ハニーリップ
あんたはどんな風に組み敷かれるのだろうねィ。
記載ミスがないか軽くチェックしてサインを書いてぺらりと書類を捲った、なんてことのない日常的な生活の中で非現実で物騒な言葉を吐かれて、ぴたりと俺は動きを止める。
ぽつりと今しがた吐かれた声を分析すればそれはすぐさま俺の脳内データベースでヒットして名前を返してきた。ああそうそうそれそれ。何十分か前にふらりとやってきて俺の後ろで非番を見せつけるかのように寝転がって昼寝を始めた野郎と確かに同じ名前だ。
世界の人口はどれぐらいだったっけ? ふと遠くそんなことを考えてしまう。吐かれた言葉の”あんた”なんて名指しは不明瞭すぎて、もしかして俺じゃないのかも、なんて淡い期待を抱いてみた。
僅かな、本当にごく小さな期待(願い)を胸に気付かれない程度に首を傾けて後ろを見やる、瞬間俺の考えは馬鹿だったんだって思い知った。
ふざけたアイマスクをつけて寝ているとばかり思っていた総悟はぱっちりと瞼を開けて透き通るような青の目でじっと俺を見つめていた。そりゃもう一心に俺を見ている。忠誠な犬が飼い主の意思を読み取ろうとしているというよりかは相手を観察するようにじっと、穴が開くかと思うほどまっすぐに。
眼球だけを動かしてぐるりと辺りを見回すが部屋には俺と総悟の他に誰も居やしなかった。しかも総悟と視線がばっちり合ったこの状態、逃げ場がなくて冷や汗がたらりと垂れる。今なんて言いました?なんて台詞を言うタイミングはとうに逸れた。最後の悪あがきに指を一本立てて自分を差し無言で俺のことかと問うと、うつ伏せで見上げていた総悟がこくりと頷いた。
「もう一回いい? 誰が、なんだって?」
「あんたが、組み敷かれるのは、どんな光景なんだろうなーって考えたんでさァ」
「組み敷く、の間違いじゃなくて?」
「組み敷かれる。つまり土方さんがつっこまれるってこと」
俺が、つっこまれるだって…?
目が点になるとはこのことで口をあんぐり開けて俺は馬鹿面を曝け出す。頭がフリーズして次の言葉が紡げない。ってか何をどっからどう言えばいいのかわからない。
お前なに言ってんの?日本語ちゃんとわかってる? 惜しげもなく堂々と顔にそう書いて見つめると、総悟は不躾な俺の視線に眉を寄せて何かを考えるようにやや斜め上を見上げてから、ごろりと仰向けに転がった。
「いっつも上から目線でドMでマヨラーで煙草吸ってでも妙に顔が整っててその道を通れば店という店の姐さんに声を掛けられる男前のアンタが、どんな面をしてどんな声を上げて欲しいなんて強請るのかなーなんて想像してたんですけどね、もうまったく形になんなくて」
「わー!わー!わー!キモイ!その想像はキモすぎるッ!ちょ、ちょっと待てって!さぼり方でも山崎や俺をどうおちょくろうか考えるのは山崎はいいとして百歩譲って俺も許すとして!それは許して何がどうなったらそういうこと考えるんだよッ!ほら見ろ鳥肌立ってきた!」
ぞぞぞと寒気がしたから冷や汗を掻きながら両腕を強く擦った。
言っておくが俺は断じてそっちの気はない。相手にするのは女だけだし、白状するなら前にそういう方面の男に誘われたこともある。あったが、それも俺につっこんでほしいとの頼みで俺がそっちに回ったことも回されたこともただの一度だってないはずだ。
しかしだ。火のないところに煙は立たないという言葉がこの世には存在する。
どうしてそんな想像をしているんだ? と率直に聞くのは気が退けた。ってか怖い。いつもの清々しいほどの呆気らかんとした顔で「アンタに挿れたいって隊士が言ったんでさァ」なんて言われた日には俺はどうしたらいい。人間不信になるわ。
何かきっかけはあったのだろうがそれがわかるほど俺は総悟のことを逐一知ってるわけでもない。それでも必死に頭をフル回転させて俺の知りうるかぎりで発端を探そうと試みたのは、この何とも言えない重い微妙な空気が嫌すぎるからだ。
けれどわかるはずもなかった。
検索をかけてもいくら待ってもヒットしないのは俺の中に答えがないからで、一週間前のおでんの味が濃かったな、なんて微妙に現実逃避気味のどうでもいいことを思い出していると総悟がはあと大きなため息で停滞した空気を少しだけ薄ませる。
「アンタもしかして今すっげー慌ててます?」
「いやもう慌ててるとかいう次元じゃねェよ。大混乱だよ。お前熱でもあんのか?」
「熱があったら即効アンタの目の前で咳やらくしゃみやらかましてうつしてますよ。俺だって子供じゃないんです。思春期とか青臭いもんに悶々とする日々だってそりゃありやすよ」
「ま、まあそうかもしんねーけど」
けど何故に俺?
