Act.17
手に取った新聞に崩壊した時計塔の写真がでかでかと載っていた。全てが塊に埋もれて、真相などもう誰にも分からない。裏の抗争か等と記事には様々な仮説が書いてあるが、まさかトップが自分の組織を潰したとは夢にも思わないだろう。
みんなひとりの男に騙されたのだ。
(俺も騙されたってわけだ)
おばちゃんコレちょうだいと代金を払い、名誉の新聞を受け取り俺はひとりほくそ笑む。
探偵という生業をしているだけあって、俺のところにはいろんな事情を抱えたいろんな奴らが来る。土方もそのひとりだった。
初めて会った時は目付きの悪いヤツだなとただそれだけだった。ドサリと金を置き人を探してほしいと言われた時は嫌な金持ちだなと顔を顰めたものだ。
それでも何度か話を交えることで、だんだんとソイツが抱える闇に気付いた。聞くかぎりじゃ裕福な生活をしているのに、土方の中はいつもすっからかんだった。
それが探し人の沖田ミツバと総悟の話になると目の色を変えて突っかかって来る。まるでふたりが土方の生きる原動力と言わんばかりに、土方は異常な執着と強い意志を俺に見せた。
職業柄いろんな人間に会うが、そんな人間は初めてだった。底知れない感情に、俺は興味を持った。
やがて積極的に話しかけるにつれ、ソイツと妙に気が合うことに気付いた。奇妙なモンで真逆な性格をしているのにもう長年共に居るような既視感を抱くこともあって、探偵と客というよりも近い存在となっていた。こっぱずかしくて面と向かって聞いてはいないが、土方も同じようなことを感じていたみたいで用もないのに野良猫のようにふらりと訪れることも多い。
悪友のようなものだ。
俺がそれ以上の感情を抱いていたのは秘密だが。
あの時、沖田を好きかどうか問いかけた時、土方が頷きでもすれば俺は引きとめた。身を削って頑なに自分の信じるものを守ろうとしたソイツが心を開いたのも俺だし、ずっと見守っていたのも俺だ。それなのに組織と一緒に死ぬなんて許せるわけねーだろ。沖田なんて諦めろ。組織の奴らに同情するな。俺が居るじゃないか。窓際が好きでよくそこに立っていただろう。今まで通りそこに居ればいい。
俺には土方を止める力も言葉もあった。本当は力づくでも止めることが出来た。
(でも全てと言われちゃね…)
どんな言葉も勝てやしない。
新聞を傍らに抱いてドアを開けると、沖田が窓際に立って空を見ていた。土方もよく好んで立っていた場所だ。
ドアが開く音を聞いてバッと勢いよく振り返るが、俺の姿を見ると目に見えてしゅんと落ち込む。失礼だなと思いつつも、沖田が誰を待っているのか分かるから俺も何も言わない。
「はい、いい知らせ」
買ってきた新聞を沖田に手渡すと、沖田の青い目が大きく瞠る。
時計塔の崩壊で組織は壊滅した。粉々になっていているから証拠などは上がっていないが、綿密な計画を練る土方のことだから確実にあの爆発で組織は終わっただろう。
「良かったね。これでお前の敵はみんな居なくなったってわけだ」
「…土方さんは?」
弱弱しい声に冷たい声で答える。
「聞いてなかったの? お前の敵はみんな居なくなったんだ」
土方は死んだ。
そう言えば青い目がビクリと怯んだ。目を伏せて唇を噛み締める。
沖田が目覚めてからもうこのことを言うのは3回目になるが、沖田は一向に信じようとしなかった。土方が守っていたからか、瓦礫の現場で沖田を見つけた時、ひどい打撲や打身はあったものの幸い沖田に目立った外傷はなかった。しかし手首にある包帯は目が覚めた沖田が自分で付けたものだ。土方の懸念通り、組織が壊滅したと知った沖田は自殺を図った。
(まあ俺がぶん殴って止めたけど)
しかし預かったとはいえこの子をどうしたらいいのだろう。途方に暮れているのは沖田も俺も同じで、ソファーに座り俺は仰け反って天井を見上げる。土方のことを思い出しながら言った。
「いいじゃん。土方だってお前の敵だったんだろ。手間が省けて万々歳じゃん」
