Act.13
 土方と沖田が初めて会い言葉を交わすようになったのは何も運命的なものがあったわけではなく、お互い時たまふらふらと立ち寄るのが人気のない公園で、お互いひとりぼっちだったというただそれだけのことだった。
 遊具も何もない場所では他にやることもなくて暇で、そんなふたりがいつも見る相手と言葉を交わすようになったのはごく自然のことだった。

「俺には姉ちゃんがいるんだぜ。とびきり優しいの」
「へぇ。かわいいの?」
「当たり前じゃねえか。宇宙一美人なんだから」

 沖田はよくシロツメクサの畑で探し物をしていた。何を探しているのかと問えば四葉のクローバーと答え、姉に渡すのだと言って緑の地面をがさごそと手で掻き回している。
 その光景は土方が初めて会った時と変わらない。あの時もこうやって夢中になって地面と睨めっこをしていたなと土方は呆れた目で沖田を見た。

「お前も飽きないな」

 しらみつぶしに探しているのだからもう探し尽くしたのではないかと思うのだけれど、総悟は手を止めない。

「俺、諦めたくない」
「何を?」
「四葉も、姉ちゃんの病気も。諦めたら終わりじゃんか」
「……」
「姉ちゃんが言ってた。四つ葉はなかなか見つけられないから見つけたらラッキーなんだって。幸せになれるんだって」

 姉から聞いた言葉を信じて疑わない総悟を土方はじっと見下ろした。単純だと冷めた気持ちが胸に沸く。

「…この世界はそんな簡単に出来ちゃいねえさ」
「え?」

 青い目がふとこっちを見上げてハッとした。焦った土方はなんでもないと言葉を濁してそっぽを向く。総悟は首を傾げて不思議そうにしていたが、変なのと呟くと四葉探しに戻った。
 青い無垢な目は世界の汚れを知らなさすぎて、ついいらないことを言ってしまったと土方は思う。諦めなければ幸せが手に入ると信じている沖田が、純粋で無知で、可哀想だと哀れに感じてならない。幸せなんて夢のように虚ろなものが、どうしてそう簡単に手に入る。

(そんな草になんの意味がある)

 土方にとってはそんなもの、ただの雑草にすぎない。



**********************


 殺してほしいと頼まれたから殺した。それで金を貰った。世間様ではそれを人殺しと呼んで一大事件として扱われるらしいが、ここで育ち一歩も外に出たことがない土方にとってはここがすべてで、よって、人殺しはただの日常茶飯事という言葉で片づけられる。
 帰り道に呼び止められて振り向けば、名前も知らないし見たこともない奴が激昂に声を震わせてこの野郎なんとかの仇だと飛びかかってくる。これも日常からはみ出ない。
 またかとため息をつき、小さな土方は自分より身の丈の大きな男を見上げて馬鹿にしたように笑う。

「弱いのが悪いんだろ」

 野生の世界は弱肉強食らしい。強い者が生き弱い者が死ぬ。俺はそのルールに則り生きているだけだ。何が悪い?
 相手を簡単に手に掛け、弱いなあと土方は人だったものを見下ろした。ひっそりと生きていればもっともっと長生き出来たのにと、同情さえ抱いてしまう。
 そうしてふと総悟の姿を思い出した。四葉を見つければ幸せになれると信じている総悟。弱いと言えば、あれも弱いもののうちに入るのだろうか。

(馬鹿らしい)

 地面に転がった男と総悟の姿を重ねてしまい、ふるふると土方は頭を振った。
 例え総悟がこの男のように何処かで倒れてあの場所から消えたとしても、またひとりに戻るだけで土方の中が何か劇的に変わるわけではない。
 変わらない。関係ない。弱いものが強いものにやられるのは当然の摂理だ。
 頭の中で何度そう言いつつも、土方の頭から四葉を探している総悟の姿が暫く消えなかった。



**********************


 人を、自分をこれほどまで呪ったことはなかった。宛てもなく歩いていた土方の心中はひどくささくれ立っていた。
 捨てられた自分を拾い、育て、生き方を教えてくれた育て親に裏切られたのだ。
 敵対している相手グループに売られることが何を意味しているのか知らないほど馬鹿ではない。男の言葉を信じて出向いた先で、罠に嵌められ死に物狂いで逃げだして来た。家へと戻りどういうことかと問い詰めると、殺されると思ったのかひどく怯えた表情で金が欲しかったのだと床に這いつくばりながら男が言った。
 いつも見上げてばかりいた男の姿。見下ろせばそこに居るのはひどくちっぽけな、年老いた男だった。
 気付けば、男の姿は無言の塊となっていた。

 言葉にしなくても土方は親だと思っていただけに、その裏切りは耐えがたい苦痛だった。そんな簡単に捨てられたのかという苛立ちにも、頼り慕っていた相手を簡単に手に掛けた自分にもショックを受けていた。最早どちらが裏切ったのか分からない。

