形あるものはいらない。
そのものを見ると、どうしても思い出してしまうから、
いらない。

そんなこと、言ってたよな。


そんなある



連日の曇りようが嘘のように晴れた午後の日、ホールは朝から人通りが絶えなかった。
ところどころで恋人の姿が見つけられ、それと同時に花束やカードを渡しあう光景も見られる。
なんというか、いつも以上に人が多いくせに妙に静けさのある、奇妙な雰囲気だ。言い換えるなら――甘い空気。
つい苦笑してしまう。
まあ時期が時期だけに仕方がないとも言えるのだが、そういうことに一切関心を持たない彼の機嫌はこの空気に解かされることなく。
ふたりの世界とはよく言ったもので、石版前でも繰り広げられているそれに、気分は降下の一途を辿っているようだった。
会った時から不機嫌そうに眉を寄せている。

「一応これでも戦争中で、ここはその本拠地なんだけどね」

苛々とつま先を鳴らしながら、先ほどからルックはそればかりを言っていた。
それでも石版から離れずにしっかりと役目を遂行している彼は、いつ何時であっても立派な石版守だ。
俺は微笑を浮べる。

「いいんじゃないか、別に。気晴らしがあったって」
「こんな浮かれてるときに攻め込まれたら、ひとたまりもないけどね」
「よく言う。ちょっとやそっとで負けるような軍でもないのに」

同盟軍には解放戦争に参加していた仲間が大勢いるから、彼らの力量はよくわかっている。
盟主が乱さない限り、小さな奇襲を受けてもそう簡単には揺るがないだろう。
それに第一、目に見えず誰よりも負けず嫌いな性格をした心強い方がすぐ隣に居るのに――?
目でそう問えば、ルックは鼻をふんと鳴らした。

「うるさいよ。だいたい、あんたの時はイベント事なんか一切やってなかったじゃないか」
「……まああの時は、そんなこと考える余裕がなかったし」

そのことを言われると、ついつい苦笑が零れてしまう。
あの戦争の時は、一刻も早く終わらせなければと焦っていた。
早く終止符を打たなければ、次に何を失くすのか怖かったんだ、きっと。
ここのゆったりとした空気に触れていると、あの頃どれだけ駆け足だったのかよくわかる。
こんな風に幸せそうな顔も安心した顔も、解放戦争の時は見たことがなかった。
ひとつ、ルックが溜息を吐いて。

「……戦争中なんだから、イベントなんてなくて正解なんだよ。ここの盟主がお気楽すぎるだけで」

だから間違ってはいないよと、そう言われる。

「………そっか」

ルックの、そういう何気ない言葉に何度助けられたことだろう。
本人にとっては何の意図もない言葉でも、それはふんわりと温かい、春の風のような心地を与えてくれる気がする。
感謝を胸の内で呟いたことが何度あったか。

「なあルック、」
「…なに――――っ、!」
「隙あり」

座り込んだまま後ろ手で器用に箱を開けてひとつ取り出すと、言葉を発する為に口を開いたルックの口へ俺はそれを放り込んだ。
反射的に口を閉じ目をぱちぱちと瞬いたルックは、口内で広がったであろう味に不本意そうに眉を顰めて、口をもごもごと動かし。

「…………あまい、」
「そりゃあチョコだし」

先ほどの湿っぽい雰囲気をどこへやら、俺はにかりと笑う。不意をついてやったことだが、ルックが食べただけで大成功だ。

「……おいしいか?」
「不味くはないよ…」
「そりゃよかった。正直菓子作りなんかやったことがないから、あたふた奮闘して作ったんだよ」

焦がしたり、試作品の為に、大量のチョコを溶かして。
実はやっと今日の朝に作り終えたものだった。

「…あんたが厨房に立ってチョコ作ってる姿って、なかなか想像できないよね……って、そうじゃなくて、」

次のチョコを渡そうとすれば出されるままに受け取ろうとしたルックは、はっとわれに帰ってさっと手を引っ込めた。

「そうじゃなくて! あんた何勝手に人の口に入れてるのさっ!」
「そりゃあ普通に渡しても素直に受け取ってくれなさそうだから、不可抗力ってやつ?」
「――なんで僕が受け取らなきゃならないんだよ! 大体なんでチョコなのさっ」

顔を赤くして言い募られても俺は悪びれる様子もなく。

「だってルック言ってただろ、『形があるものを貰うのが嫌だって』」
「…言ったけど、それが何さ」
「だから花とかカードとかじゃなくて、食べ物にしたんだ。食べたら終わり、跡も残らないだろ」

今日という日に何か贈り物をしたかったがルックの言葉を受けて、それならばと思いついたのがこれだった。
意外と甘党だし、疲れたときや苛々した時に甘いものは良い。

「――…安易」
「あんまし眉寄せてると、戻らなくなるぞ」

笑って残りのチョコが入った箱を手渡せば。
ルックは交互に顔を見合わせて、不本意そうな表情を見せながらもそれを受け取ってくれた。
それに自然と笑みが深まり、俺は柄にもなく嬉しそうに笑う。
するとルックは顔が背けて、そのままこちらを向こうとしなかった。
薄茶の髪から見える耳が、しっかりと赤いんだけどな。