Attention!

※救いのない暗い話です。切ないだけです。
※ハッピーエンドが好きな方、ほのぼのが好きな方は御注意ください。



暗い話になりましたが、よろしければお付き合いください。 ---進む---




































 どちらかを選ばなくてはいけない。
 お前はそんな残酷なことをいとも簡単に言う。

「ふざけるな」

 病室の、暖かな日差しが入る個室に落ちた言葉を俺は上手く飲み込むことが出来なかった。




 ここ数日の雨が止んで、窓の向こうには穏やかな空が広がっていた。
 それは確かにガラス1枚隔てた向こう側に存在する世界で、それなのにまるで切り取った世界を張り付けたような、ひどく遠い空のようにも思えた。
 飛行機雲が空を引き裂いて飛んでいく。
 それすらも遠い。

「馬鹿なことを言うな。選べるわけがねえだろ」
「冗談かと思いやすか?」
「冗談のほうがまだマシだ。さっさと帰って頭から水でもかぶってこい」

 俺は吐き捨てた。
 拒絶を露に額を押さえてじっと動きを止めて衝動を抑え込む。
 腹立たしさに呼吸が苦しくなる。きっと腸が煮えくりかえるというのはこういうことだ。
 俺は言い様のない怒りに目の前が真っ赤になっていた。

「馬鹿なこと言ってんじゃねぇぞ、総悟」

 口から出る声は自然と低くなり、しかし寝台の脇に立った総悟は全く動じず、青い目でじっと俺を見下ろして言葉を続ける。

「冗談じゃありやせん」
「総悟ッ!!!」
「俺ァ本気です」
「黙れッ!」

 ビリッ。
 穏やか昼下がりに似つかわしくない怒声が稲妻のように駆ける。
 誰か来い。来てコイツを俺の前から連れ出してくれ。
 そう願うのに、護りやすいようにと離れの一角を貸しきったのがこんなところで仇となり、沈黙は誰にも破られず守られたまま。
 憎らしいこの体はベッドの上から動くことすら出来なかった。逃げ場もない助けもない俺を、総悟は容赦なく追い詰める。

「土方さん、アンタは選ばないといけねェ」
「煩い。黙れと言っている」
「選ぶんですよ、土方さん」

 頭を抱える俺の耳に、よくひとりで抱え込むコイツのこと、どんな小さなことでも聞き逃さないようにとしていた声が俺の鼓膜を揺さぶる。

 アンタは選ばないといけない。
 俺を殺すか、拒むか、アンタは選ばないといけない。

 沖田は淡々と繰り返す。どう聞いたって一択の質問を、繰り返す。
 けれど俺は答えられない。
 何故ならそれは

「拒めば俺は自害しやす」

 どちらを選んだとしても、行き着く先は同じだからだ。
 何度も頭の中で反芻して言葉の底を知ろうとしているのに、そこには総悟の死だけが存在する。
 胸ぐらを掴み叩きつけ「ふざけるなよ」と叱責するほどの体力もない俺は、一方的に投げつけられる言の葉を聞くことしか出来なかった。辛うじて寝台の上で半身を起こしているが、怒りという気力を失えばそのままパタリと倒れ込んでしまいそうだ。

 何を悩むんです、簡単なことじゃねェですかィ。
 総悟の声は終始穏やかだった。
 それでアンタは助かるんだ。
 素敵なことじゃないですかと恐ろしいほど綺麗な笑みを浮かべて言う。

「………」

 イエスもノーも持ち合わせていない俺に出来るのは、ただただ沈黙を貫くことだけだ。
 汚れひとつない寝台のシーツをじっと見ていると、グニャリと視界が歪む。目眩がして額を押さえた。胸の中をぐちゃぐちゃと掻き回されるような痛みが伴う。苦しい。呻き声が出ないように唇を噛み締める。
 総悟、僅かに乱れた息のままそう呼ぼうとして、それは急にきた。
 咄嗟に常備脇に置いてあるタオルを掴みそれを口にあてて咳き込む。
 籠った咳とともに逆流した赤い血が口に当てたタオルに吸い込まれた。止まらず、繰り返す。

