えは堂々巡りでなんの解決策をも見つけられない。
ルックが寝込むたびに回復の呪文を、俺は今日も口にする。