「…よく分かんね。土方さんが何を考えていたのか全く分かんないんでさァ」
ちらりと見た沖田の横顔は迷子のようだった。土方が沖田になんて言っていたのかは分からないが、アイツのことだ、嘘をつくことになるとでも思って多くは語らなかったに違いない。沖田には土方が敵なのか味方なのかも分からないのだろう。
(でもこれじゃあアイツも報われねぇな)
じーっと沖田を見てから俺は言った。
「全部教えてやろうか?」
「…え?」
何も知らず振り向いた沖田に、俺は残酷な言葉を告げる。
「お前の姉ちゃんはアレが水だって知ってたよ」
「!」
「土方が言ってた。知りながら水を飲んでたって。お前が知れば悲しむから姉ちゃんはお前に言わなかったって」
「……うそだ」
「嘘じゃねーよ。つまり姉ちゃんも土方もお前に嘘を付いていたってわけ。お前の敵は誰も居なかったんだよ」
「………」
沖田ミツバは水と知って飲み続けた。効かなくて当然だと知りつつもだ。
結局騙されていたのは沖田総悟だけだった。姉が死んだのは飲んだ水のせいだと思っていたが、ミツバがそれを知っていたとなれば事情は変わってくる。
「土方はお前の姉ちゃんを助けようと病院を進めたんだって。でも断られたって言ってたよ」
「……なんで?」
「お前と一緒に居たいからだってさ」
傷ついた大きな青い目が俺をじっと見た。泣きそうにグシャリと歪んで顔を伏せる。
そんな沖田を俺はソファーに座ったまま見ていた。手を伸ばすことも慰めの言葉も掛けない。
俺は土方のように優しくない。
「お前が知らないだけで、組織がお前の敵じゃないと知りつつも土方はお前を手伝ったんだ。こういっちゃなんだが、俺から見れば喉から手が出るほど羨ましい未来を蹴ってまでお前のことを一番に考えていたぜ」
「………」
「大切だって言ってたよ」
ギュッと唇を噛み締めて、肩を震わせて、沖田はポロポロと涙を流して泣いた。嗚咽を交えながらグスングスンと泣いている。
言われなくたって土方がどれほど自分を想っているのか沖田は知っていた。それは受け止めるには大きすぎて取り零してしまうほど包み込むような優しさだった。ふと笑った笑顔、総悟と呼ぶ声、伝わる手の暖かさ。全部知っている。居なくなって初めて気付いたものもある。
「土方に会いたいか?」
沖田は頭をブンブンと振って、溢れる涙をゴシゴシと拭って「分かんねェ」と鼻水を出しながら言った。
それでもやっぱり分からない。土方が自分のことを守ってくれていたのは分かるが、組織はやっぱり憎い。
沖田を頑固な奴だと言っていた土方の言葉を思い出す。沖田の中で鬩ぎ合っているのだろう。
沖田は昔、男に預けられていた時、男に吹き飛ばされて壁に頭をぶつけ一時的な記憶を失った。土方のこともそれまで支えてくれた人間のことも曖昧になって、ミツバに手を引かれてふたりで生きた時から沖田が信じられる存在は姉のミツバだけとなった。そんな沖田だからこそ今になっても信じるのが怖いのかもしれない。本当に土方を信じていいのか、裏切らないのか、沖田には最後まで信じられないのだ。
(ったく。世話が焼ける)
土方といい沖田といい、どうしてこう面倒な人間ばかり俺の元へ来るのだろう。
はあと大きくため息をついて、ソファーから立ち上がる。沖田の隣まで歩み寄って目をごしごしと擦る沖田の頭を撫でると、目と鼻を真っ赤にして子どもがこっちを見上げてきてつい笑ってしまった。
ひどい面だね。そんなにぐちゃぐちゃな顔して会いたいのか分かんないってなんなの。
「昔、土方に教えてもらった言葉を教えてやろうか」
「……?」
「この世界は嘘をつかずに生きていけるほど綺麗には出来ちゃいねえ。自分を守る為の嘘、人を助ける為の嘘、いろんな嘘がある。中には人を陥れる嘘もあるさ。でもな、付いちゃいけない嘘もあるんだよ」
「……」
「自分に嘘はつくな。アイツはそう言ってたよ」
沖田くん、アイツに会いたい?