「はぁはぁ」

 漸く波が去り荒い息のままタオルを見下ろせば、そこには白から赤黒い色へと変貌した布が手の中にあった。散々理解して納得している筈なのに、それはひどく俺の心を揺れ動かした。見慣れた筈の赤い色が現実という名の絶望を叩きつける。

 総悟は、やはりただじっと静かに立っていた。
 俺が咳き込んでいる間、声を掛けることも背中を擦ることもしなかった。
 指1本微動だにせず、ただじっと俺を見下ろしているだけだった。
 ほらご覧、言った通りだろう。アンタの運命は決まっているんだ。
 そう言わんばかりに、同情や愛情で現実を隠さずこれが現実だとありのままを突きつける。
 総悟がうっすらとした嘲笑を浮かべる。

「天人の奴らも変なもんばかり持ち込んできやすが、こればっかりは感謝しねェといけやせんねィ。命を命で救う銃。土方さん、もしかしたら奴らは”神様”ってやつかもしれやせんぜィ」

 総悟の、もう動かない右手の反対の手に握られた銃にゆっくりと視線を移すと、それは妙な黒光りを発していた。白で統一された病室を断罪するようにそれはある。

 “転生”とそれは呼ばれていた。
 死んで別のものとして生まれ変わるのではなく、文字通り生を転ばすこと、他者から他者へと命を転ばすことの出来る銃だと、こんな身体になり下がる前に聞いたことがある。
 噂だけが飛びまわる空想の産物だと思っていたものが、俺のすぐ目の前にあって、ぞくりと身体が震えた。
 それを携えて人払いまでして、あの日から着なくなった隊服をきっちりと着こんだ総悟が部屋に飛びこんできてから既に1時間。
 総悟はずっと繰り返す。
 これで俺の命をアンタに移すと、繰り返す。

「そんな本物かも分からない紛い物を信じる程、お前は落ちぶれたのか」

 睨みつけても総悟は優勢を崩さなかった。ひょいっと軽く肩を竦める。

「平気でさァ。ちゃんと実証済みです」
「何?」
「これを作っていた奴らで試させやした。死に掛けてたのに、これを他の奴に撃ったらあっという間に元気になって。ありゃあ見物でしたよ」
「総悟、お前…」
「あ、心配は無用ですぜィ。作っていた奴らも場所も、全部消してきやしたんで」
「そんなことを言っているんじゃねぇよ!!!」

 声を荒げて問い詰めたって、総悟は緩やかに口角を持ち上げたまま、目を細めるだけだった。
 “転生"を愛おしそうに見つめる。

「これが最後の一丁なんですよ。この世界でたったひとつの。これでアンタの命が救える」

 まるでそれだけが希望だと言わんばかりの声だった。
 息を吐き、俺は迷い子を導くような声を出す。

「総悟、聞け」

 顔を上げた総悟の目を、逸らすことなくじっと見つめる。

「俺は確かに、もう永くはない。自分の身体だ、それぐらい分かる。治る方法があるなら俺だってなんだってする。だけどな、お前の命を奪って生きたいなんて誰が思う。”転生"なんて名はいいが、結局はただの人殺しだ。俺にお前を殺せって言うのか?」
「………がう、」
「前を向け、総悟。逃げるな。自分の命を投げうってまで俺を助けようなんて、お前、いつからそんな神妙なこと思うようになったんだ」
「違うッ!!!!」

 冗談を言う俺に対して総悟が声を荒げた。
 歯を噛み締めて、握りしめた”転生”がガタガタと音を立てる。
 泣きそうに顔を歪ませて総悟は激高した。

「俺はアンタが思ってる以上に利己的な人間なんでさ!! 俺はアンタを助けたいなんてこれっぽっちも思っちゃいねェ!! 俺はアンタに助けてほしいんでさァ!!!」

 言葉を失った俺に対して総悟は顔を背けると、激情で肩を震わせ、歪んだ笑みを浮かべて吐き捨てた。

「見てくだせェよ、この腕。どんだけ力を入れたって指一本動かねェ。だらんとぶら下がったまま、身体にくっついてるだけでさ。なんも出来ねェんですよ、土方さん。箸で飯を食うどころか、文字を書くことも着変えひとつままならねェ。ましてや刀を握ることなんて、夢のまた夢でさ」

