※暗く切ない話となっております。ご注意ください。
  あと土方さんが非常に精神的に弱くてなよなよして腐ってます(言いたい放題)
  ヘタレててもカッコいい副長がお好きな方はご注意ください。



 総悟がこの世から居なくなってから俺の心にはぽっかりと大きな穴が開いていて、それでも変わらずに過ぎていく日常。
 いつからか、俺はひとつの疑問を抱くようになった。

 本当に沖田総悟という人間は居たのだろうかと―…。


ほら、ちゃんとさよならしよう



 総悟が死んだ。息を引き取る瞬間を俺は見ていた。
 アイツらしくない終わり方、ふと食らってしまった一撃が思った以上に深く、結局それが致命傷となって呆気なく死んでしまった。
 布団の横に付き添っていた俺と近藤さんの名前を呼んであどけなく笑った顔は、いつまで経っても俺の脳裏に焼き付いて離れない。声を思い出す度に今呼ばなかっただろうかと視界で探してしまう。
 何度もそうやって、ああまたかよ、もう居ないんだよと自分に言い聞かせて、けれど何度も何度も繰り返して嫌気が差す。

「副長、お茶をお持ちしました」
「ああ」

 ぼんやりとすることが多くなった俺は、その日も煙草を片手にぼけっと床の間を見ていた。本来なら片づけなければならない仕事も山積みで、内勤の時は机にかじりついていたというのにどうにもやる気が起きずにこうして意識を飛ばしてしまう。これじゃあ仕事が回らないなと思いきや、案外ぼーっとしていても仕事は上手く回っていたりするのだから不思議だ。
 ああそうか、総悟が居ないからだ。総悟に構っていた時間が今ではぽっかりと空いているから、こうやってぼんやりとしても支障が出ないのかと気付いたのはつい最近のことだ。

「そろそろ寒くなってきましたから、火鉢を出さないといけませんね」
「ああ」
「そういえば落ち葉がだいぶ溜っているから庭の掃除をしないと。何番隊がやるかくじでも作りますか?」
「そうだな」
「…沖田さんの刀、ちゃんと手入れしているんですね」

 お茶を置いて縁側に座った山崎は、ため息混じりにそう言った。生返事ばかりの俺が気になったのか去ろうとはせず、じっと俺が見つめているものを一緒になって見ている。

 俺の部屋の床の間にあるのは総悟の刀だった。総悟と一緒に埋めることは出来ず、近藤さんが預かると言ったのを無理を言って俺が預かって部屋に置いてあるのだ。
 総悟の刀とはいつも一緒だ。見回りも捕物の時も腰に差して出ていく。長さの違う2本の刀を差す俺を見てみんなが何か言いたそうな顔をするのは知っていたが、俺は何かを言ってもらいたいわけではなかったから気付かないフリをした。
 山崎もそうなのだろう、床の間の刀と俺をちらちらと見て口を開いたり閉じたりを繰り返している。実際には見ていないがそういう気配がありありと分かって、コイツ本当に監察かよと笑いたくなってくる。

「副長、しっかりと現実(いま)を見てくださいね」

 長い沈黙の後、山崎はそんな言葉をふと残して去って行った。
 俺はそんなに腐って見えるのかと自嘲する。その言葉は甘んじて受けよう。自覚だってあるから尚更。けれど頭の中では整理が付いたと思っても、気持ちも体も全然付いて来ない。じわじわと煙草が火に焼かれていく。

「現実(いま)を見ろってか…」

 総悟が居ないってことは俺も分かっている。
 けれど、現実が曖昧になるほど俺を惑わすものがあるのだ。

「あーあ。それ観賞用じゃなくてあくまで実用品なんで、ぼけっとした面で見ながら腐るのやめてもらえやす?」

 きた。

 振り返って俺は、そこに立つ総悟を見やる。
 そう、俺が総悟が死んだという事実を未だに素直に受け入れられないのは鮮明すぎるこの総悟の霊が現れるからだ。
 コレが本当に総悟の霊なのか、それとも俺が見ている幻なのかは分からない。
 けれど正しいことはただひとつ。

 総悟はここに居るんだ。

「アンタ、俺が登場する度にその情けない顔すんのヤメてもらえやす? なんか笑いを通り越して不憫に見えまさァ」
「不憫ってなんだよ。お前がいつも突拍子もなく現れるからだ」

 総悟の霊を見る度、堰きとめられていた水が元通りに流れ出すような気分を俺は味わう。夢だと分かっているのにひどく居心地が良いからこれが現実だと願ってしまう。愚かだと痛感するのは己自身。それでも

