キミのあした


 ゴーン、ゴーンと何処からか除夜の鐘が鳴っている。雪がチラチラと舞い、息を吐けば白く濁る。
 土方はポケットに手を突っ込んで誰もいない年の暮れの街中を歩いていた。
 明かりが漏れた民家から賑やかな笑い声が聞こえて、隣の沖田が視線を向ける。
 楽しそうですねィと言って、コートのフードを被った沖田がにししと笑った。
 土方は煙草を吸おうか迷って、結局冷たい空気の中に手を出すのが億劫で止める。変わりに吐いた息は白く、溶け込むようにすぐに見えなくなる。

「賑やかさなら俺たちも負けてねぇだろ」
「確かに。今頃屯所の宴会じゃあ近藤さんたちが腹芸でもおっ始めてる頃ですかねィ。俺も一緒に腹芸したかったなァ。だれかさんのせいで買い出しする羽目になっちまったけどー」
「それはこっちの台詞だ。巻き込んだ張本人は誰だよ」

 睨むと関係ないとばかりに知らぬフリを決め込む子どもがひとり。ツンとそっぽを向いている。

 宴会で適当に飲んでいるとどういう流れになったのか総悟が酒の調達に任命されて、その総悟から道連という指名を受けたのが土方だ。
 総悟が土方を選んだ理由は外の冷たさをひとりで味わうのが嫌だったからだろうが(そこでまだまだガキだと土方は呆れる)、土方が大した反抗もせず付いてきたのは土方にとっても願ってもいないことだったからだ。

 ひょんなことからふたりっきりになって、土方はふと隣の総悟を見下ろした。なんとなく、本当になんとなく頭を撫でてやろうかなんて思ったが、フードが邪魔で髪に触れそうになくてやっぱりやめる。
 持ち上げていた手をふと眺めた。
 昔は腰ぐらいの大きさで肘と腕を少し上げる程度だったのに、今は自分の顔の位置まで腕を上げなくてはならないと、今更ながら総悟の成長ぶりを再確認する。それは妙な感傷も伴っていた。

(こんなことを思うのも除夜の鐘が鳴っているせいだろうな)

 らしくないとひとりごちる。
 と、それが聞こえたわけでもないだろうに空色の瞳が突然土方を見上げた。眺めていただけにがっしりと視線が合わさって、内心土方が慌てる。顔は平素を装った。

「ンだよ」
「そろそろ凍死するんじゃねェかなァと思って」
「そんなに柔じゃねえよ」
「なんだ、残念」

 総悟の言葉は仁辺もない。
 こっちがこんなことを思っているのになんだか損な気分だ。総悟と居ると何度も味わうそれ。
 土方がはあと息を吐く。

「俺が倒れたら犯人はお前しか居ないよな」

 総悟は首を縦に振った。

「そうですねィ」

 総悟の答えは意外にも肯定で、珍しいこともあるもんだと土方が総悟を見る。亜麻色の子どもが笑って、先に続く静かな一本道を見つめた。

「今ここには俺とアンタしか居ねェよ」

 誰の姿もなく誰も居ない世界に雪が降る。
 俺たちしか居ない。

「そうだな」

 土方は真っ直ぐと前を向いて知らないフリをしたまま片方の手をポケットから出して何食わぬ顔で総悟の指と絡めてみた。
 総悟がひとつ大きな目を瞬いて不思議そうに土方を見やる。こんな往生で何をやっているんだと言いたげだ。土方だってそう思う。けれどここには俺たちしかいないのだから、今だけはこうやって人の目も気にせず真っ直ぐと道の真ん中を歩いても罰は当たらないだろう。
 総悟は土方の顔と絡めた手を見やって、くすぐったそうに笑った。

「土方さんの脳ミソが壊死してらァ」
「うるせえよ。ったく、テメーにはムードってもんが全然ねーな」
「あはは。俺らの間にいつンなもんがあったっていうんです」

 ない。ないさ。昔から何も変わりやしない。
 干渉に浸る土方の耳に総悟の声がする。

「俺たちは普通じゃねェんですよ」
「…? どういう意味だ」
「特殊ってことです。性別も性格も関係も。一般的な尺度で計るのが間違ってまさァ」

 そう言って可笑しそうに笑う声にどこか諦めがあるような気がして、土方は総悟をじっと見つめた。
 こうして見ていると昔姉に甘えたくても甘えられず唇を噛んで我慢する小さな子どもを思い出した。そういう時近藤は総悟を持ち上げてあやしたり一緒に遊んでやったりしていたが、それは土方には到底マネ出来ないことだった。何か言葉を吐けばそれで余計に子どもを怒らせるから、あの時もこうやって上から丸い頭を見下ろしていた。
 しかし今は違う。あの時にはなかった線で今は繋がれている。

「総悟」

 土方が呼ぶ声は何時もより幾分柔らかかった。
 それに引っ張られるように総悟が土方を見る。正月は何がしたい?とその口は問うた。

「正月?」
「ああ。正月だ。何がやりたい?」
「何がやりたいって…」

 突然そんなことを言い出した土方の意図が全く分からず、総悟は不思議そうに土方を見て、やがて本当に悩みだした。ううんと唸る。

「正月…正月…」
「ンな難しく考えるなよ。思い付いたことを言え」
「じゃあ初日の出が見てェ。どうせなら高いところから街を見下ろしたりして」
「それで?」
「初詣も醍醐味ですよねィ。今まで古びた神社でお詣りするぐれェだったからもうちょっと活況がある所に行ってみてェ」
「どうせ屋台に飛び付くんだろう」
「それも醍醐味ってやつでしょ。正月ぐらい景気よく金を使わねェと。あ、心配は無用ですぜ。土方さんからのお年玉を使うんですから」
「何言ってやがる。お年玉なんてとっくに卒業だ」

