あなたのかわいいわたしであるために


 その日土方は非番だった。しかし屯所に居た所でやることもない。攘夷の件も粗方総悟が闇討ちしてくれたおかげで、調査するどころか対象が死んでその必要もなくなった。
 よって、退屈を持て余している土方であった。

 今は暇潰しにと馴染みの女の所に行く途中である。そんな中、ふと聞き覚えのある声が土方の耳に届いた。
 その方向を見やると立ち話をする沖田の姿。それと向かい合わせにいる銀髪の存在に、土方は一瞬我を忘れる。次に苛立ちを覚えて土方はつかつかと足を踏み鳴らしふたりの傍へと歩み寄った。先に気付いたのはこっちに顔を向けていた坂田である。
 おーおー怖いのが来たと土方を茶化し、気付いた沖田がこっちを振り向いて土方の姿を目に入れる。

「何してんですか土方さん。アンタ今日非番じゃありやせんでしたっけ?」
「そういうお前こそ見回りじゃなかったのか?」
「ヤだなァ。隊員のスケジュールを覚えてるなんて、アンタのその記憶っぷりには呆れやす」

 土方を馬鹿にする沖田のその態度が、土方の気に触った。
 ギリっと唇を強く噛み、目を据えて沖田を睨む。
 しかし沖田はちっとも動じやしなかった。飄々とした顔のまま土方の苛立ち等どこ吹く風と言わんばかりだ。

「仕事に戻れ」
「へィへィ。旦那にちょっと用があるんで、それが終わったら戻りやすよ」
「用ってなんだよ?」
「アンタには関係のないことでさァ」

 土方は腹が立った。
 何故俺の言うことを聞かない?何故ソイツと共に居る?
 腹立たしくて腸が煮え返りそうだった。苛立って仕方がない。攘夷の野郎を始末する命令は聞くくせに、何故ソイツと離ろという言葉は聞けない。それがまた土方の神経を逆撫でる。
 所詮アンタの言うことなんて攘夷絡みで、体を交わすのも人を斬って興奮した感情のやり場に困っているだけ。

(だから俺はアンタのモンじゃない)

 内側からそう言って笑う声が聞こえて、土方は、背を向けて坂田の所に戻ろうとする沖田の腕を掴んだ。力任せに掴まれ、その無遠慮さに沖田が眉を寄せて振り返る。

「なんでィ」
「邪魔者を始末しろ」

 顔を寄せて耳元で囁く。空色の目がまあるく開かれるのを見て、自然と笑みが零れた。
 反応しているのに気をよくして、再度囁く。

「坂田は謎が多い危険物だ。きっと俺たちの邪魔になる。攘夷と繋がってる裏も取れそうなんだ。だからなあ総悟、アイツを切れ」

 死神を甦らせろ。切って俺にその証を見せてくれ。そしたらいつものように俺はお前を抱き締めて「良い子だ」って言葉を送ろう。なあ、総悟。

 土方の言葉に沖田は目を数回瞬き、丸い頭を俯けた。
 見下ろしている土方は沖田が唇を噛んでいることに気付かない。
 拳をギュッと握って、沖田は言った。

「出来やせん」

 思いもしなかった言葉に土方は息を詰まらせる。

「旦那が攘夷に繋がっているなんて、俺には思えやせん。仮にそうだったとしても、それで俺たちに危害が加わるなんて到底」
「俺の言うことが聞けないっていうのか…?」
「こればっかりは」

 顔を上げた沖田の空色が土方を射る。きっぱりとした口調に土方が付け入る隙なんてなかった。昔からそうなのだ。昔からこの目は嫌いだった。昔からいつだって、この目は土方を受け入れない。はね除ける。その目が土方の存在を否定する。

「そうかよ」

 土方は吐き捨てた。一秒足りとも沖田のその目を視界に映したくなかった。掴んでいた腕を振り払い、土方は背中を向ける。苛立ちばかりが募って、土方の中の鬼が首をもたげる。
 こんな世界なんて消えてしまえばいい。鬼がそう言ってワラッタ。
 