「総悟」

 嗚呼またこの名前を呼ぶことが出来るのかと思う度、そんなことはどうでもよくなる。

「ひでェ面」

 呆れた声で総悟が笑って言った。そこに生前にはなかった情愛があってそれが儚くて、俺はつい手を伸ばしてしまう。
 総悟は霊のくせにまるで実態があるかのように掴むことができた。少し冷たい感触、引き寄せてギュッと抱き締める。
 嗚呼総悟だ。
 たったそれだけのことでひどく満たされる俺が居て。

「ザキが困った顔をしてやしたよ。土方さんらしくねェ、何なよなよしてんですかィ」
「どうも調子が出なくてな。お前を怒鳴り散らしていた分の体力が余ってどうしようもねぇ」
「働けよ」

 総悟が笑うから俺もつられて笑う。
 午後の日差しが降り注ぐ部屋は暖かくて屯所は妙に静かで、ここがぽっかりと切り取られたような感じがした。甘い幻惑に俺はいつも溺れている。

「お前が勝手に死んじまうからだ」

 肩に顔を埋めて漏らせば、総悟は何も言わなかった。俺の肩に額を付けてじっとしている。それだけで充分だった。

「土方さん」

 体を離した総悟が立ち上がって俺を呼ぶ。見上げた先の総悟がどこか眩しくて俺は目を眇る。総悟はゆっくりと腕を持ち上げて床の間の刀を指差した。

「あれ、そろそろ返してくれやせん?」
「…え?」
「どうも腰がすぅすぅしていけねェ。それにアンタもアレがあると腑抜けるみてェなんで、やっぱり俺が持っておきまさァ」

 その言葉はじわじわと身の内に広がって俺を突き落とす。急に寒くなって思考が止まる。
 アレは総悟の物だから返してやるのが筋ってモンだ。けれど。

 総悟が俺の返事を待たずに床の間へと歩いて行く。
 ハッとして畳を蹴った。床の間へと駆け寄って俺は掛け台から総悟の刀を掴み取るとそれをギュッと抱え込む。
 情けない声が出た。

「…まだ俺に貸しといてくれねえか?」
「土方さん…」
「お前のモン、アレしか残ってねえんだよ。位牌はお前が言う通り庭の桜の下に埋めたし、あの変なアイマスクはお前と一緒に焼いた。もう刀しか残ってねえ」
「………」

 こんな腑抜けた俺を見て総悟はどう思うだろうか。なあ、俺はお前が居なくなっちまっただけでこんなにもぐらぐらなんだ。柱が1本無くなって左右どっちに力も加えてもすぐにひっくり返る程脆くなっていて、それをなんとかコレで支えている。
 コレが無くなったら崩れると身の内で響く警告音。

「…頼む」

 お前までコレを奪わないでくれ。

 暫く沈黙が続いて、ふっと総悟が息を吐く。
 俯いていた俺の耳には「分かりやした」っていう総悟の声だけが聞こえて、その時総悟が泣きそうな顔をしているなんて気付きもしなかった。気付かないまま、よかったと安堵の息をひとつ溢す。

「情けねェ土方さんの為にもうちょっと預けときまさァ」
「すまねぇ」
「だからっていつまでもしみったれてると殴りに来やすからね」

 くるりと踵を返した総悟が部屋を出ていく気配を感じて、俺は顔を上げて声を投げた。

「また来るんだろ!」

 一拍をおいて振り返った総悟の表情は逆光で見えなかった。
 俺が目を瞬いた瞬間に姿は消えて、俺の夢は終わって、けれど口角を上げてアイツにしては柔らかい声で言った最後の言葉が俺の耳にリフレインする。


「また来やす」




 総悟が消えてひとり残された土方は、持っていた刀を握りしめると顔を伏せた。
 鬼の副長と恐れられ気丈にひとり立ち何事も恐れない男の姿は見る影もなく、未だに土方の部屋の前に立っていた総悟はそんな土方の様子をじっと見ていた。自分では分からないが、どうやら土方の前から自分は消えたらしいと土方の様子から総悟は読み取る。
 以前と変わり果てた土方を見ているのは辛く、総悟はふいっと顔を背けるとその足でそのまま近藤の部屋へと向かった。
 障子を開け中に入ると、中に居た近藤と山崎がこっちを見る。総悟の顔を見た近藤がくしゃっと顔を崩した。近藤の横に座った沖田の頭をくしゃくしゃに掻き混ぜてやり、元気を出せとばかりに慰めてやる。

「どうだった? トシの様子は?」
「ダメでした。刀握って返さねェし、俺のこと死んだって信じてやんの」
「……そうか。総悟、大丈夫か? トシもそうだが、お前のことも俺は心配だ」

 大丈夫でさァ。土方さんに忘れられたぐらいでどうってことありやせん。
 声がいくら気丈でも、表情が飄々として何ひとつ変わらなくても、総悟が無理をしているのは一目瞭然で近藤は何も出来ない自分を責めた。
 唯一の頼みの綱である山崎に何か掴めたのか問う。山崎は眉を寄せたまま静かに首を振った。