 本気で言っている土方の声に総悟が笑う。
 土方は指を絡めたまま、一定の間隔で響く除夜の鐘に耳を澄ませてなぞるように言った。

「初日の出に初詣だな。じゃあ買い出しなんかサボッてこのまま行くか。日の出は日が昇るまで起きて初日の出を拝めばいい。屯所の屋根からでもそれなりに見えるだろ」

 すらすらと立てられる予定に総悟は大きな目をひとつ瞬いた。

「何言ってんですかィ。俺らに正月なんてないでしょ。それに一般的な尺度で計るなって言ったばかりじゃねェですか」
「なんで?」
「なんでってだから、」
「頭悪ィんだからそういうのは難しく考えるな。一般的な尺度ってなんだよ。こんなの必要なモンなんてふたつしかねえだろ」
「ふたつ?」

 土方がふっと白い息を吐き、前を向いたまま分からねえかと言った。

「俺とお前が居りゃ十分だ」


 ゴーンと、どこか遠くで鐘が鳴る。降る雪が柔らかく積もる。
 瞬きさえも忘れた総悟は穴が開くんじゃないかと思うほど呆然と土方を見つめ、やがてプッと小さく吹き出した。

「臭ェ。土方さんマジ臭ェよ。あーあーこれだから遊び慣れた人は困りまさァ。臭い台詞とつ言えば決まると思ってやがる」
「ンなんじゃねーよ」

 ぶっきらぼうに呟いて、ひらりと繋いでいた手を離し、ポケットに両手を突っ込んで土方は先を急いだ。
 けらけらと笑って目尻に浮いた涙を拭いながら総悟がチラリと土方を見る。
 よほど恥ずかしかったと見える。少し猫背になって歩く男の背や態度、言葉が素っ気なさを装おっているが、長い時を経て培われた総悟の対土方用千里眼には土方の羞恥心が手に取るように分かった。

「土方さん」

 名前を呼んで男を追いかけた。

「土方さん」

 隣に付き下から覗き込むように顔を見上げる。
赤く染まっているであろう顔を拝んでやるつもりだったが、それは失敗に終わった。
 見上げると同時にいやそれよりも早く、急に抱き寄せられた。反動でフードが取れる。後頭部を手で支えられ、肩口に寄せられればほらもう見えない。

「からかうな」
「またムードがねェって言いたいんですかィ? だから最初からねェって言ってるじゃねェですかィ」

 けれど顔は見えなくとも土方の拗ねた声が耳のすぐ傍で聞こえて、くすぐったそうに総悟が笑う。
 その時、道に沿う家々から歓声と拍車が聞こえた。空を引き裂くように火種が上がり、パァンと大きく花開く。
 冬の空に大輪の花火が咲いた。
 年が開けた。
 余韻どころか感慨もないあっさりとした年明けはらしいと言えば彼ららしい。

「あーあ、せっかく年が変わる瞬間にジャンプしようと思ってたのに、土方さんと抱き合ったまま変わっちまった」
「…テメーは文句しか言わねえのな」

 ムードを作るどころか破壊上等の総悟に土方がため息をつく。抱き締めていた腕の力を緩めて体を離そうとしたが、何故か総悟が土方の首に飛びついてきた。

「ぐえ」

 首が閉まる。
 素っ頓狂な声が出る。
 苦しい苦しいちょっとギブ。
 今度は総悟に頭を抱き抱えられる形になり、本当にコイツは突拍子もないと呆れ半分のため息をついて、目の前にあるその頭をポンポンと叩いてやる。

「なんだよ、突然」
「土方さんは臭ェ台詞を言うくせに鈍感でいけねェ」
「あ?」
「俺がなんの為にアンタを指名したと思ってんですかィ?」

 総悟の言葉に土方は一瞬期待した。しかしすぐにそんな甘い展開があるわけないと思い直して。

「お年玉貰う為だろ」

 なんて拗ねる。
 ヘタレでいけねェ。内心で総悟は笑う。

「年が変わる瞬間ぐらい、救いようのないマヨラーと一緒に居てもいいかなァと思ったからでさァ」

 腕を緩めて土方の顔を窺うと、大の大人が子どもの言葉に翻弄されて照れていた。仏頂面の眉をますます寄せているから怒っているように見えるが、これで案外照れている。
 ムードも雰囲気も全く気にしない。色気のあることなんて何も言わない。けれどふとした時に零れる言葉がグッとくる。深くふかく刺さる棘。貫かれた場所から温かく灯る。

「今年はどんな手で土方さんを陥れようかなァ」
「言ってろ。俺はテメーにはやられないから」

 けれどきっと、もう抜け出せないところまでは落ちている。
 共に歩いてふと立ち止まり、視線を絡ませてどちらともなく近づき零距離へ。キスを交わす頭上で響く鐘の音。
 今年もキミ色で染まるのだろう。
 証拠も確証も何もないのに、自然とそう思えるのだから全く本当に、たまったもんじゃない。けれどどうしてか心地よさは否めず、口付けを交わしながら総悟は回した腕に力を込め、土方は亜麻色の髪を梳いた。

 うっすらと積もった雪にふたりの足跡が残っている。
 今年も共に歩いていく。