あーヤベぇかも。そんな弱気がふと漏れて、苦笑を浮かべる。
久しぶりの捕物だった。司令塔であるはずの俺も真っ先に突っ込んで派手に暴れて、終わった後はもう指一本も動かせない程精魂を使い果たした戦い。それだけに終わった途端緊張の糸がぷつりと切れて、俺のやる気というやる気がどっかにいってしまった。
前髪をくしゃりと掴むとぬるっとした液体に触れて見上げた先には赤黒い血がべたっと付いていて、ああやっぱり斬っちまってたか、なーんて。どおりで視界が赤いはずだ。懐から取り出してヤニでも吸おうかと思ったけど頼みの煙草は見事に折れまくっていてとてもじゃないが吸えそうになかった。
(情けねぇなあ様だなあ)
見上げた空が薄らと白くなり始めている。完全に日が昇る前に片づけなければならないことは山ほどある。副長の俺はその全てに携わるといっていい。
けれど俺は、隊士が動く気配を背中で感じながら建物の陰に隠れてじっと気配を消していた。だってそうだろう。副長の俺が結構な手傷を負ったなんて、情けなくて堂々とあいつらの前に出て行けるものか。特に総悟になんか見つかってみろ、何言われるか分かったもんじゃねえ。幸い今日は手慣れた奴らを連れてきたから、片づけも俺が居なくても上手く回るはずだと俺は踏んでいる。山崎だけには他の用事が出来たと嘘の電話を入れておいたから、暫く姿を消しても騒動にはならないはずだ。
すっと息を吸い込めば朝焼け特有の済んだ空気が肺に入っていった。疲れとか言い訳とかいろんなモンがごちゃまぜになってため息としてまた口から零れる。
なんか疲れた。正直な感想だ。
「真選組副長、土方十四郎だな」
とそんな折、背後から声を掛けられてチャキッと顔の真横に刀の刃が突き付けられた。横目でその刃を見やり、ふっと息をつく。
「こっちは疲れてんだ。おちょくるのは止めろ、総悟」
この気配を俺が間違えるはずがない。
顔も向けずそう言うと、後ろの気配が途端に放っていた殺気を収めて素っ頓狂な声を上げる。
「なんでィ。せっかく声まで変えたのにつまんねェの」
ちえっと不服そうに言って総悟は刀を鞘へと仕舞った。そしてずかずかと俺の横まで来ると何を思ったのかひょいっと俺の顔を覗き込む。デカい目で見られて俺は居たたまれなくなって近すぎる顔をぐいっと向こうへ押しやった。見るなって。
「あーあ。なんでィそのやられっぷりは。情けねェの。アンタもう現役引退したらどうです? 年なんだから無理すんなって」
「ンだとコラ」
「血、拭いなせェよ」
腕を組み見降ろされて、視線と呆れたような声でそう言われれば何も言い返せない。この様が何よりの証拠で、不貞腐れたように俺はふいっとそっぽを向いた。
そんな俺を見て総悟がふっと息を落とす。まったくしょうがねェなァ。声に出すならそんな感じで、俺の横にしゃがみ込んで、俺がいつもするように総悟がくしゃっと俺の短い髪を掻き混ぜた。大きな子どもという代名詞が今の俺にはぴったりだ。けれど気持ち良いからプライドも恥もこの際見ないフリをして、俺は黙ったまま不貞腐れた様を装ってその恩恵にあずかる。滅多にない機会に現金な俺の気分は徐々に上昇をみせる。
ぷいっと余所を向いたまま問うた。
「なあ」
「なんでィ」
「お前いつも何考えて戦ってんだ?」
「はァ?」
「俺はお前の考えていることがよく分かんねぇ」
「アンタが考えすぎなんでさァ」
総悟の手が離れるから、俺は追うように手を伸ばしてその体に抱きついた。抱きしめるというより寄りかかって、総悟に体重を掛ける。俺より小さな体は持ち堪えることが出来ず地面に尻もちを付いた。それでもギュッとひっつくのを止めない俺。なんだろうなコレ。ほんと情けねぇ。
総悟が珍しい俺の様子を見て、きょとんとしている気配がする。無理やり引き剥がされるだろうなあとぼんやりと思っていると、そのままの体勢で暫くして総悟の手があやすようにぽんぽんっと俺の背中を叩いた。肩に顔を置いているから今総悟がどんな顔をしているのかは分からない。けれどどうやら今日の総悟はいつもより優しいようだ。付け込んで、俺はとことん甘えることにする。ぎゅーっと尚更寄りかかるとははっと総悟が笑った。
「鬼の副長とやらがガキみてェ。ムービーでも撮っときゃよかったなァ。せっかく弱味を握るチャンスだったってェのに」
「うるせえな。こんな情けねェ様見せンのもお前だけだ」
「いらねェ。めんどくせェよ」
笑われて俺はますます不貞腐れる。けれどトントンと規則よく叩かれる優しいリズムにそれも早々に雲散して、その存在を確かめるように抱く腕に力を込めた。
久しぶりに触れた感触だった。ここ最近この捕物の準備におわれて会うことも話すことも出来なかった。寂しいという感情がなかったと言えば嘘になるが、それを優先させる程俺は自分を通すことも仕事をおろそかにすることも出来なかった。意地を張って躍起になっていたと言えばそれまでだ。
だからだろうか、久々に触れたこの存在がどうも手放し難くて仕方がない。
(いや、それだけじゃねえな)
今日の捕物で俺は、誰にも言えないが死を覚悟した、その瞬間があった。ひどくゆっくりと流れる光景の中、いろんなことが頭の中で流れた。ああ死ぬのか、どうせ死ぬんだったら誰に何を言われても思う存分マヨを吸っときゃよかった。そういや今度見たいテレビがあったんだ。まだ見てねーのに。煙草も残り少ねえから買い足さなきゃいけねえのに。
どうでもいいことばかりつらつらと考えて、最後に出てきたのはこの小憎たらしいガキの姿。ああ、俺が死んだらアイツ泣いてくれるのかな、なんて、馬鹿なことを考えた。
結局鼻で笑う総悟の姿が浮かんで俺は諦めかけていた自分が馬鹿らしくなって、近くの刀を相手の腹に突き刺して命を繋ぎとめた。
それでも妙な虚無感が胸に巣食って消えやしない。疲れた体に歪んだ思考がまともな考えを産み出さない。
総悟は俺のことをどう思っているんだろう。
そんな言葉が頭の中でぐるぐると回っている。
総悟は基本感情を表に出さない。それが恋愛沙汰、事に俺に関係する事となると尚更ポーカーフェイスという仮面の下にひた隠してしまう。俺は総悟が好きだ。それを告げた日のことはよく覚えている。アイツはそれを受け入れて、今では関係も持っている。
それはイコール総悟も俺の事を好いてくれていると思っているのだが、総悟の口からそれを思わす言葉も言動も少ないと気付いてしまった。
いつもなら馬鹿らしいと一笑することだが、ひどく重い体を引き摺る俺は思考の海にどっぷりと嵌ってしまった。
お前は俺のことをどう想っている。
俺が死んだらお前は泣くのだろうか。悲しむだろうか。それとも平然とするのか?
