本気で怒ってくれて


「うるさいなあ。あんたには関係ないだろ」

魔力の使い過ぎで痛む頭にだるい身体、そして運悪く風邪を引き始めていたみたいでげほげほと咳きをすると、
モンスターを蹴散らしたそいつが近寄ってきて開口一番説教をしてきた。
一々うるさい奴。
面倒だと疲れたから帰るとだけ言って帰路へ足を向けると、途端ぐいっと乱暴に手首を引っ張られてルックは溜息をつきたくなった。
何だよと目だけで訴えると、そこには案の定不機嫌そうなそいつの顔。
しかしルックにはそんな風に睨まれる筋合いはない。
痕が残るのではないかというぐらい強く握られた手を無理矢理振り放し、噛み付くような雰囲気を漂わせながらルックはユンファの肩を押し返す。

「なんだよ、勝手に怒ってさ。誰もあんたに迷惑はかけてないだろ」
「そういう問題じゃないだろ。俺が怒っている理由がわからないほど浅い付き合いはしてないはずだ。
 ルック、お前はどうして自分にそう無頓着、あるいは蔑ろにするんだ」

怒気というよりかは不機嫌そうな声。ほらやっぱりそう言ってくる。
ルックは己の予想していた言葉と逐一一緒なのを聞いてうんざりする。
わかっているのか? と言いたげな目に、ルックは知ってるよと思わず舌打ちをしたくなった。
ユンファが何に怒っているのかなんて知っている。言われなくてもそんなことわかっているが、言葉にされれば逆に腹が立つというものだ。
言うなれば逆ギレである―――が、だんだんと頭痛のひどくなるルックにそれを冷静に処理できる理性はなかった。

「うるさいな。誰も蔑ろに何かしてないよ。どうでもいいだけ」
「言葉が違うだけで意味は同じ。しかも自覚があるだけに尚更たちが悪い。今でもしんだいくせに」
「わかってるなら話しかけるな」

苛々とルックは吐き捨てる。
それでもユンファがぐたぐたと言ってくるものだから、ルックはついにぷちんと緒が切れる音を聞いた――否、うるさくて自分から切った。
問答無用で歩き出し、止まるように言うユンファを肩越しに睨みつけてたった一言、言う。

「僕のことなんてあんたには関係ないだろ」
「…………………」

…その言葉はどんな言い訳をするより、何よりも強烈な威力をもった言葉だった。
視線の先でユンファの顔がみるみる表情をなくしていく。
言葉が出ないほど怒っている時の顔だ。この男は黒い笑みで笑って怒ることもあるが、本気で腹が立つと静かにきれるのだから始末に終えない。ルックはよく思う。
そしてそれはユンファがそうなるとわかって言った言葉だった。
頭痛と喉の痛み、熱い頭と身体に靄のかかったような思考と、
今のルックが望むのは五月蝿いユンファを黙らすことである。だったらこれが一番効果的だとルックは心得ている。

ユンファが口を閉じたのを良いことに、ルックは鼻を鳴らしてその場を去ろうとした――
が、残念ながらそれはできなかった。
血の臭いに釣られてきたのか、涎を垂らして左右の森から魔物たちがのっそりと姿を現し行く手を遮ったからだ。
まったくどいつもこいつもと舌打ちをして杖を構える。
こんなやつら僕ひとりで充分だね。手出ししないでよ。―そう後ろの男へ言うが、返事はなかった。無言。
別に答えを期待しているわけでもないので気にはしない。
ふらつく足を踏み込み、髪を掻き上げルックは挑発するように言う。

