ばたけ


 清々しい青空だった。そろそろ夏が近づいてくる。
 土曜の部活帰りということで時刻は昼だった。土手沿いは静かなもんで人もまばら、俺はガタガタガタガタ自転車を押しながらぶすっとした顔をして歩いている。目つきが普段より余計凶悪そうだという自覚はあるがこれは気分の問題だ、仕方がない。青空とは一転、俺の空は浮かない。

「なんでィ。黙りこくっていると思えばヤクザみたいな顔してやらァ。とても高校生には見えねェ面」
「お前にだけは言われたくねェよ。お前の頭だって一生小学生じゃねェか。いや中二か」
「ははーん。そんなに練習試合で伊藤さんに負けたのが悔しかったんですか」

 三歩先を行く総悟は振り返ってにししと人を小バカにしたように笑う。気にしないようにとせっかく忘れようとしていたことを混ぜ返されてむっとした。
 確かに伊藤に負けたことは死ぬほど悔しい。けれど今俺の中にある胸のつっかえはもっと別のことだ。それなのに総悟はあの時はこうだったの、あの突きは間違いだの普段は全くしない剣道談義をひとりおっ始めている。あーあーそうだそうだ、オメェはどこまでドSなんだ。ツッこんでやりたいが面倒くさいから放っておく、穏やかな午後の日差しと風、総悟のあーだこーだと連なる声が溶け合って鼻歌のように聞こえてきた。
 穏やかだ、俺の邪な心中とは裏腹に。


 学生は気楽でいいな、なんて世間一般に言われているが、学生は学生でなんだかんだで必死なんだ。
 欲しい物があっても金がなくて買えない。バイトをしようにも部活があって出来ない。テスト前はそれなりに勉強だってするし、朝だって早い。付け加えて恋だってする。いろんなものに常にアンテナを張り巡らせておかなければ置いていかれるし、付き合いだって必要だ。学生は気楽でいいなんて羨ましがるのは疲れた大人が言うものだ。棚上げして学生の抱えるものを見ようとしない。現に俺だって今現在進行形で悩んでいる。


(あー総悟にキスしてェ…)

 …なんて、思いっきり性欲だけど。はあとひとつ大きな溜息を吐くと総悟は足を止めて訝しげな顔で振り返る。

「なにしてんだか」
「うっせ」

 これ見よがしに肩を竦めてとっとと先を歩き出した亜麻色の頭を見て、なんだかなァというのが心境だった。この淡白さが総悟なのだと知っていてもなんとなく面白くない。もっと気にかけて欲しい。執拗さを見せて。正直な感想だ、だって俺たちはこれでも恋仲の間柄なのだから。

 これでも俺は俺なりに総悟を大切に恋人として扱っているつもりだ。惚れた弱みのなんとかで前よりコイツの我が儘を聞くようになった、甘んじて甘やかすのは苛立ちや呆れよりも情が勝ってしまうからだ。そして今現在も俺はこの邪な衝動の対処に困っている。何気ない毎日、それこそこんな関係になる前と何も変わらない日常なのに、思わずこんな衝動に駆られるのはコイツを好きな何よりの証拠だった。むしろ末期だというべきか。俺が、コイツに、ましてや男に欲情するなんて。
 振り向いた総悟はふと立ち止まると腕を組んでじろじろと人を上から下まで不躾に見やる。ひとつ頷いて変な顔をしてみせた。

「土方さん。アンタなに物欲しそーな顔してるんですか」
「え」

 いきなり核心に触れたような言葉を言われて背筋に妙な冷や汗が流れる。いやいやいやこればっかりは心の内に隠しておきたい悩みなのだ。なに、お前いつからそんなエスパーになったの。それとも俺そんな顔してた? ポーカーフェイスが聞いて呆れる。
 人が内心あたふたと慌てて、どう言い繕うか頭をフルに回しているというのに、総悟の、あー分かったという言葉で俺はぴきりと固まった。ジッと見つめてくる青の双眸、ごくりと唾を飲んで俺は死刑犯のように次の言葉を待つ。総悟は言った。

「そんなに誕生日に上げたものが気に入りやせんでしたか」
「……。は?」
「ひでぇなァ。せっかく奮発してマヨネーズ1本買ってやったってーのに」
「おい、総悟よ」
「あ、知ってやす? 土方の誕生日、略してひじたんって言うんでさァ。ひじたんだってひじたん。たん付けで嬉しいか土方。泣くほどなんてアンタも大概気持ち悪いヤツだねェ」
「だれが泣いてんだよこらァァァァぁあ!!!」

 確かに!確かにあの日総悟に貰ったマヨネーズは大切にまだ袋からも出さずに冷蔵庫に閉まってある!去年はうんまい棒1本だったから大した進展だ、素直に嬉しかったしマヨネーズだったこともあって即ち俺は今年の誕生日に何の不満も持っていない。それなのに。
 なんだか虚しくなった。報われない。こっちがもんもんとしているのに当の相手はきょろっとしていてこれじゃあ言い合いばっかりしていたあの頃となんも変わらない。俺はお前のなんなの。言いたい。

「変なの」

 俯くと頭上から声が降ってきた。顔を上げる。瞬間狙ったようにちゅっと存外似合わない可愛らしい音を立てて唇が離れていった。現状を理解すべく瞬きみっつ、濡れた感触は確かに俺の唇に残っていて、そこに五月の風がさらりと流れて余計にその湿りを意識した。総悟は俺の顔を見てふと口元を吊り上げアホ面とからかうとまたとことこと歩き出してしまう。

「したいと思ったらしたモン勝ちでェ」

 勝ち誇ったような言葉を残していく。俺は相変わらず立ち止まったままでハンドルを持つ手とは別の手でぐしゃぐしゃと頭を掻き毟った。あーあーあー、なんだってのコイツ。いっつも俺の番狂わしてぐちゃぐちゃにして滅茶苦茶にして。こんなところで何やってんのお前? なんて逆に言質を取れるような人間だったらよかったのに、俺は嬉し笑いを込み上げることもなくただ余裕なく深い息を吐いてあつい熱を追い出すしかなかった。やられた、その一言にかぎる。熱の篭った耳を五月の風がさらっていく。
 青い空を仰ぐとゆったりと雲が流れていた。落ち着き、にやけた顔はどうしようもなかった。けど馬鹿にされないように前を向いて顔を引き締める、押していた自転車に跨ってペダルを漕いで総悟を追いかける。やがて疎ましい梅雨が来て、のち快晴、あついアツイ夏がくる。俺たちの季節だ。