あなたのかわいいわたしであるために


 辻斬りの正体は沖田総悟という人間だった。
 しかし沖田にターゲットを指名するのは土方自身である。

「邪魔者がいるんだ」

 その言葉が土方が沖田を動かす魔法の言葉だった。


 沖田は昔から土方の言うことを聞いた試しがない。武州に居た頃も子犬が警戒するように喚き立て近付くことさえ許さなかったから、土方も必要以上沖田に取り合わなかった。江戸に来てからはこっち、接するもののあくまで上司と部下、馴染みの知り合い程度のお付き合いだ。
 それでいい。俺と総悟はそういう接し方しか出来ないんだ。半ば土方はそう諦めていた。諦めることで納得できた。
 しかし何時からか、近藤と沖田が楽しそうに話しているのを見ると、土方は歯痒くてたまらなくなる。何故近藤さんには心開くのに俺ではいけないんだと、俺とあの人とで何が違うんだと苛立ちすら覚えた。

 それでもまだ抑えられた。冷静になって考えれば、武州の頃から沖田は近藤さん近藤さんとあの人になついていたのだ。今更じゃないか。抑制する。
 しかしそのドロリとした激情を押し留めていた壁も、すぐに決壊することになる。
 坂田銀八。江戸に来てから知り合ったその男に、総悟は甘える。そして神楽という夜兎にはちょっかいを出しては気にかけている。
 なんだ?と聞けば、近藤さんは坂田のことを初めて出来た総悟の友達だという。
 なんだ?と聞けば、総悟は神楽のことをライバルですよという。
 なんだよ友達って、なんだよライバルってッ。
 土方には理解出来ない。
 近藤だけならまだ極度の人見知りだと自分を納得させることが出来たが、このふたりは例外である。
 長年共に居る俺とは素っ気ないのに、何故そのふたりとは仲良くする。土方には到底理解出来ないことであった。理解するつもりもない。
 理不尽な苛立ちが募る度に、総悟の姿を見る度に、土方は何時かこの子どもを自分の物にしたいと考え始めた。土方の声に耳を傾け土方の言うことを聞き土方だけを見る、嗚呼なんとその素晴らしいことか。
 黒く淀んだ願いを土方は切望する。

(そのはずだった)

 布団に潜り込んだ状態で土方は横を向く。
 仰向けでくぅくぅと大人しく寝息を立てている沖田を見つめ、緩く溜め息をついた。同じ布団に入って共に熱を交わすようになってどれほど経つのだろう、布団から覗く何も身に付けていない沖田の肩を見つめ土方は考える。けれどそれを思い出せるほど記憶は曖昧で定かではなかった。
 ぼんやりと思い出すのは、土方の命令を聞き人を斬り殺し帰って来た総悟があまりにもちっぽけに見えて抱いたのが事の始まりだっということだけだ。
 それから沖田が辻斬りとして帰ってくる度にこうしてなし崩しに続いている行為だが、体を重ねたところで意味があるわけでもない。
 初めの頃は総悟の何かを手にしたような、そんな気もしたが回を積むにつれ錯覚だったのだと土方は気付くことになる。虚しさだけが後に残った。
 事の最中に愛を囁くわけでもない。
 土方が総悟に与える言葉はいつもただひとつだった。
 「良い子だ」。
 それを皮切りに夜を重ねる、そんな関係になんの意味がある。

 土方は仰向けに寝返り天井を見つめた。この子どものすべてが欲しかった、否すべてを思い通りにしたかった。けれどどうすれば自分が納得するのかそれすらも土方にはもう分からなかった。
 沖田に背中を向け土方は溜め息をつく。胸の内にある黒い感情は未だになりを潜めていない。分かっていることなんてただそれだけだった。
 目を閉じ土方はとにかく眠ろうとした。
 そんな男の背を空色がうっすらと目を開けて見ているなんて、背を向けた土方には分かるはずもない。




