綺麗な嘘であたしを満たして


彼が囁く言葉のほとんどは、嘘で構築されている。
何気ない言葉だったり、小さな約束事だったりと、掛けられる声は様々。
その多くがまるで話すことが楽しいのだと言わんばかりに嬉々として言ってくるものだから、ルックとしてはどう反応したらいいものか困るものがあった。
ルックはそれに応えられない。いや少し御幣がある。ルックには彼の望みに応えるべく言葉も術もわかっていて、それは確かにルックの中に存在しているのだが。
しかしそれを素直に吐き出してしまうことは、ルックにとってはどんな壁よりも大きく高く、触れてはいけない域にあった。
ありのままの全てを吐き出してしまえば、きっと、楽になる。
向けられる感情に応えられる。
ルックだって本当は、本心でそれを望んでいる。
けれど吐き出してしまえば、ルックがルックとして守る一線がどうにかなってしまうような気がして、それがとても怖かった。
だからラインを守る防衛策としてルックは何も受け入れず。与えられる言葉を、約束を、ルックは“嘘の言葉”として処理をするしかない。

信じないよ。
そう拒み続けることがルックの防衛線。


「あ、っと、居た」

喧騒に溶け込まない声が、聞こえた。
人波の中でポツンとひとり佇むルックに駆け寄るように、流れに逆らって黒髪の男が掻き分けて近寄って来る。
はぐれていた。
使いを頼まれた町中で、考え事をしていたルックは思った以上の人の数に飲まれ、ふと気付けばユンファの姿を見失ってひとりその中心で佇んでいた。
迷子になったのだと気付いて、もう彼は帰ったかもしれないとまず思った。
祭りだか何かの行事ごとがあるのか、予想以上に溢れかえる人の波で、人ひとり探すのは容易ではないはず。
けれどこうやって見つけられて、目に飛び込んできた赤と見慣れた姿に。
ああやっぱりか、と片隅で期待していた己に気付いてルックは眉を寄せる。

「気付いたら居なかったから、ちょっと焦った。この人混みで見つけることが出来たのは奇跡だな」
「大袈裟すぎるよ」

と言ってはみたものの、実際どこではぐれたのかもわからないのだから、一苦労だったのだろう。少々バンダナがずれていてどこか疲れているようにも見えなくない。
そんなユンファの姿を認めて、ルックはぽつりと零す。

「…べつに探さなくてもよかったんじゃない?」
「ん?」
「だからべつに探さなくてもよかったんじゃないって言ってるんだよ。もう使いは終わったんだから、放っておけば僕は勝手に転移を使ってでも帰れるんだから!」

そう。誰かがいないと何も出来ない子供じゃない、ひとりで帰れることもひとりで人波に抗うこともひとりで。生きることも。なんだって出来る。だから構わず先に帰ればよかったんだ。ふたりで居る必要性がどこにある。アンタだって大人だろ?
ああなんだこの消化不良な感情は。
ぐるぐると回る問答にルックが目を回す中、それを知ってか知らずか、ユンファはうーんと間延びした声を出した。

「確かに何も困ることはないけどひとりでいるのは寂しい。と、俺は思うんだけどな」
「………なにそれ…?」
「もう離れる気はないって、言ったと思うんだけど?」

嘘だ。
そう言ってアンタはきっと何処かに行くんだ。
何かに縛られるのではなくて気侭に旅をする、それが一番彼に合っている。
付き合うわけにはいかないんだ。ルックにも譲れないものがある。だから受け入れてしまえば、ユンファの足枷にしかならない。
ルックの消化不良の思いは増加の一途を辿った。
寂しいだっていうのも嘘だ、アンタにはたくさんの差し伸べてくれる手があって、たくさんの温もりがある。それを知っていて何が寂しいと言うのか。
ユンファがルックに向ける気持ちに気付いていないわけではない。
けれどそれをぜんぶ疑ってしまう自分が、悲しかった。

夕方になると人が増えるからと、ユンファが手を差し出してきた。またはぐれたら洒落にならないからと言う。ルックは首を振っていいと断った。
どうにも付かず離れずといったかんじで、その一線を必死に守ろうとするルックにユンファはいぶかしむ。

「……。ルックは俺の気持ちに気付いているだろう? ちょっと聞きたいんだけど、その見解は?」
「……アンタは怒るかもしれないけど――、…嘘、もしくは錯覚」
「ーーーーーー、」

本音を言うと、さすがにユンファの顔も一瞬で激怒に歪む。想いを否定されて喜ぶわけもない。
怒鳴るのかな、とルックが他人事のように見上げる先、怒りを露にしたユンファは口を開け――その時ルックはどんな顔をしていたのだろうか――けれど声を出すことなく閉じると、そっぽを向いて目を閉じ大きく息を吐き出して、激情をやり過ごしている風だった。

「――まあいい」
「…なにが?」

ルックの問いに答えることなくユンファはちらりとルックを見るともう一度息を吐き、問答無用とばかりにルックの手首を取りそのままぐいぐい引っ張るようにして歩き出した。
人波に飲まれそうで怖い。
けれど取られた繋がりを断ち切ろうとする波はなくて、不思議と込み合う波の中をすいすいと進むことが出来るのだ。
そして喧騒の中で前を歩く男が放つ言葉を、何故かしっかりと聞き取れることもとても不思議でたまらなかった。

「まあ今は疑っても信じてなくてもいいや。ルックは近くでいて、見ていればいい」
「…なにを、」
「俺がルックを好きってこと。見ていれば、嘘じゃないってきっとルックにもわかる。証明するよ」
「…………………」

――ああ、また嘘を言っている。
たぶん、ぜんぶ嘘だ。錯覚だと思わなければルックの一線が揺らいでしまう。
なんでこの溢れかえる波の中に、声が埋もれてしまわなかったのだろう。紛れてしまえばよかったのに。
けれどその言葉と引かれる手の熱と背中に、なんとなくわかってしまった。
嘘じゃない…。
アンタが僕を好きだって、こと、
偽りじゃないって信じる日が来るって?
証明、するって?
ああ、それが嘘ならどれだけよかったことだろう。
そのすべての嘘に包まれたなら、どれだけ幸せなことだろう。
零れた願いにルックは満たされる気がした。