「なあ」
「なんでィ」
「お前、俺が死んだらお前も死んでくれる?」
俺はお前の為に死ねる。
背中を叩いていた手が止まって、沈黙が降りた。はあと総悟がため息を付いて、呆れたような声を出す。
「冗談じゃねェや。そんなの御免でさァ」
「…………そうか」
想像が付いていたことだったが直接声で聞くと急に目の前が暗くなる。回していた手を外し、総悟の体から離れる。その前に総悟が俺にぎゅうぎゅうと抱きついて離してくれなかった。
「なんだよ、俺今ちょっとひとりになりたい気分なんだけど」
「なんでィ。ショックでも受けやしたか?」
「…文句あるかよ」
「いーや。アンタが俺の言葉でショック受けるなんていい気分でさァ」
「俺は、お前が俺の事をどう想ってんのか時々ものすごく不安になる」
首元に顔を埋めて俺は弱気を漏らす。疲れ果てていた俺は理性というのも全く機能していなくて、口から出る本音を止めることが出来なかった。
総悟が俺の肩に顔を乗せている。そのまま喋るものだから、振動が耳だけではなくひっついた体越しに響いて中から聞こえるような、そんな錯覚を覚える。
「俺ァ覚えがよくねェから、アンタが死んじまったらきっと忘れちまう。土方って奴は異常なぐらいマヨとヤニが好きだった。仕事も好きで自分から忙しさを選んでいた。ヘタレだった。ドMだった。そんな風に俺はアンタのことを語る時は全部過去形になって、そうして姿も声も聞かない日が続くと俺はアンタのことなんて忘れちまう」
死ぬとはそういうことだ。いくら覚えていようとしても、迎える日々に徐々に掻き消されて鮮明さを失っていく。
総悟は体を離してひとり立ち上がると、俺を見下ろしてふっと口の端を吊り上げた。
だから、と総悟は続ける。
「だから俺の一番になりたかったら生きてりゃいい」
見上げた俺に総悟が手を差し伸べた。夏の青空を思わす空色の瞳がいつだって俺を魅せつけてやまない。表情に出さなければ言葉にだってしない。けれどその瞳はいつも正直だった。俺に語りかけてくる。
俺はアンタの為に死ぬなんて冗談じゃない。
だけどアンタの為に生きることは出来る。
そっちのほうが何倍も難しい。知ってるだろう?
「生きるか、死んでさよならか、アンタはどっちを取るんでィ? ちなみに俺は、生きてアンタの一番になってやりまさァ」
強気な笑みを見せられてたまらなくなった。
俺ばっかりだと思っていたことをふいに混ぜっ返されて思い知れとばかりに突き付けられる。今日は総悟が優しいだって? 馬鹿、ンなことあるかよ。
総悟は、俺を慰めているんだと漸く気付いた。
総悟がそんなことをするのも、様子を見に来たのも、伸ばされた手も、全部。なあそれ丸ごと全部俺の為って、自惚れてもいいだろうか。
(俺も沸いてんなぁ)
なんだかむず痒くてグダグダと悩んでいたのが馬鹿らしくなってつい笑ってしまった。
「ばーか。俺の一番なんかテメーがとっくに掻っ攫ってるっつーの」
その手を掴んで引っ張られて立ち上がる。7cm差。視線を下げてその存在を見つめる。まったく何やってんだ俺は。まさか総悟に心配される日がくるなんて、思ってもいなかった。
コイツには勝てないなあという気持ちと、ひどく優しい気持ちがともなって横並びで歩きながら亜麻色の頭に手をやってぽんぽんっと撫でる。俺はこの隣の存在に笑われないように生きないといけないと再度自覚する。
「お前に慰められるなんてな」
「ったく、面倒なんでイジイジすんじゃねェよ。救護班待たせてやすから、さっさとその情けない面でも見せて来なせェ」
「ああ。総悟、ありがとな」
感謝の言葉に総悟は指を一本立てると口元に当ててにやりと生意気に笑う。
「貸しひとつ」
それはまた大きな貸しだと、俺はつい笑ってしまった。