ちょっとばかし中腰になってじっと目の奥を見つめる。言い聞かすように、奥に居る沖田総悟自身に問いかけるように。
沖田はまた泣きそうに顔を歪ませて、でも耐えきれずに顔をぐちゃぐちゃにして言った。
「会いたい」
そう一言掠れた声で言ってまた泣いた。今までずっと泣けなかった涙が全部の柵が溶けて一気に溢れたようだ。
よくできましたと心の中で呟いて子どものように泣きじゃくる沖田の頭をぽんぽんと撫でる。そしてぐいっと背中を押した。
不安そうな顔で沖田が俺を見る。その顔は迷子の子どものようだった。暫く沖田を付けていたから復讐に生きる沖田総悟を知っているが、あの時とはまるで別人だ。野犬のように牙を剥きひとり立ち続けていたあの沖田と同じとは思えない。
(どっちが本当の沖田なんだか)
捜査対象でしかなかった自分には分からないが、きっと土方にとってはどちらの沖田も大切なのだろう。
命と人生を賭けてアイツが守りたかったものが今目の前にあると思うと、妙にむず痒いような誇らしい気持ちになった。
ふと笑って、ドアをびしっと指差す。
「階段を下りて右に曲がってそのまま真っすぐ、ピカソみたいな壁の落書きが見えたらそこを左に曲がって2つの細道を過ぎた先に赤と白の布を出した建物がある。そこの2階に行きなさい」
「……え?」
「会いたいんだろ。土方に」
青い目が言葉を飲み込むようにまあるくなった。やっぱりこういう役柄は似合わないと苦笑する。
「生きてるよ。さっき言った場所で免許持ってんのか知んねーけど信頼出来る医者に診てもらってるから。一時は危なかったけど、あそこから落ちたのにゴキブリ並みの生命力で今は安定してっから」
呆然としている沖田。涙も鼻水も拭うことを忘れて口をぽっかりと開けている。
このまま送り出すのは悔しいけどそのアホみたいな顔でチャラにしてあげると、勝ち誇った顔をして言ってやった。
「俺は土方と違って嘘つきだから」
死んだなんて、嘘。
途端飛び出して叩きつけられた扉に、壊れたらどうするつもりだと沖田が立っていた窓際に立って、足を縺れさせながらも駆けて行く沖田を窓から見ていた。
本当はずっと黙ってるつもりだったんだけどなーと思いつつも、眼下で駆けて行く沖田を見ていると自然と笑みが浮かんでくるから不思議だ。これで良かったに違いない。自分にそう言い聞かすしかなかった。
「あー俺って優しいんだ」
胸に沸いた一抹の寂しさは見ないフリをして空を見上げる。ふとこの場所はいつも土方が立っていた場所だと思い出して、今まで全く気付かなかったことに気付いた。
足下には光の海、見上げれば眩しいほどの太陽の光。そこはこの部屋で唯一日だまりが注ぐ場所。
**********************
言われた場所をただひたすらに目指した。急に言われたものだから場所なんてしっかりと覚えていなかったけれど、不思議と走る足に迷いはなかった。息が切れるほど我武者羅に駆ける。一心に、ただ会いたいと思った。
やがて赤と白の布が風にはためいているのを見つけて慌てて建物の中へ駆け込む。中は誰も居なかったけれど勝手に2階へと駆け上がった。
2階は病室というよりベッドが4つほど置かれているだけの客間のようだった。しかしその一番奥、窓際のベッドだけがカーテンに囲まれてこちらから見えなくなっている。
あそこに土方が居るのかもしれないと思うと心臓がやたらと跳ねた。どくどくと響いて煩い。床板を踏みしめて近づき、しゃっとカーテンレールを鳴らして囲いを外す。
途端窓から温かな風と陽光がバッと視界に入りこんできて思わず目を瞑る。
ゆっくりと瞼を持ち上げると、人の心配なんて全く知らない顔で土方がすやすやと眠っていた。頭に包帯を巻いていて体にもいくつか処置の後が見えるが、窓から入る風と日の光を受けて気持ち良さそうに眠っている。
「馬鹿面…」
拍子抜けするほどあどけない顔で眠っていて、沖田は眉尻を下げた。初めて見た土方の寝顔は、いつの日か夢で見たそれと何も変わらない。行き先も分からない電車の中に乗っていた時、隣に座っていた土方はひどく幼い顔で眠っているのだ。
顔をそっと撫でると温かさがあった。それは死人の冷たさじゃなくて生きている証だった。
ミツバが死んだ時の冷たさとは違う温もりに、生きているんだって改めて分かって、涙腺はもう壊れてしまったらしい、単純に涙が溢れそうになる。
「土方さん」
呼んで肩を優しく揺する。上下する呼吸だけでは物足りなくて、早くあの黒い瞳を見たかった。
土方さん土方さん。何度か呼ぶと、土方の瞼がピクリと動いた。
そしてゆっくりと目を開けると寝ぼけたようにぼうっと天井を見る。
焦れた沖田がもう一度名前を呼べば、沖田のほうへ顔を傾けてその姿を捕えた土方が目元を柔らかく緩めた。
「総悟」
無事か?