 ぼんやりと歩き、気が付けばいつもの公園へと来ていた。
 奥にあるクローバー畑ではいつものように沖田が四葉を探していた。
 いつもなら変わらないなとどこか安堵するその光景も、今は土方を無駄に刺激する。
 自分の上に影が落ちて気付いた総悟が顔を上げた。じっと見下ろす土方を見上げて青い目をきょとんとさせる。

「アンタ何怒ってんの?」
「無邪気に四葉を探すテメーの姿に腹を立ててんだ」
「なんで?」

 なんでだって? それが分からない時点で腹が立つ。土方は蔑むように笑った。
 今までは知らなくていいと思っていたが、今はこの何も知らない青い瞳に汚ない世界を突き付けてやりたいと歪んだ感情が沸く。

「なあ本当に四葉なんかあると思ってんの? それを見つけたら本当に幸せになれるとでも思ってのか?」
「………」
「たかが草を見つけたぐらいで幸せになれるとか、笑える」

 望んだって、それは手に入らないものだ。少なくとも多少なりとも土方が感じていた幸せはつい先ほど粉々に砕けた。所詮まやかしだ。
 総悟は青い目はみっつばかり瞬くと、こくりと首を傾げた。
 なんかあった? と聞かれ、お前には考えも及ばないことがあるんだと馬鹿にした。実際コイツはそんな世界を知らないだろう。
 無垢な目でじっと見つめられ、それが無言で己を否定されているような気がして土方は苛々とする。その目で見られる度汚ない自分との差を見せつけられるようで壊したくなる。

 はい、と総悟が拳を突き付けてきた。総悟は突き付けた手を裏返して拳を開くと、そこには、

「………四葉のクローバー?」
「さっき見つけたんだ」

 自慢げに笑って、総悟は土方の手を掴むと手のひらにそれを置いて両手を使ってぎゅっと握らせた。

「本当は姉ちゃんに渡すつもりだったけど、アンタのほうが死にそうな顔してるからあげる」
「……なんだよ。今まで必死に探してたんじゃねぇか」
「アンタ知らねえの?」

 他人の為に何かをしてあげるというのは土方にとって理解出来ないことで、沖田が夢中になって探しているのを知ってる分土方は突然のことに戸惑った。
 たじろぐ土方に総悟ははっきりと言って笑った。

「四つ葉は何度でも生えてくるんだ。だから姉ちゃんには次見つけたやつをあげる」

 幸せはひとつじゃないから。


 絶望に打ち立たされた土方にとって、その言葉はまるで幸せはまだあるよと言われているようで何よりも胸に響いた。
 本当に、そんなことあるのだろうか。幸せなど願っていいのだろうか。

 殺し憎まれ憎み強者だけが生き残れる世界。
 そんな中でも育てて気に掛けてくれた男が居た。ボロボロになって帰ってもおかえりと笑って迎えてくれた家があった。文句を言ってもそうかそうかと笑って、雨に濡れて帰ればタオルを持って出迎えてくれた。
 ちっぽけなものだった。けれどそのちっぽけなものが土方にとっては大きな幸せだった。
 今更失くしたものの大きさがわかって、土方は手の中の四葉を呆然と見ていた。

「わ、雨だ」

 ぽつぽつと降ってきた雨に総悟が声を上げる。
 頬を伝った雫は今なら雨だと誤魔化せられるだろうからと、土方は唇を噛み締めて頬を濡らした。

「父さん」

 その声に答えてくれる人はもういない。
































































































Act.14
 2人しか居なかった公園の広場に人が増えた。
 総悟の姉のミツバだ。体調が悪くて寝込んでいたらしいが、最近は体調が良くなったようで総悟と一緒に公園へ来るようになった。
 総悟とミツバは一緒に四葉を探したり、ミツバが作るシロツメクサの花冠を総悟が面白そうに眺めたりして遊んでいた。
 ふたりで顔を合わせて笑い合う。その光景は傍から見ていてもふたりがどれほどお互いを想い合っているのかどれだけ大切なのかが分かるほどで、土方はそんなふたりの様子をじっと眺めていた。

「はい、十四郎くん」

 シロツメクサの花冠をふたつ作ったミツバは1個を総悟の頭に乗せ、もうひとつを土方の頭にぽんっと乗せた。
 ぼんやりとしていた土方が驚いて顔を上げると、ミツバが柔らかく笑い、覗き込んだ総悟が似合わねーとケラケラと笑っている。
 ひとしきり笑った総悟は自分で作ったらしい不格好な花冠をミツバの頭の上に乗せる。ミツバは文句を言わずありがとうと言って総悟は照れたように笑った。

「あ! てんとう虫だ!」
「総ちゃん、走ったら危ないわよ」

 よく似た姉弟の笑顔は、土方には温かく見える。それはまるで暗い世界をぽっかりと照らした日だまりのようだ。何かあってもここに来てふたりの姿を見れば、落ち着きもするし心が洗われるようだった。
 いつからか土方は思うようになった。
 この光景を守りたい。ふたりの幸せを壊したくない。
 幸せを失くした土方にとって、ふたりの笑顔を守ることが強さを持つ自分の義務なのだといつしか強く思うようになっていた。