 魔法の呪文が完成したのは沖田をどうにかしたい衝動だけが募り、しかも仕事がどうにも上手く進まない時だった。攘夷だろうという確信は取れているのになかなか証拠が上がらないのだ。苛立ちばかりが募る。部屋に籠って書類とばかり格闘していた。人に会えば自分が何をすらか分からなかったからだ。もし夜の女が現れたなら土方は抱くだろうし、歯向かう奴が居たなら即叩き切っただろう。それほど土方は苛立ちで自分を見失っていた。
 そんな時に空気を読まない沖田は現れる。しかも特に用件もなくからかいにくるのだからタチが悪い。

「なんでィこの部屋。煙ばっかで人が住める場所じゃねェや」
「…用はそれだけか」
「素っ気ねェなァ。俺だってこんな有害な部屋なんて来たくありやせんが、アンタがあんまり姿を見せねェもんだから死んでんじゃねェかと思いましてね、様子見でさァ」
「それは生憎だったな。この通り生きてるよ」

 土方は不機嫌さを隠さずに告げる。沖田はその様子におやおやと眉を持ち上げたものの、特に何も言わなかった。ただじっと立って土方を見ている。早くどっか行きやがれ。土方がそう願っても沖田の足はピクリと動かなかった。
 見せつけるような溜め息を吐いて土方は沖田を見やる。目が合えばきょとんと大きな空色が一瞬きした。

「ひっでェ顔。アンタちゃんと睡眠取ってんの?」
「厄介事が多すぎておちおち眠れやしねえよ」
「厄介事ねィ」

 土方は立ち上がり沖田に歩み寄ると、獲物を見る獣のように漆黒の目を細めて空色を見下ろした。普段とは違う土方の様子を感じ取り、沖田も黙ってその色を受け止める。総悟、と一言名を呼んだ男は静かに言った。

「邪魔者が居るんだよ。そいつらのせいで俺は眠れないし近藤さんも困っている」
「邪魔者…」
「そう邪魔者だ。関口っていう攘夷の野郎だよ。なあ総悟、お願いだ、そいつをやっつけてくれねえか?」

 耳元に顔に近付けて惑わすように囁く。顔を離し沖田の瞳孔がゆっくりと開くのを見ていた。純粋に綺麗だと思うのと同時に、その瞬間土方の中で黒い何かが満たされる。
 次の日新聞で関口の記事を見た、その瞬間のあの愉快さを、土方は忘れられない。
 嗚呼やっと俺の言うことを聞いてくれた。
 やっと俺の思い通りに動いた。
 たまらない。

 それからというもの、「邪魔者だ」と言えば総悟はそれを合言葉に夜な夜な人を斬った。マインドコントロールだと土方は思う。しかし沖田が文句を言うことはなかったから、土方は何も聞かなかった。
 何故自分が沖田にそんなことを頼むのか沖田は不思議に思わないのかと、ふと土方は首を傾げることもある。けれど真っ直ぐとこっちを見る空色が大きくて透き通っていて綺麗で怖くて、土方は恐れて何も聞けやしない。


 土方さん。
 名前を呼ばれて目を開けると、総悟がこっちを覗き込んでいた。朝かと眉を寄せて、土方は腕で目を隠す。眩しい朝はどうにも苦手だ。夜がいい。

「まだ起きねェんですかィ?」
「…起きる。起きるからお前先に行ってろ」
「夜中に起きてたみてェですけど、まだ眠れないんですか?」
「まあな」

 お前のおかげでな。
 心中でそう呟いて、土方はだるい体を起こした。沖田を見やると何も考えてなさそうな小綺麗な顔がこっちを見ていた。何度抱いても何度血に汚れても、沖田は綺麗で土方の手に入らない。
 ぐちゃぐちゃな心のまま、土方はぐしゃぐしゃと髪を掻き毟る。沖田がすくっと立って部屋を出ていった、それを横目で追って土方は呟く。

 嗚呼汚してやりたい。