中合わせ


 死んでくれないかなァこの人。
 物騒な独り言は、最早誰も本気にしてくれない。山崎はまたですかぁ?なんてしょうがないみたいに笑って、近藤さんは「総悟はトシに構ってもらいたいんだな!」なんて素っ頓狂なこと言うし、当の本人は焦るわけでもなく「死ねって言ったお前が死ね」、なんてさらに物騒なことを煙草片手にのんびり言う。
 誰も相手にしてくれない。本気なのに。本気で、俺ァいつか土方さんを亡き者にしてやろうと誓っているのに。
 俺の呪いの言葉はなんでこんなにも誰の耳にも留まらないのだろう。

「土方さん、ちょっと死んでくれやせん?」
「この状況で、なんでそのちょっと感覚が出るのか俺にはわかんねー」

 土方さんはそう言って長い溜息を吐いた。なんでって言われてもそう思ったから俺は言ったまでだ、腹が空いたから腹が減ったと言う、その心理と同じでそこに深い意味などないのに、問う土方さんがおかしい。そんなどうでもいいことを、俺は心理学者になったみたいにごちゃごちゃと考えている。
 俺の背には土方さんが居た。同じように土方さんの背にも俺が居ることになる。言わば俺達は背中合わせに立っていて、どこから嗅ぎ付けて来たのか攘夷の連中に四方八方を取り囲まれていた。暇してんなァと思う。数に頼る時点で相手の力量なんてだいたいの想像がつく、俺はすでに抜いていた愛刀の感触を確かめて、絶対土方さんより数を捕ってやろうとひとり取り分を目で測っていた。

「ってかほんとお前と居ると碌なことがねえのな。昼飯奢らされるしこんなことになってんし。なに? ひょっとして疫病神?」
「別に最後のは関係ないでしょうよ。食後の運動になっていいじゃないですか。アンタ最近内勤ばっかで運動不足だし」
「うるせぇよ。主に誰の始末書だと思ってやがんだ。だいたい内勤ばっかって、近藤さんも似たようなもんだろ」
「近藤さんは姉さん追い掛け回すのに毎日が戦争ですぜィ」
「…それもそうか」

 戦う前の意気込みなんてその瞬間にならないと何の意味もない。気合を入れたり力みすぎたらかえって裏目に出るから、俺は刃と刃とぶつける一瞬になるまでは平素を保つようにしている。その一線がきたら爆発するように、ゆっくりとギアを入れ替えて戦いに飢えた獣の手綱をその時までしっかりと持っておくのだ。多分それは土方さんもおんなじ。
 なのにその会話を余裕と感じ取ったのか、連中はいつまで経っても仕掛けて来なかった。こういう場合先に仕掛けた方が負けだと知っているから俺も土方さんも相手が動かなきゃ動かない。動けない。だから俺の、戦い仕様にビンビンに研ぎ澄まされた意識はさっきから一番近くに居る土方さんを意識してしまってしょうがない。
 土方さんの背中は大きかった。そりゃァ俺が近藤さんを金魚の糞みたいに追い掛け回していたあの頃と比べればだいぶ近づきはしたが、それでもやっぱり土方さんの背はデカくて高さも広さも俺ァ未だに勝ることが出来ていない。それもまた気に入らない要因のひとつだった。そんな背中が、すぐそこにある。

(ったく、俺の話を聞いてないんだろうなァ、このマヨラー。俺はアンタを殺したいって言ってんのに)

 そう、例えば振りかって一閃すればあっという間に方が付くのだ、振り返ずとも愛刀を逆手に持ち替え腕を後ろへ振れば、もうただそれだけで。
 (この人は死ぬ)

「…………」

 ぞくぞくした。


 気づけ土方十四郎。お前のすぐ近くに、お前の命を歯牙にかけようと狙っているヤツがいる。ほら、すぐ後ろにいるぞ。だからそんな簡単に背中を見せるな。
 お願いだから、つぎはぎだらけの俺をそんな簡単に信用しないで。

「…殺したくなる…」
「あ?」
「土方さん。アンタ、俺にも狙われてるってことをお忘れにならないほうがいいですよ。後ろからざっくりといかれても知りやせんぜ」

 俺は真面目に忠告してやってんのに、背中越しの男は動揺のどの字も反応しなかった。

「ハン。誰がテメェーになんか殺られるかよ。それに、この状況でお前はそんなことしねェよ」
「…なんですかィ、その自信満々な言い方は?」

土方さんが微笑う気配がした。口の端を上げて、敵は目の前の連中だけだと言うように刀を構えて、いつも通り瞳孔が開いた目で真っ直ぐ前を見据えてなんにも疑わない、確信に満ちた声で土方さんが言う。

「テメェは俺を裏切らないだろ、総悟」

 ああ。

 嗚呼殺してやりたい。死んでしまえば俺は何にも惑わされなどしないのに。揺るぎなどしないのに。この人に恋などしないのに。
 それでも無条件の信頼がこしょばくて不思議で、でもどこか心地良くて。近藤さんの信頼とはまた違う嬉しさに俺の心臓がひとつ跳ねた。

(嬉しい、だって)

「じゃあ土方さん、せいぜいみっともなく死なねェように頑張ってくださいよ」
「言われなくてもそうするわ。…総悟、お前もな」
「誰に物言ってんですかィ」

 俺は真選組一番隊隊長沖田総悟だ。
 タンッと地面を蹴った音は、清々しい青空に消えていった。