 それから暫く経って、変化が起きた。
 総悟とミツバの姿を見る回数が極端に減ったのだ。土方が公園へと行っても来ない日のほうが多くなった。
 どうしたのだろうと思っても連絡先もどこに住んでいるのかも知れない土方には確かめる術もない。
 悶々としながらも公園に足が良く通っていると、久しぶりにクローバー畑に総悟の姿を見つけて土方は走り寄った。何かあったのかと問えば、総悟はフルフルと頭を振りミツバが体調を崩して寝込んでいるのだと淡々とした口調で言った。

「ちょっと調子が悪いんだ」

 そう言いながら緑の地面を弄っている。四つ葉を探しているというよりかは、クローバーを毟っていると言ったほうがいいのかもしれない。総悟自身も浮かない顔をしていて、土方としては気が気じゃなかった。

「そんなに悪いのか?」
「ううん。姉ちゃんは大丈夫だって」

 じゃあなんでそんな沈んだ顔をしているんだ。
 土方はしゃがみ込み総悟を窺い見た。
 そして気付いた。
 総悟の頬が内出血をしたように赤黒くなっていた。

「どうしたんだよそれ!」

 肩を掴んで声を荒げて問うと、急に怒鳴った土方に驚いた総悟がきょとんと眼を瞬かせた。
 殴られたと、5文字の言葉を無機質に言う。
 元々親なしの孤児で周りの人に助けてもらいながらふたりで暮らしていたが、今は姉が体調を崩して知人の人に預かってもらっている。
 その間自分は別の人間の元で世話になることになった。
 いつも酒を飲んで暴れてその巻き添えを食らっただけだよ。
 総悟は他人事のように言った。土方は自分の中の日だまりが急に陰った気がして、呆然とした。



**********************


 いつかはこうなるかもと思っていたことだった。
 暴力沙汰など自分にとっては日常茶飯事で珍しいことでもないし、総悟もいつかそんな目に会うのではと危惧はしていたが、実際そんな目にあっていると分かると情けない話どう声を掛けていいのか分からなかった。

(俺も四つ葉を探そうか)

 そんなことをぼんやりと思いながら薄暗い路地裏を歩いていると、土方はそこであるはずのないものを見つけて足を止めた。
 総悟だ。
 突っ立った総悟がそこに居た。
 こんな路地裏になんで居やがるんだと総悟の視線を追えば、その先には大人の男4人がゆっくりと総悟に歩み寄っている。手に棒を持っている奴も居て土方は目を瞠った。

「何やってんだあの馬鹿!」

 突然の出来事に呆然としていたが逃げない総悟に舌打ちをして土方は走り出した。
 総悟の元へと駆けると去り際に細い腕を掴みそのまま走る。

「え?」

 驚いた総悟の声にも足を止めずただひたすら走った。男たちが声を上げながら追いかけてくる。ここは土方の庭だ。幸い入り組んだ場所だから振りきれる自信はあったが追いつかれないように全力で走らなければならない。
 走って、走って、声を振り切りただ逃げた。
 背中を向けて走るのは初めてで、途中で「なんで俺は逃げているんだ」と自問自答を繰り返す声が聞こえたが、それでもこの手を離す気にはなれなかった。

 男たちから逃げ切っていつものクローバー畑に辿りつく。ふたりで暫く息を整えてから手を離して何故逃げなかったのかと問うと、まだ息を切らしながらも総悟は実にあっけらかんと言った。

「そんなこと言われたっていつものことだし」
「いつもあんな連中に追われているのか」
「そうだよ」
「なんだってお前はそう…」

 なんだってお前はそう、自分のことには無頓着なのか。弱いのだから言えば助けてやるのに、何故俺に頼らないのか。

(俺は守りたいのに)

 俯いて唇を噛む。自己犠牲の激しい総悟に腹が立ちもすれば、無力な自分が歯痒くかった。
 いつかはそうなるかもと思っていた。
 総悟の声に以前のような明るさはない。
 世界は暗いし生き辛い。
 日だまりがいつしかその闇に飲まれるのではないかと、土方は心配だった。

(そんなことさせねえ)

 土方はぎゅっと拳を握って意を決して顔を上げる。

「約束だ。お前の回りがどれだけ嘘に塗れていようと、俺はお前に嘘をつかない。だからお前は前を向いて生きろ」

 この世界は偽りと憎しみと裏切りによって構成されている。現実は厳しくてすぐにこの日だまりは影に飲まれてしまうだろう。
 だから俺はお前に優しい世界をつくろう。俺はお前に嘘をつかない。例えそれが嘘だとしても、嘘を俺が現実へと変えてやろう。
 土方は小指を1本立てて誓う。

 やさしいせかいをあげる。

「もしそれでも辛いなら、俺が殺してやるよ」

 もしそれでも辛いなら、俺がお前にやさしいせかいを与えることが出来なければ、一緒にしのう。
 俺は命を賭けて守るから。