 こんな最悪な気分で女を抱く気にもなれず、自室に戻った土方は何もせずただ部屋の真ん中で佇んでいた。
 あれからどのくらい時間が経ったのかは分からない。
 屯所は皆出払っているのか、奇妙なほど静かだった。世界が死んだようだと馬鹿な考えが頭を過る。髪を握る。時折聞こえてくる休憩所の隊士の笑い声がまだ土方を現実に引き止めていた。

 ギシギシと、床板を踏み鳴らす音が聞こえた。なんとなくそんな気はしていたから、土方は背を向けたままソイツを待った。
 やがて足音は部屋の前まで来ると、少し間を空けてから障子をそっと開く。いつもは何も言わない癖にこんな時だけ入りやすぜと一言言って入ってくる沖田を、土方は背を向けたまま迎えた。総悟は後ろ手ですとんと障子を閉める。
 土方さんと沖田が名を呼んだ。

「どうかしたんですかィ?なんかすっげー機嫌悪くありやせん?」
「総悟、お前俺のことをどう思ってんだ?」
「は?」
「なんで、俺の言うこと聞かねえの?」

 背を向けたまま問われた言葉に沖田は空色の瞳を瞬いた。土方が何を考えそんなことを問うのか、沖田には全く分からなかった。ぱちぱちと目を瞬いて男を見やる。いつもの言葉のやり合いの延長戦だろうかと、沖田は錯覚する。見回りをサボったことに呆れと苛立ちを交えてそう聞いているのだろうか。いつものことか、簡単にそう答えを出して総悟は口を開いた。

「何言ってんですかィ。俺がアンタの言うことを聞くわけがねェでしょ」

 罪深いその子どもはその言葉の重さを知らない。
 はっきりと、言葉で聞くことで土方の中に黒い世界が広がる。ぷつりと飲み込まれる音が聞こえた。
 そうだよなあ。土方は低く嗤って振り向いた。

「お前は昔っからそうだ」

 俺の言うことなんて何ひとつ聞きやしない。

 邪魔者がいるのだと囁けば総悟が俺の言う通りの人間を斬る、やっと俺の思い通りに動いたんだって喜んだ、それが糠喜びだったのだと気付いたのは一体いつからだっただろう。
 辻斬りとして攘夷の野郎を斬り帰ってくる総悟を迎える。良い子と褒める。抱いて可愛がってやる。最初は感じていた喜びも、「これで俺たちも楽できやすね」と近藤さんに笑いかける総悟の姿にすぐに錯覚だったのだと思い知らされる羽目になる。

 わかっていた。そうだわかっていたさ。所詮総悟が辻斬りとして俺の言う攘夷を殺すのも真選組の為、しいてはあの人の為だとすぐに気付いた気付かされた。
 当たり前のことだよと鬼が嗤う。何を今更と鬼が指を差して嗤う。
 土方は総悟の全部が欲していた。しかしそれは叶わない。土方は総悟の一番にはなれない。
 嗚呼ならばいっそこの世界からお前が居なくなってしまえばいいのに。そうすれば俺の世界はもっと単純になって、俺は何者にも心を惑わされない。

 土方はまっすぐと総悟を見つめて言った。

「俺にとっての邪魔者はお前だよ、総悟」


 じゃまもの。土方の口の動きを反芻し、空色が大きく瞠目する。沖田は息を忘れた。五文字の言葉が渦を巻く。嵐となる。縛られる。邪魔者。誰が?誰が邪魔者だって?
 沖田がひとつ目を瞬く。土方がじっとこっちを見ていた。その夜の目が雄弁に語っている。邪魔者はお前だと言っている。土方の瞳に映る自分の姿が歪む、それが答えだと沖田は言われた気がした。
 固まった沖田を見て土方がその横を通り過ぎる。沖田は呼吸が苦しくなった。
 どうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしよう。
 土方の口から発せられた邪魔者という言葉が沖田の中を占めている。土方の言葉が声が反響する。
 沖田の中で言葉がチカチカと点滅していた。その字を沖田は読む。

 邪魔者は殺さなければなさらない。

 カチリと音がして、障子に手を掛けた土方はふと振り向いた。
 暗がりの部屋の中で、隙間から差し込んだ光に反射するのは細身の刀。
 土方が見たのは、沖田がそれを逆手に構え、自分の体を貫く光景だった。