「いえ。全力で手掛かりを探しているのですが元々違法な薬とあって有益な情報はまだ何も…」
「そうか」
「全く。仕方ねェ野郎でさァ。近藤さん、俺ちょっと団子買ってきやす。土方さんに何も言われねェのにじっとしておく理由がねェ」
「総悟」

 重い沈黙が降りる前に総悟は明るい声を出して立ち上がると、近藤の声を振り切って部屋を出て行った。
 総悟の姿を見て悲しげに眉を寄せた門番は何か言いたそうにしていた。同情なんて真っ平御免で、お疲れーと何気ない声でこっちから話しかけてその先は何も言わせなかった。

 江戸の雑踏の中を総悟はとぼとぼと歩く。
 人と肩がぶつかれば相手はしっかりと誰かにぶつかったと認識して振り返る。謝ったり謝らなかったりそこは相手によってだが、ここに人間が居るということは分かっているのだ。

(何が幽霊でィ)

 一向に晴れない灰色の空が身の内に広がっているようだ。足取りは重く、総悟の体を鈍らせる。

 土方がああなって、もう1カ月は過ぎただろう。
 一瞬のことだった。
 捕物で攘夷の連中を捕縛した時、天人に恋人を殺されたという男を追い詰めた時、最後の足掻きと男が持っていた瓶を床に叩きつけたらしい。
 総悟はそのフロアに居なかったが、追い詰めた土方が瓶から出てきた気体を吸ってしまった。
 男が投げた瓶に入っていたのは、吸った人間の”一番”を記憶から消すものらしい。
 目覚めて分かったことだが、土方が忘れたのはミツバのことでも近藤のことでも真選組のことでもなく、総悟のことだった。

 総悟は黙々と歩きながら思い出す。
 土方が妙なことを言いだしたのは目覚めてすぐのことだった。
 総悟、なんでそんなところに居るんだ。テメェは病人のくせに見回りなんて行ってんじゃねェよ。
 そう言って一歩も部屋から出してもらえなかった。部屋に監禁される程の病気どころか風邪ひとつ総悟は引いていなかったというのに、だ。
 土方はまるで睡眠術にかかったように総悟が病人に見えるらしく、どれほど元気だと証明しても信じてもらえなかった。

 それを甘んじていたが、つい2週間程前から、土方の中で総悟は死んだらしい。
 他の人間が居るところで総悟を見かけても何も反応しないのだが、土方ひとりの時に総悟を見ると、総悟よく来てくれたと顔をくしゃくしゃにして出迎えてくれる。お前は成仏しないのか、何か気になることがあるのか、それでもいいお前に会えるなら。
 自分はちゃんとここに居て生きているというのに、土方の中で総悟は死んでいて会っているのは総悟の幽霊だということになっているらしい。近藤や山崎、原田と他の面々がいくら総悟は生きていると言っても土方はコレっぽっちも信じず、総悟は死んだんだよ!と声を張り上げて暴れるのだ。

 山崎の調べで、薬の作用で徐々にその人物の記憶が薄れていくとのことだった。
 最初は病気で、次は死んで、その内、沖田総悟という人物が居たということも忘れてしまう。
 今は幽霊として一時だけ会えるが、土方はいつか総悟のことを完璧に忘れてしまうのだ。死ぬどころではない、土方の中で総悟は消滅する。その時こそ本当にさよならだ。

(まったく、土方のヤローは)

 総悟は心の中で苦笑して、ヘタレまくった土方を思い浮かべて罵倒した。
 近藤に聞かれたことを思い出す。土方が総悟を忘れてしまったらどうするのかと。

「忘れたら、ね」

 総悟は前を向いて歩きだした。
 忘れたらどうするか、そんなこと決まっている。
 もう一度、沖田総悟として土方の目の前に現れてやる。
 アンタが忘れた沖田総悟は真選組に一隊士として入隊して、アンタと会うのだ。そしてまた沖田総悟という存在をその頭の中に叩きこんでやる。
 土方が総悟を忘れる日がいつ来るかは分からない。けれどその時はしっかりとさよならをしよう。そして改めて初めましてというのだ。

(我ながら良い案だ)

 自分の考えを散々思い返して頷き返しているのに、どうしてだろうな、前が急に曇ってしまってぎゅっと唇を噛み締めなければ何かが溢れだしそうになってしまった。
 口にしてはいけない言葉が暴れて総悟を苦しめる。喚き散らしたい衝動に耐えて耐えて耐えて、握りしめた拳の中で爪が刺さって血が出る。
 食いしばった歯から総悟は声を絞り出した。

 ほんとうは

「……土方さん」


 ほんとうはさよならなんてしたくない。