 "転生"を握りしめると同じだけの力を総悟は右手に入れているようだった。けれど総悟の言う通り、垂れさがった腕は指一本微動だにしない。
 ある捕物の時、こうなれば心中とばかりに栓を抜かれた大爆発で、総悟は打ちどころが悪く右腕が麻痺した。それから刀も握れず、隊服だって着ようとしない。
 もうここ(真選組)には居られない。
 俯いたままそう呟く総悟を見て、なんとかしないと思っていた矢先に、俺は血を吐いて倒れた。結核だと、医者は言う。残念ながら、と。

 だから俺を助けてほしい。

 俯けていた顔を上げると、いつの間にか顔を上げた総悟がじっと強い瞳で俺を見ていた。
 その青い瞳は、腕が動かないと知って自分のことでいっぱいいっぱいのはずなのに「真選組のことよろしくお願いします」と気丈に言って頭を下げた、あの時と同じ強い光が宿っていた。
 何者にも何事にも変えられない強い意志が一心に俺を見つめる。

「検証したって言ったって、病持ちのやつが撃ったわけじゃないから命が伸びたとしてもどんな後遺症が残るか分からない。正直、また刀を握れるって保障は出来ねェ。でもアンタには知恵がある」
「総悟…」

 ふっと笑みを浮かべ、音もなく総悟が一粒の涙を流した。

「それは真選組の、近藤さんの力になる」

 一歩、二歩と俺が居る寝台へと近づき、総悟が乗り上がってくる。
 一気に体力が落ちた今の身体では総悟の動きを止めるどころか押し返すことすら出来ず、総悟に圧し掛かられるとそのまま後ろへ倒れてしまう。
 ギシリと寝台が軋んだ。
 俺の上に乗った総悟が肩口に頭を乗せて擦り寄ってくる。肩がしっとりと濡れる。

「俺がこのまま生きたとしても、真選組の力にはなれねェ。刀を使えなくなった時点で俺は死んだんです。だからアンタが俺の命で生きて真選組の役に立てば、俺も生き帰ることが出来る」

 お願いですよ土方さん。俺を助けて。

 初めて聞く弱音は、甘く切なく俺の胸に届いた。
 重なった体の鼓動はいつの間にかひとつになっていて、同じリズムを奏でる。左手の"転生"を離し、その手を俺の右手と絡める。
 窓の外には透き通る青空が広がっていて、白い天井、話声どころか物音ひとつしないで、まるで世界にたったふたりだけになったような、ひとりの人間になったような、そんな感傷を抱く。

 そこで俺は、総悟が縋る希望が"転生"ではないと知った。
 総悟が希望としていたのは、”俺”だった。

 総悟が絡めた指を離して、俺の手に"転生"を握らせた。冷たい無機質な感触にぞくりと背中が泡立つ。

「やめろ、総悟……」

 されるがまま指を一本一本"転生”に絡め、そのまま持ち上げて銃口を自分の頭へと向けるように総悟は導いた。
 圧し掛かられ手の感覚がなかった。情けない身体はちっとも言うことを聞きやしない。動け、抗えと力を入れてもすべてが空回りでぞっとする。

「やめろ、総悟。俺にお前を殺させるな」
「土方さん」

 言葉を遮り総悟が顔を上げて俺を見た。穏やかな声で名前を呼んで、笑みを浮かべて、笑ったまま涙を流す。
 空色が光を受けた海のように潤んでいる。
 やめてくれ。俺はそれを失いたくない。

「土方さん、好きでさァ」

 “転生"のトリガーに掛けた俺の指に総悟の指が重なって、俺は必死に抗い、叫ぶ。







こんなことをするためにまれてきたわけじゃないのに