「邪魔だからどいてもらうよ。呪うなら僕に出会ったのを運の尽きとでも思うんだね」

言ってルックは遠慮なく得意の風を放った。
ちろちろと舌を出している大トカゲ型のモンスターがそれの餌食となる。
仲間の死に魔物は吠えた。
飛び掛ってくるそれをルックは跳躍して器用に避け、指をすいっと動かす。
刃の車輪が回転しながら魔物を切り裂いた。
風を意のままに操ることなんて息をするのと同じ、造作もない事である。
詠唱に入り風を集めると、ルックはそれを突進してくる魔物に放った。
風の刃は敵を切るとそのスピードを維持したままふたつの刃に別れ、今度は他の二匹を討つ。
たった5分もかからないうちに辺りに死体の山ができた。
辺りを一掃したところでルックは髪を掻き上げ息を吐く。
動いて悪化したのかずきんと痛む痛みに顔を顰める。
――瞬間陰った。見上げると大トカゲが仁王立ちして覆いかぶさっていた。生き残りがいたのだ、咄嗟に理解できたのはそれだけだった。
振り下ろされる長い爪を見る…と、そこで突如親指ほどの石が飛んできて、それは的確に今にも襲いかかろうとする魔物の両目を潰す。
悲鳴を上げる魔物からその方向へ目を向けると、ユンファは石をじゃりじゃりと弄びながらやっぱり不機嫌顔でいた。

「自分に会ったのが運の尽き―だなんて、よく言えたものだな。そこで今にもやられそうな誰かさんの方が、死ぬほど運の数値が低いくせに」

ユンファはそう言って石をばらっと地面に落とすと、瞬時に魔物との距離を詰めその顎を蹴り上げる。
棍を振るい横薙ぎ、鳩尾を付く。
一瞬でユンファは巨大な図体を地面へ倒した。動かないのを確認する横顔に訳もなくルックは見惚れる。

ぽつりと、ユンファが言った。

「だから言ったんだ。自分に無頓着でついでに運もない。なのにプライドは誰よりも高い。
 そういうのを知らないほど、浅い付き合いはしてないって」

きっとルックのことを理解しているのは己であると、ユンファは自負している―――そうであったらいいとは思わない。そうでなければならないのだ。ルックのことに関しては、誰にも引けをとるつもりはない。それはあの島に住む女に対してもだ。譲りはしない。
そして知っているからこそ、身のふりを省みようとしないところだとか誇り高くあるそれが、いつか命取りになるのではないかとユンファは不安になる。
まだそういうことに関しては完全にルックを信用できていない。
しかしもう過ぎた後で後悔するのはたくさんだ。もしルックがいなくなったらと―――…
そんなこと考えたくも仮定したくもないことである。

僅かに翳る胸中に頭を振ってやり過ごし、ユンファはルックの前まで来ると無造作に背を向けて座った。
言うなればおぶって行くというものである。ルックの今の体力では帰路を越すことができないと、見通してのこと。
不承不承との態を表しつつも、仕方ないとばかりにルックは大人しくユンファの背へ乗った。
本来ルックはそうやって気遣われても折れることはない。けれどルックの洞察力と勘は何よりも優れている―長い付き合いをしている相手となれば特にだ。
ルックはユンファの横顔から少しの不安を読み取り、持ち前のそれを行使してその意図を正確に読み取った。
またばかなことを考えているものだと思う。しかしそうやって心配されるのも不安に思っているのも、実は煩わしいことではない。
けれど照れ隠し。そう思っているとバレるのが嫌で、そう言えばきっと調子に乗るだろうからと最もな言い訳を己にして、ルックは思ってもない事を言う。

「疲れたから、運んでよね。できるだけゆっくり」
「…俺がまだ怒ってるって分かってる?」
「分かってるよ、知ってる。……悪かったよ」

ルックはふっと息を吐くように認める。
頭も喉も痛くてずきずきするし苛々する。けれどその背に乗れば、その棘がすうっと溶けていくようでもあった。
一言で言えば、安心する。息を吸い込めばよく知るにおいがした。

先ほどの言い争いがなんだったのか、ユンファの背に擦り寄るようにする背中の相手にユンファははあっと大きな溜息を吐いた。

「報われてるのか、報われてないのか…。
 さっきの話、あとできっちり問い詰めてやるからな」

言ったところで返ってくるのは寝息だ。
ユンファは仕方なくルックの要望通りに、その道をゆっくりと帰っていく。