おんぶ
出稽古といって、別の道場へ出向くことがあった。田舎だから車なんてあったもんじゃない。交通手段は専ら徒歩で、荷物を背負って朝早くから出て行っては夕刻頃同じ道を通って戻って来る。行き帰りだけでも結構疲れるのだと誰もが口を揃えて言った。
そんな出稽古の話があると俺は近藤さんに誘われて、一緒に同行することが多かった。疲れる旅だが近藤さんの誘いなら仕方ねェ。近藤さんには恩義があった。
なのに何をどう見て勘違いしたのか、どこからか出稽古の話を聞きつけては生意気なガキが「土方てめー抜けがけすんじゃねえよッ!」と突っ掛かってくるのだ。アホかお前、俺たちがピクニックにでも行くと思ってんのか、なんて言ったところで聞きやしねェ。
結局総悟が近藤さんにせがんで、その時の出稽古は三人で出向くことになった。けど俺でも疲れる悪路を子どもの総悟が乗りきれるわけでもなく、へとへとになった総悟のスピードはちょっとずつ遅れていった。それでも総悟は根を上げない。ついに見かねた俺が手を差し伸べた。
『大丈夫スか沖田先輩』
『…………』
『無言かよ。てめー人がせっかく、』
『ハッハッハ、総悟、俺の背中に負ぶさらねェか?夕日が綺麗でな、総悟の背じゃ見辛いだろうが俺の背中からだったらよく見えるぞ。な、トシ。美しい夕日だと思わんか』
『あ?あァ、そうだな』
近藤さんは総悟の扱い方をよくわかっていた。総悟は小せェくせにプライドは誰よりも高い。多分俺みたいに普通に手を貸してたら例え近藤さんでも総悟は頷かなかったのだろう。近藤さんの背中に負ぶさって夕日が綺麗だとはしゃぐ、総悟を見て俺はどことなく敗北感を感じていた。子どもはいつまで経っても俺に笑いかけない。その時ずっしりと近藤さんから渡された荷物が重く肩にのし掛かったのを、俺は今でも覚えている。
「ちょ、死ぬ。だァ!いい加減にしやがれッ!なんで背負ってやってんのにお前は俺の首締めてんだ!落とすぞコラ」
「冗談の通じないお人でさァ」
「通じねェよ。こっちは窒息する一歩手前だよ」
「ちなみに土方さん、俺を落としやすと余計に首が締まりますよ」
「お願いだからじっとしてて総悟くん」
総悟がそこでやっと俺の首から手を離して大人しく肩に手を置き直した。まったく、この子どもといると毎日がデンジャラスだ。命がいくつあっても足りない。
煙草が切れたから夜中に散歩がてら出掛けたら、二回もの奇襲を受けた。一回目はコイツ、今俺の背中にいる沖田の仕業で、買ったばかりの煙草がそこで犠牲となった。そして二回目が本当に攘夷派のヤロー共で、どっから付けてきたのか俺と総悟に襲いかかってきたのだ。運がねェとはこの事だ。風呂にだって入ったっていうのに、大人しく屯所に居りゃあよかったと俺はその時深く後悔した。
しかも面倒なのが総悟が足を怪我したことだ。戦闘中じゃなくて終わった後で蹴躓いてガラスの破片で切ったというのが如何にもコイツらしい。車を寄越してもよかったが夜ということもあって、俺が総悟を負ぶさって屯所に戻る途中だった。
(しかしよくコイツ、抵抗もなく俺におんぶされてるよなあ…)
「あ、見てくだせェ土方さん。綺麗な月ですよ」
「ん?ああ、そうだな」
月は真ん丸な満月だった。天人が往来するようになっても、その美しさは変わらない。
「そういやァ小せェ時背中から見たのは夕日でしたね。ほら土方さん、覚えてやすかィ?出稽古の時、近藤さんと土方さんと俺の三人で出掛けて」
「あー覚えてるよ。自分から付いていく!って喚いたわりには帰りへとへとで近藤さんに背負われてたよなーお前」
「小せェ時なんで勘弁してくだせェよ」
その時を思い出したのか背中の総悟が微笑う気配がした。
俺も月を見ながら思い出していた。実はあの時、近藤さんの背で寝ちまった総悟を渡されて、俺は今よりも昔にコイツをおんぶしたことがあるのだ。総悟は寝ていたからしらない、その時のことを思い出して急にあの頃を懐かしく感じた。
軽かった、背中の重みは若干の軽さがあるとはいえ今では一人前。ぷらぷら揺れていた足は今では抱えることが出来て、肩までしか届かなかった手は俺の首を絞めれるほど長くなった。成長した…なんて……
(待て待て待て待て。俺はコイツの父ちゃんでも何でもねェぞ。なんでそんなのに感慨深く浸ってんだ俺は)
「そういえば土方さん」
「ッ!な、なんだよどーした」
「なんですかィ、その妙な挙動不審っぷりは。まァいいや。そういやァ思い出しましてね。俺、昔もアンタにこうやって、負ぶさった時がありやしたよね」
「…さあなあ…。俺は覚えてねーよ」
「ほら、俺が近藤さんの背中で寝ちまった時、近藤さんから渡されたでしょう」
覚えてないと言ったのに総悟は俺の言葉を聞いていないのかひとりで喋り始めた。まるで俺が覚えているのを見透かされたようで居心地が悪い。人の気も知らないで楽しそうに総悟が喋る。耳元で喋るもんだからいつもより声が近くて。
「俺実はあん時起きてたんですよ。寝ぼけ様だったんですけど、すぐにこれは土方さんの背中だって気付きやした。蹴ってやろうか首絞めてやろうか悩んだんですけどね、不覚にも俺は寝ちまったわけで」
そう言って総悟が笑う。
と。総悟がギュッと首に手を回してきて、そのまま俺の首元に顔を埋めた。癖のないさらさらの髪が頬に当たって、俺は何故かむず痒い気持ちになる。
くぐもった声が夜に響いた。
「不思議なことにアンタの背中、居心地がよかったんでさァ」
その声は俺の中にも響いた。
(なんでだよ…)
なんでそんなこと、今言いやがるんだ総悟。
総悟の声に喜びを覚える俺を、俺は内心で叱りつけた。反応してはいけないと俺の何かが叫ぶ。そうしなければ、長年保ってきた何かが音を立てて崩れ落ちる気がしたからだ。
俺はコイツに憎まれている。嫌われている。それでいい、それだけでよかったんだ。
そのはずなのにいつの間にか、放っておけなくて隣にいるのが当たり前で、いつの間にかこんなに大事な存在になっていた。友や同志というのとは違う、弟というには余計な感情がくっついている。
古い付き合いで止めておけばよかったんだ。それなのに。
(どうして俺は総悟なんかに…)
特別な感情を抱いてしまったのだろう。
「…俺はお前をいっそのこと振り落としたいところだけどな」
「あらら、嫌われたもんだ」
嘘を付いてこの感情を隠すのがやっとだった。対する総悟の、さして気にしちゃいないようにポロリと零れた言葉がひどく気になった。
ああそうだよ、いっそ俺だってお前の嫌いになれればどれだけ良かったか。
俺はこの背中の重みが、心底いとおしいというのに。それなのに。
けれどそんなこと、言えやしない。