言葉には出さず尚も変な汗を掻きながら俺は視線を上下に忙しなく動かした。
浮いた話のひとつどころか全くもってそういう態度も出さない、好いたことも恋を知らないどころの話じゃなくて、総悟はそれを飛び越えてすでに達観したような悟りを開いたような立ち位置に居る。その年で。
恋愛話に興味がないというわけでもなく人並みに話しには食いついてくるのだが自分の体験やネタを出してくることは決してなかった。そんな総悟が、俺が組み敷かれる光景を想像していたという。興味心爆発時の思春期という言葉で包められればそうかもしれないが、しかしコイツの頭の中で組み敷かれた俺本人としては納得のいかない複雑な心境だった。きっちり一から十まで説明してほしい。
「好きなやつでも出来たか?」
「え?なんで?」
「いやそんな想像するっつーから。ただの興味心だっていうなら一回殴らせろ」
総悟は表情をひとつも変えずに言った。
「おーこわ。心狭くていけねェや。人の頭の中ぐらい自由に貸し出しなせェ。アンタのことを想いながらひとりでヤる女も捜せばそこら辺に居るはずなのに、なんで俺には貸してくんねーの」
「俺の知らないところならまだしも、お前のは俺が、組み敷かれるってんだろ。そんな妄想にほいほい貸し出せるほど俺は安くもねーんだよ」
話をしている間にいささか落ち着いてきて一回心を落ち着かせようと卓上にあった煙草に火を付ける。この話を中断して仕事なんて出来るはずもなく、肺ににごった空気を送り込んだ。
総悟はぱちぱちと仰向けに寝転がったままなんでもないように言葉を紡いだ。
「じゃあアンタも俺が組み敷かれる姿を想像をしたらどうです? 貸してやりまさァ」
「―――――――ッ、」
げほっ、なんてそんな可愛いもんじゃなかった。
煙草の煙どころか体中にあるすべての気体という気体を吐きだすようにそれはもう盛大に噎せた。
この馬鹿なんて言いやがった?!
バッと勢いよく顔を上げて睨むと総悟はきょとんとした顔で俺を観察している。
「テメッ、自分の言った意味がわかってんのか!」
「わからなかったら言いやせんよ。俺、結構想像しやすいと思うんですけど」
そりゃ、しやすい。近藤さんや斎藤を持ち出すよりはるかにリアルに想像できる。
青の大きなふたつの目に見上げられて何故か俺は総悟から視線を外せなかった。気付かれないように人知れずごくりと小さく生唾を飲む。しかもちょうど仰向けに寝転がっているのがいけなかった。
畳に散らばる亜麻色のやわらかい髪、遺伝なのか妙に白みの強い肌、細い手首を掴んで縫い付ければ青い目がじっとこっちを見る。総悟の目の色は好きだ、青くどこまでも広がる空を思わす瞳に俺は捕らわれる。真っ黒でなんの面白みもない俺の瞳とは逆の、宝石のような。
大人になりかけの、それなのにまだ子供っぽさが抜けていないあどけなさが残る顔に俺の鼓動が強く跳ねる。背徳感を感じながらそれ以上に高まる高揚を押さえつけられない。いつも口を開けば生意気なことしか言わない、そんな子供の自由を奪い悦がらせ暴く嗚呼このなんたる優越感。言葉に出来ない。
ふと口が開いて俺を呼ぶ。
土方さん。
(―――――って、)
俺は何を考えてるんだッ!!!
妄想して暴走しかけたところでちょうど12のところにきてカチリとなった時計の針の音で俺は我に返った。危ない橋を渡りかけていた気がする、あの時「相手をしてくれ」と誘ってきた男がもし総悟だったら…そんなことまで考えてしまった。
熱い顔と隠しようもない反応があってもうどうしようもなかった。体ごと動かして俺は勢いよく机に向かい合う。何が何でもこの状態を総悟に見られるわけにはいかなかった。
人のことをどうこう言えたもんじゃない。俺も総悟が組み敷かれる姿を想像してしまった。しかもそれなりに経験があるだけにはっきりと、それはもうリアルに。
「馬鹿馬鹿しい!仕事の邪魔だからとっととどっか行きやがれ」
そうバレないように虚勢を張るのも精いっぱいだった。総悟が間延びした声で言う。
「なんでィ。俺は邪魔なんてしちゃいませんよ」
「してんだろうがっ。後ろで気持ちの悪い想像してるって知って気にせず仕事なんて出来るかよ!」
「俺は当然のことを考えていただけです」
「どこが当然なんだよ」
「俺だって男です」
「知ってる」
妙にかみ合わない会話に先に諦めて腰を上げたのは総悟だった。立ち上がり部屋を出ていく気配を背中で感じた。
俺は総悟が早く俺の前から去るのを強く願って望んでいた。だからだ、総悟が去り際に残した言葉をすぐに理解することが出来なかった。
「男が好きなやつとヤる姿を想像して何が悪いんです」
「――――え?」
振り向いても、総悟はもう部屋を出て行った後だった。残された言葉を反芻して俺は呆然とする。
好きなやつとの営みを想像するのは確かに当然なことで、男だから好いたやつを組み敷きたいと思う。そうだ当然の心理だ、何も悪いことではない。その対象が総悟にとっては俺だったというだけで。
「マジかよ」
気付くのも落ちるのもたった少しのきっかけだと、この年になって気付かされる。俺の前に漠然とした何かが広がるような気がした。今までの世界がぐしゃりと形を変える。
衝撃の告白に俺の頭の中は亜麻色の子どもでいっぱいになっていた。さっきまで総悟が居た場所をふいに触って温もりがまだ残っているのを知って、口からはかれた甘い言葉をまた胸で噛み砕く。