羽根狩り
心強い背中だった。男にしては薄い体でも先頭を切って敵地へ乗り込んで行く様はまさに鬼神――一騎当千が如く次々と敵を薙ぎ払ってゆく姿に俺は、ここだけの話軽く酔いしれる時もあった。
どんな窮地でもそいつの剣技と横柄な態度は変わらない、それさえあれば俺たちはどんな相手だろうと負ける気がしない。そいつと俺が近藤さんを守って、憚る敵は問答無用で断ち切って、そうすれば俺たちの真撰組は永遠で、ずっとそれが揺るぎないものだと信じてた。
それなのに
『もうこれ以上は無理でしょう。私たちとて万人じゃない、救えるものなら助けてやりたいのですが、こればっかりは手遅れとしか…』
『トシ、オレは辛くて悔しくて仕方ねえよ。痩せたアイツの姿を見るたんびに、オレは自分が不甲斐ない』
『土方さん、空ってあんなに遠かったんですね。あーこれからまとまった休みが取れるんで夢のようでさァ』
なんの、
『沖田隊長が倒れました…。結核です』
なんの話をしているんだ?
底冷えするように寒い冬の昼下がりだった。ギシリと踏みしめた床板までもが凍りついていて、あの日から屯所は賑やかさを失っている。もう暦上は春だっていうのに、寒波の影響で今年の桜は遅咲きだと山崎がぽつりと言っていた。それはきっと屯所も同じで、春は、来ない。
今まで足が良く通ったことなんてなかった、どちらかというとアイツが刀携えて襲って来るかからかいに来るのがほとんどで俺から出向くときがあまりない、そんなアイツの部屋へ俺はこのところ、用もないのに毎日顔を見せに行っている。
なんでィ、また来やがったのかよ土方。
そう言って笑いやがる様はいつもと同じだ。けれども布団から覗く腕や顔が痩せこけていて俺はどうしようもない気持ちになる。
これはほんとうにあの、いたずらをして笑って走り回っていた子どもなのだろうかと、俺の何処かが疑う。
「調子はどうだ?」
「ヘィ。別に悪くはねェです。土方さんはサボりですかィ?」
「なんでだよ。俺はちゃんと終わらして来たの。誰かさんが破壊活動なんかしねえから、書類の量もかなり減ったんだよ」
「はは、寂しいでしょ」
俺はドカッと布団の傍らに腰を下ろした。その間にはかれた総悟の言葉にはなんの反応も示さないように心がけて、その裏で総悟の言動にいちいちびくついている俺がいる。
コイツが布団の中から出られないようになって、もうどれくらないになるのか。そんなことを考えてカレンダーを探したが、総悟の部屋に日付がわかるものはなかった。総悟がぐちゃぐちゃに破いて暴れたあの日から、この部屋にそういった類の物は置いていないのだ。なんでだよ、と暴れながらコイツは叫んでいた。なんでだよ、俺はまだやりたいこともしたいこともあるし、もっと俺は、俺は。そう叫んで、近藤さんにグッと懐に抱き締められるまで暴れた、総悟の姿を俺は忘れられない。感情をあそこまで爆発させたのは長い付き合いでもそれが初めてで最後だったからだ。余命を宣告されて体が思うように動かなくなって血を吐く度に愕然とする、そんな総悟の気持ちを、俺はわかってやることが出来ない。俺は今まで通りに動いて仕事して、昨日と変わりない今日を生きて当然のように明日を迎えるから、考えても想像しても、きっと総悟の心情を読み取って一緒に哀しみを分かちやってやることは出来ないのだろう。
でもそれでも、総悟がそう遠くない未来に居なくことは事実で、それを覚悟しなくてはならない俺の想いだって、きっとコイツには想像することが出来ない。
俺が、どれだけこの子どもを想っていたなんて、総悟は夢にも思っていないのだから。
「何か…行きたい場所とかあるか?」
「なんですかィ、急に」
「いや見たいものとかやりたいことでもいいんだが」
「――ああ、今生の見納めにってやつですか」
違うそうじゃない、そんな弁解が口から出ることはなかった。だってその通りなのだ。最後のさいごでどんなちっぽけなことでもいい、総悟の願いを叶えさせてやって、幸せだと、よかったと感じてくれればいい、そんな利口的なことを考えている俺は最低な大人なのだろうか。
そうですねェと総悟が力なく瞼を閉じて呟くその先の言葉を、俺はじっと待っていた。海が見たいとこの前はぼやいていた、武州に帰りたいのかもしれない。仕事なんてこの際二の次で、俺は何処でも、どんな願いでも叶えてやるつもりでいた。叶えてやりたかったんだ。けれど総悟の言葉に俺は愕然とした。
「じゃあねェ土方さん、俺に隊服と刀を返して。んで捕物の時、俺を連れてってくだせェ」
ボロボロな体でそう言った。
「こんな体で戦えるとは思ってないですよ。だから真選組の足手まといになると判断したなら、隊服はいりやせん。なんだったら除名してもいい。けどね土方さん、俺ァ病に負けて死ぬなんて嫌なんですよ。どうせ死ぬんだったら戦さ場がいい、戦って死にたいんです」
喋るのも辛いだろうに総悟はそこまで一気にたくしあげて噎せた。ゴホゴホと重たそうに咳をする、その背を擦ってやるのも失念するぐらい俺の頭の中は真っ白になった。
その時気付いたのだ。あの日無茶苦茶に部屋を暴れた総悟は、死ぬことが怖かったんじゃなかったんだ。病に臥せて幕を下ろす、そんな自分が嫌だったのだと。
(…んでだよ、もういいじゃねえか、十分だろ総悟…)
もう自由に、余生を好きなように生きたらいい。弱々しい羽根でもお前が望めば何処だって行ける連れてってやるのに。それなのに、なんでわざわざ鳥籠の中に戻るんだ…。
じわりと何かが胸の奥に広がった。情けない俺の顔を見て、力なくそれでも総悟がいつものように笑って言う。
「ひじかたさん、俺には結局それしかないんですよ」
『お前にはそれしかないだろ。ここじゃお前が一番強いんだ』
「…………」
――そうだ、俺がそう仕込んできたのだ。
総悟に人斬りの術を教えた。戦いでの生き方を教えた。そこでしか生きれないように、俺が――。
「……すまねぇ」
「土方さん?」
「総悟、…」
羽ばたく為に羽根を与えたのもへし折るのも俺なのかと、総悟の細い体を抱き締めた。身勝手でごめん。言葉に詰まって言えやしない。小さく動く鼓動と背中に回った細い腕に、首筋に顔を埋めて俺は何度も声には出ない声で謝った。
涙が出てきて止まらない。総悟が痩せ細った手でくしゃりと髪を撫でる。
「総悟、俺は……」
俺はただ、この子どもを幸せにしてやりたかった。
俺はただ、一緒に生きたかった。
涙声でそう言えば、気持ち悪ィと笑う、その総悟の笑顔すら俺は、