「これ、どうぞ」

 そう言って少女から渡されたのは小さな麻袋。
小さな村の盗賊団を討伐するため、指揮官として出向いていたルックがそれを受け取った。
「盗賊を退治してくれたお礼に」
と渡されたそれを、ルックは当然「いらない」とつきかえそうとしたのだが、
けれど結局押し切られてしまい受け取る羽目になってしまった。

「素直に受け取るなんて珍しいな」

 報告書の書類と一緒にそれを渡すと、ユンファが笑ってそう言ってきた。
「返す暇がなかっただけだよ」と本当のことを言っても、少年はてんで信じていないようで。
へえと相槌を打って、一通り報告書に目を通すとユンファが植物の繊維で編んだ麻袋の紐を解く。
ちゃんと人の言うことを聞いているのかとルックは苛っとしたが、
 ―けれどその時、袋の中身を見たユンファの顔が一瞬強張るのに、ルックは目敏く気付いた。
「どうかしたの?」と聞くと、「いや……」と珍しく口を濁す。何かある証拠だ。



ほどき



 ルックが打ち合わせのため特務室を訪れると、ドアを開けると同時に場所にそぐわぬ騒がしい声が聞こえてきた。
もう見ずとも誰がそこにいるのかわかってしまうぐらい聞き慣れた、言わずもがな漸く落ち着いた軍主と放蕩息子である。
ルックは扉を最後まで開ききる前にうんざりしてしまう。
どうして四六時中こいつらと顔を合わせなければならないのか。
このふたりと共にいて、用事が早く終わったことがない。
ルックとしてはさっさと話を済ませて、昨日紐解いた魔術書の訳解をしたいのに。
運の悪さには嘆くしかないだろう。
 ユンファへ昼食を運んできたらしいシーナが、出来立てのチャーハンとスープの乗った盆を机の上に置いて、やっと俺が勝つ時が来たなどと言っている。

「今日でパシリともおさらばだぜ。これは俺の地道な聞き込みの賜物だ」
「今日はえらく自信満々だな、シーナ」
「ちゃんと証言があるからな。マリーさんがやっと思い出してくれたからばっちりだぜ。お前、昔しいたけが苦手だったんだって?」

 ルックがやっと扉をくぐって中に入ると、ユンファが珍しくシーナの言葉に言葉を詰まらせていたところだった。心なしか表情も固い。
シーナはそれを勝利への確信だと捉えて、得意気な笑みを口元に浮べる。

「ユンファ、これで賭けは俺の勝ちだな」
「………………」
(……呆れた、アンタたちまだそんなことしてたわけ?)

 2週間ほど前、『お前って嫌いな食べ物とかないの?』というシーナの問いかけがきっかけだったはずだ。
当時ユンファの告げ口によりレパントから盛大に説法されるという羽目になったシーナが、どうにかユンファに一矢報いたいという思いから口から出た言葉であった。
石版を見ていたユンファはシーナには視線をくれず、「あるけど言わない」と曖昧な答えを投げよこしてきたのだ。
否定はしない言葉に食いついたシーナは、「それじゃあ勝負しようぜ」と意気揚々と挑戦状を叩きつけ、ユンファの嫌いな物を突きつければシーナの勝利というこれまた馬鹿げた勝負も持ちかけたのだった。
 この前石版を訪れた際に23戦23敗とシーナがぼやいていたから、当に諦めたのかと思っていたのだけれど。
まだまだ子ども事の賭けは続いていたらしい。

 この男がそう簡単に弱点などバラすはずがないのに――。
ルックは隠すことなく溜息を吐いた。
けれどそれを止めようとはしない。
シーナだっていつまでも決着のつかない勝負を続けるような忍耐の強い男ではないのだ。
むしろ勝てないとわかるとあっさり手を引くほうである。
 なのにこうやっていつまでも構ってくるのは………口で言わないけれどユンファを気遣ってのことなのだ。
シークの谷の一件以来何か明るいことでもやったらいいという、シーナらしいともとれる慰めだった。
そんなシーナの裏の気持ちをわかっているから、ユンファも何も言わないでずっと付き合っている。
漸く落ち着いてそんな気遣いを素直に受け取るのが、今のユンファにはちょっとこしょばゆい。


