まさか土方の言葉で沖田が自分を刺すなんて思ってもいなかった。反応が遅れ、ゆっくりと体が倒れ畳の上に沖田が転がる。その腹から血が流れ染み渡るのを見たところで、やっと土方は我に返り呆然と沖田に近寄った。

「お前、何して…」

 うわ言のように呟く土方に対して、沖田はへへと笑う。

「これで邪魔者は居なくなりやしたか?」
「…え?」
「これでアンタはゆっくり眠れやすかィ?」

 息を切らしながら沖田が言う言葉が、よく分からなかった。しかしふと、この子どもが自分の寝付き具合をよく問うていたのを思い出した。

「アンタちゃんと睡眠取ってんの?」
「夜中起きてたみてェですけど、まだ眠れないんですか?」

 土方の中で、パチンとなにかが弾ける。
 そうだ、最初眠れているのかと問われた時、土方は邪魔者が居るから眠れやしないと沖田に告げた。そして邪魔者を倒してくれと沖田に頼んだ。総悟はそれを飲んだ。何故?近藤さんの為?では何故俺のことを心配する?
 もしかしてという言葉が土方の中で浮上した。ずっとずっとあの人の為に総悟は俺の言葉を聞いているのだと思っていた。けどもしかして。あんな風に辻斬りの翌日に近藤さんに仕事が楽になっただろうと問うていたのは、

(俺の、為…?)

土方は愕然とした。





 青い鳥はどこに居た?

 暗い世界の中で不気味な仮面を付けた子どもが土方を見てそう問いかけてくる。青い鳥はどこに居た?どこに居た?消えては浮かんで足元に纏わりついてくる。どこに居たどこに居た?
 距離を空け、面を付けた子どもが土方を指差す。
 馬鹿な人だ。そう言ってせせら笑う。
 青い鳥はそこに居たのに、気付こうとしなかった、馬鹿で愚かな奴。
 仮面を外して総悟が狂った目をして嗤う。
 お前は手放した。



(手放してなんかないよ―…)


 土方は暗い世界から目を覚ました。現実では沖田が布団で寝ている。腹には包帯が巻かれていて、刀傷は幸いか命に関わるほどではなかった。真選組の一番隊長も自分を刺すのでは加減が違うらしいと布団に入って死んだように寝ている沖田を見て土方はそう思う。
 何をするでもなく傍らに座って土方は沖田を見ていた。
 するとあの日から一度も起きなかった瞼が揺れて、ゆっくりと持ちあがった。空色が覗く、その様を土方は何も言わず見ていた。
 沖田はぼんやりと天井を見ていたが、総悟、と土方が呼ぶとゆっくりと土方の方に顔を向けた。

「土方さん……」

 空色が自分の姿を認めたことに土方は口元を緩める。そうだよと言って髪を撫でた。上半身を起こす沖田の背を支えてやる。
 俺は、と困惑めいた言葉を出すから、お前はこれで自分を刺したんだと布団の傍らに置いた沖田の愛刀を撫でてそう告げた。沖田は土方の言葉を飲み込むように緩慢な動きで土方の手の先を追うと、そうですかと声を落とした。

「馬鹿だなあお前は」

 土方は優しい声色で沖田を見つめる。
 土方はこの馬鹿で単純な、言葉ひとつで自分を刺す歪んだ子どもがかわいくて仕方がなかった。
 沖田が自分の体を刺した時、沖田の想いを知った時、胸に沸いたのは沖田のすべてが欲しいと願った己の醜さではなかった。土方の胸に沸いたのは沖田が既に手の内にあったのだという歓喜だった。沖田が土方の言葉を聞いていたのは真選組や近藤を思ってではなく土方を思っての行為だった。探していた鳥は土方が気付かなかっただけでとっくに鳥籠の中に入っていた。それを知った時の喜びは何物にも変えられない。人を斬る度後悔し、しかし土方が言えばまた刀を振るい、土方が眠れているのか気にとめ、バレないようにと一心に土方を見ていた。嗚呼、嗚呼なんて馬鹿で愚かで単純で歪んで無垢な子ども。きっと何度も葛藤したことだろう、そう思うと土方はたまらなく嬉しくなる。沖田の中で自分がそんなに大きな存在だったと思うと背筋がぞくぞくとした。歓喜で身の内が震える。


「お前の邪魔者は俺だったんだな」

 うっとりと土方は呟く。
 一方沖田は、土方の言葉が徐々に染み渡っていくのを感じていた。
 俺の邪魔者が土方さんだって?
 目を瞬きその言葉を飲み込む。
 頭がどこか靄がかかったようにぼんやりとしていて、上手く考えることが出来なかった。ぼうっと土方を見つめ、次いで視線をずらし脇に置かれた刀を見る。
 邪魔者は、どうすれば良かっただろうか?
 沖田の中でそんな問いが産まれる。殺せばいいんだよ。すぐに答えが返ってきた。
 そうだ、そうだったと沖田は瞬く。邪魔者は土方の敵で、土方の敵は自分の敵だというサイクルが沖田の中で出来上がっていた。その際邪魔者が誰かということは考えない。考えてしまえば止まってしまうとわかっていたからだ。意識がはっきりしていればまだ坂田の時の様に自制が働いたかもしれないが、泥の世界から起きたばかりの沖田にとってそのブレーキは意味をもたなかった。
 邪魔者は排除しなければならない。
 その言葉だけがすべてだった。
 他の隊士の呼び声がして、土方が立ち上がり部屋を出ようとする。それと同時に沖田は刀に手を伸ばした。カチャリと掴んですらりと鞘から刀を抜く。刀が血を求めているのがわかってドクンと鼓動が脈を打つ。それが余計に沖田の気分を高ぶらせた。

 沖田は思う。
 いつもぶっきらぼうで素っ気なくて自分のことを構いやしない。体を交わして受け入れても土方は自分のことなど見ていなかった。
 けれど邪魔者を斬れば土方は良い子だと自分を誉めてくれる。喜んでくれる。目を細めて笑う様が好きだった。
 土方が言った土方という俺の邪魔者を斬れば俺の邪魔者は居なくなる。それはイコール土方の邪魔者も居なくなるということだ。土方を斬れば土方の邪魔者は居なくなる。嗚呼そうすれば。
 刀を持ち沖田は立ち上がった。


 土方は満足していた。
 沖田が自分を求めていたと知ったからだ。
 けれど一度満たされた器は直ぐに次を欲した。沖田が土方を求めても、この世界に他という存在が居る限り土方は沖田のすべてになれない。土方が求めるのは子どものすべてだ。
 嗚呼ならばいっそと狂喜めいた思惑が頭を占める。


 沖田が立ち上がる気配を感じて、土方は振り向いた。
 沖田が刀を携えて立っていた。ギラギラと光る瞳は血を欲している目だった。そして直ぐに知る。沖田が自分を殺そうとしていると知る。

 土方がうっすらと笑う。
 倣うように沖田も口元を歪ませて笑うと畳を蹴って土方に飛びかかった。その一瞬で土方も刀を抜き構える。
 お互いに笑みを浮かべ、刀を構え、相手のすべてを望み土方は沖田は思った。


 嗚呼殺してしまえばすべてが手に入る。これでやっとお前はアンタは俺のモンだ。


 障子にピシャリと赤黒い血が飛んだ。



あなたのかわいいわたしであるために

良い子。