自分のほうがボロボロのくせにそんな心配をする。
当たり前じゃないかと言ってやりたかったが、土方の声が聞けて顔の筋肉が言うことを利かなくなった。涙腺が緩んで破顔する。
「アンタより元気でさァ」
手を取ると弱々しく握り返してくる。温かい手をもっと感じるように思わず強く握り返すと、また溢れ出しそうになった涙を見て土方がくすりと笑った。
「どうした? 泣きそうになってるぞ。目も真っ赤だ」
「うるせえ」
「お前が助かったのは坂田に聞いていたから知っていた。生きていてよかった」
「…俺、アンタが死んだって聞かされてた」
「アイツ、たち悪いからなあ」
仕方ないなあという風に土方は笑った。ギラギラと壁を張っていた土方とはまるで別人のようだった。全てが剥がれ落ちたように今の土方は穏やかな顔をしている。
この男にはまるで似合わなかった儚いという言葉がふいに思い浮かんで総悟の胸がドキンと脈打った。土方が天井を見上げたまま言った。
「頼んだわけじゃないが、坂田が言わなかったら総悟にはそのまま俺は死んだってことにしといてもいいと思ったんだ」
「…なんで」
「そのほうが総悟が幸せになれると思ったからさ」
あの時、総悟が時計塔に来て、最優先事項が総悟をあの場所から引き離すことにならなければ元々あの場所で死ぬつもりだったのだ。
土方はふっと笑って、そういえば、と総悟を見やる。
「俺を殺すか? 確かそう言ってたよな」
「………」
「いいぜ。お前に殺られるなら本望さ」
全てを投げ出したように息を吐き出してぼすりと枕に沈む土方を見て、
「ふざけんじゃねーよ!!!」
総悟が怒鳴った。
声を震わせた怒鳴り声に土方は驚いて総悟を見る。感情を昂らせた総悟は猫なら毛をピリピリと逆立てたように怒りを露にしまくし立てた。
「なんでアンタはそう勝手に決め付けるんだ! 姉上のことだって黙って…ッ」
「!……。坂田に聞いたのか」
「…あれが水ってこと、姉上が知ってたって聞きやした。姉上が黙ってることもアンタは知ってるって」
「そうか」
驚いた顔をした土方は息を吐いて寝台に沈み、ゆっくりと持ち上げた右手で目を覆った。
土方の言葉を待った総悟の耳に、悪かったと静かな声が届く。
ミツバと会った時、病気が進行し過ぎていて処置が出来なかった。強引に病院に連れて行けば助かったかもしれないが、行きたくないというアイツに無理強いは出来なかった。
「アイツ、言ってたんだよ。総悟と居たいって。お前が一生懸命薬を運んで世話をしてくれるのが嬉しい、残りをお前とふたりで過ごしたいって。病院に行けば集中治療室みたいな隔離された場所に閉じ込めなきゃならねえ。そんな離れ離れにするようなことなんて出来なかったさ」
すまなかった。ごめん。
土方は謝罪の言葉を繰り返す。ずっとずっと後悔し続けていたのだと痛いほどに分かって、総悟は何も言えなかった。
土方との思い出をそっとなぞれば、素っ気ないながらもいつも側に居てくれたことを思い出す。見守ってくれていた。ふわりと前触れなく浮かび上がった記憶は、土方と総悟とミツバが子どもの姿でクローバー畑に居て、ミツバに花冠を被らされた土方が気恥ずかしそうにそっぽを向いているところだった。
昔のことはよく覚えていない。深い霧がかかったように所々が曖昧になっていて掴むことが出来ない。けれど自分が覚えていないだけできっと昔から土方は見守ってくれていたのだろう。
温かな気持ちが広がって総悟の頬にポロリと涙が落ちた。土方さんと名を呼べば少し手をずらして土方がこっちを見る。
「俺が憎いか、総悟。理由なら山ほどある」