「長かった戦いは、俺の勝利という名の下で今終止符が打たれようとしている」

 高らかとシーナは勝利を歌い上げた。
 暫し固まっていたユンファはゆっくりと蓮華でスープを掬い―、

「シーナ、まだまだ甘いな」
「へ? あ、ちょ! 」

 何事もないかのように口元へと運んだ。
愕然とするのはシーナだ。

「お前何普通に食べてるんだよ! しいたけ入ってるんだぜ、そのスープ!」

 ユンファは二口目を口にして、さらりと言った。

「こんなもの当に克服してるって。マリーに聞いたのは昔の話だろ。
 だいたい、俺が人に聞いてわかるものを勝負の答えにしてるはずないんだよ」
「………んーだよ、くそ! じゃあしいたけもお前の嫌いな物も…、」
「まあ好きじゃないけど普通だな。もちろん俺の嫌いな物なんて誰も知らない。 シーナ、36連敗だ」
「……あ〜…ぜってーこれだと思ったのに…」
「アンタたちバカだろ」

 絶対的な当てが外れて呻くように頭を抱えるシーナを後目に、ルックが呆れたと言わんばかりの目を向けた。
さっさとスープだけを完食してニヤリと笑むユンファにシーナは完全に肩を落として脱力する。
だからこの男の嫌物など、そう簡単にわかるわけないのだ。これだけ付き合ったならわかっているだろうに。

「あ〜あ、そろそろあいつも根を上げるだろうな。なあ、ルック」
「知らないよ。アンタもしいたけを嫌いなふりするなんて、阿呆じゃない?
 まあアンタたちはいつまでもそうやって馬鹿やってたらいいと僕は思うけどね」
「ルックは相変わらず辛辣な口ぶりで」

 バタンとシーナが立ち去ってから、ユンファが楽しそうに笑った。
シークの谷以降自暴自棄さながら荒れていたあの時を考えれば、考えられない笑みだろう。
ユンファの根元はもう何事にも揺るがない、しっかりとしたものとなった。ルックはそのことにどことなく満足している。
いやルックだけではない、この城の全員がユンファの歩む先を楽しみにしているのだ。
この背中をどれだけの人たちが乞い願い希望を託して見ているのか――知らないのはきっとこの男自身だろう。
 書類を手にしたユンファを尻目に、知ったとばかりに部屋の隅にある棚まで行ってルックはしまわれていた麻袋を取り出した。
渡した時と変わらない重さ。
思った通り全く手を付けてない上に、どうやら誰にもこの袋の存在を言っていないようだ。
城の噂話は風よりも早いから、誰かひとりにでも漏れれば、シーナとの賭けにも影響してくるからだろう。

「ねえ、シーナとの勝負って勝者には何か特典でもあるわけ?」
「聞ける範囲内の願いをひとつ、だな」

 書類にサインをしながらユンファがそう言う。背を向けているルックが今、何を手にしているのかなんて気付いていないようだ。

「じゃあこれ」

 ルックは紐を解いて干しぶどうの入った麻袋を机上へ置く。
ユンファの視界に入った途端、ペンをインクに付けようとしていた手が面白いぐらいにピタリと止まった。
 悪戯を仕掛ける子供のような笑みを浮べて、ルックが勝ち誇ったように言う。

「アンタの嫌いなものって、これだよね。僕、本が読みたいから休みが欲しいんだけど」
「………………なんで、わかったんだ」

 青ざめた顔。口ごもった声。こんなのもしかしたら初めて見たかもしれない。いいものが見れたと、ルックは笑みを崩さなかった。
 勝者の余裕の笑みに、ユンファはやられたと深い溜息を吐くしかない。

「いつから気付いてた?」
「アンタにこれを渡した時」
「……誰も知らない秘密だったんだぞ」
「へえ。それは光栄だね。じゃあ僕の勝ちだから休みくれるかい?」
「ルックとの勝負じゃないって言っても、どうせ告げ口するって言ってくるんだろ」

 滅多に聞かない軍主の敗北宣言に、ルックは笑みをもっと深いものとする。
 こんな時だけ年相応な顔を見せて――。
 ユンファは言い表せない気持ちと一緒に大きく溜息をついて、ぐったりと背もたれに体重を預けた。

(……まあいいか。ルックには他にもいろいろ情けないところ見られているし)

 ちらりと目を向けると、本が読めるからか軍主の弱みを握ったからか、目が合って、えらく上機嫌そうにルックが笑った。
 教えたことを後悔するのは、もっと先のことだが。ユンファは仕方ないなと、ルックにつられ笑うのだった。