雨天疾走
本来なら今頃部屋で借りてきた映画でも見て寛いでいるはずだった。なのに俺は今、カッパ着て、雨の中自転車を全力で漕いでいる。ブレーキを踏む度にギィィとなる自転車は借り物のママチャリだ。後ろに取り付けたカゴに同じくカッパを着た総悟を乗っけて、俺はひたすら早く帰る為に家路へと急いでいた。即ちお迎え、雨だから総悟を迎えに行ってやれと頼まれたのだ。それなのに子どもは愚痴愚痴と文句を言いやがる。
「なんで土方さんが迎えに来るんだよ。俺ひとりでも帰れるのに」
「うるせーな。俺だって頼まれたんだよ。お前が傘持ってないから迎えに行ってやれって」
「じゃあせめて近藤さんがよかった」
「その近藤さんから頼まれたってーの。今どうしても手が離せねー用事があるからって」
「なんだ、アンタ暇人かよ」
(こんのォクソガキ…ッ!)
ぶつけるにぶつけられない感情に力を込めたペダルがギシッと音を立てる、雨と自転車がなかったら絶対拳骨入れてるところだ。けれど雨足は強くなる一方で、一秒でも早く家に帰るために俺は黙々とペダルを漕ぐことに神経を注ぐことにした。
手が冷たくて空は重たい灰色一面だ。急に降ってきた雨だった。天気予報さえ裏切った忌々しい雨は止む気配を見せないで今もザァザァ降っている。かくいう俺もちょうど帰る途中で降られた口で、20分前の俺はシャワーを浴びてようやく温まったところだったのだ。…それなのに。
(あのタイミングはねェだろ…)
また冷たくなった体温にぶるりと震えて舌打ちでも打ちたくなった。ホッと一息吐いたあの瞬間を見計らったように鳴った悪魔の電話を、俺は忘れない。居留守でもしとけばよかったと今更後悔が過る。
けれどミツバも近藤さんの迎えもなくて、雨の中をトボトボとひとり帰る総悟の姿を思い浮かべると小憎たらしいガキでもさすがの俺でも可哀想に思うのだ。これはこれでよかったのかもしれない、そんなことを思う俺はあのふたり以上にこの子どもにほだされているのかもしれない…なんて。そうだ、総悟だ。
赤信号になってブレーキを掛けるとやっぱりギィィと不快な音を立てて止まる、さっきから静かすぎる総悟が気になった。
「おい総悟……って嘘だろ…」
ガクリと、力が抜けた。
(寝てやがる…)
ちなみに総悟の首もカクリと落ちている。そりゃガキだからよく寝るってのはわかるが、だからってなんで今この、ザァザァ降りの中で寝れるんだか…。ダメだ、俺の予想を越えている。
(どーゆー神経してんだコイツ…。あーあーしかも口開けたままで。雨が口の中に入ってもしらねェぞ)
雨はそもそも綺麗じゃなくて汚いもんで、排気ガスやらなんやらが気化して上空の水蒸気と混ざり合って地上へと落ちてくるのだから直接人体の中へ入るっていうのはいいもんじゃないんだ。グタグタとそんなことを考えて、せめて雨に当たって風邪を引かないようにと、俺は総悟のカッパの合わせ目を直し合わせた。なんだか起こすのは忍びなくて、口の中になるべく雨が入らないようにフードを引っ張って深く被せてやる。それでも起きない子どもが面白くて可笑しくて、俺はやっぱりしょうがねェなあとまたほだされる。
信号が青になって俺はまた自転車を漕ぎ始めた。でもさっきより速度は遅めに、段差や路面の荒い場所は出来るだけ避けてチャリを漕ぐ、そんな気遣いをみせている自分がすごく不思議で少しだけこしょばゆくて変で気色悪くて。また今日も思う。
(生意気なクソガキなのに、結局嫌いにはなれねーんだよな)
このヨダレなんかを垂らしている子どもがそれでも妙にどことなくちょっとだけほんのちょっぴり、かわいいと思うのだから俺もよっぽどだと思った、そんな雨の日。