「…分かんねェ。アンタが組織の頭だったって考えるとやっぱ許せねェって気もしやす。でも、それ以外の考えもあるんでさァ」
涙を拭って濡れた目で土方を見た。頭が妙にすっきりとしていて自然と笑みが浮かぶ。もっと簡単なことだったんだって教えてくれる。
「俺、自分には嘘をつきたくねェ」
俺は、
「俺は、アンタと一緒に生きたい」
嘘偽りのない言葉に土方は言葉を飲み込んだ。すぐに飲み込めない言葉を頭で理解しようとしていると、1歩1歩総悟がベッドに歩み寄ってきて頭を抱えるようにギュッと抱きついてきた。
ドクン、ドクンと直に伝わる鼓動、生きている証だ。
唯一動く右手を持ち上げる。これも生きている証。
ふと、あそこで死んでいれば知らなかった未来に今居るんだと思った。
回そうか回さないか迷って、触れる程度に総悟の背中に腕を回すと余計にギュッと抱きついてきたから躊躇わず力を込めて抱き返した。片腕なのがもどかしい。
「アンタ本当に馬鹿でさァ。何ひとりで死のうとしているんですかィ」
「馬鹿ってなんだよ」
「全然知らねェ場所に小屋を立ててチューリップを育てるって言ってたのは嘘だったって言うのかよ」
いつも幸せを願っていた。幸せならそれでいい、それを守りながら俺は遠くから見ていよう、そう思っていた。
なのになぜだろうな、いつの間にか近くに居たいと思うようになっていた。
どんなことがあっても奥底ではお前は純粋で、闇を頭から被った死神のような俺が近くに居たらいけないと思って望むことを諦めていたのに、お前はいつも手を伸ばしくれる。
体を離して総悟を見ると、再会して初めて光の下で見る総悟の目には昔と変わらない透き通った青空があった。
守りたいと思ったものがここにあって、変わらない懐かしさに漸く出会えた気がした。
「馬鹿はどっちだ。誰がチューリップって言ったんだよ、植えるのはひまわりだ」
「え?」
「本当にお前はどっかが抜けている」
久しぶりに心の底から穏やかな気持ちで笑って、改めて総悟を見た。
あの言葉は嘘じゃない。俺の本心だ。
そう言えばきょとんと目を瞬かせてから目を細めて柔らかく笑うキミの姿。
いつも幸せを願っていた。幸せになってほしいと思っていた。
(でも違った。幸せになるのは俺だった)
総悟の笑顔を見て確信する。総悟が嬉しそうにすると俺も嬉しくなるし、幸せでいれば俺も幸せになる。
この笑顔の為に俺は今までやってきたのだろう。満更じゃないと思って、笑う。
漸く守れたものが今目の前にあって、手を伸ばすとそっと握り返してくれた。
Epilogue
季節は移り変わり、そろそろまた次の季節が訪れる。
坂田銀時は寝不足気味でくあっと大きな欠伸を掻いて目尻に涙を溜めた。
カーンと甲高い鐘の音が聞こえて空を仰ぐ。時計塔が崩壊して2年と少しの歳月が過ぎ、今は高台に取り付けられた新しい鐘が刻々と変わる時刻を知らせていた。
(もうそんなに経つのか…)
土方と沖田は姿を消した。
沖田は元々身よりがないが、土方は各所で名前が通っていただけに一時は行方不明だ事件に巻き込まれただの大騒動となったが、捜査は一向に進まなかったと聞いている。
勿論坂田もふたりがどこへ消えたのか分からない。
土方の傷が治るまで沖田も暫くあの部屋に居たのだが、傷もある程度癒えたある日突然居なくなっていたのだ。
”ありがとう”と土方の筆跡で書かれた紙が置いてあってそれっきりだ。
名前も特徴も知っているのだし、これでも結構腕の立つ探偵と自負している。必死に探せばそれなりの情報が入るのかもしれないが、それほど野暮でもない。
(見つけたところでどうしようというわけでもないし)
頭をぼりぼりと掻いて坂田は通りを歩いていた。
「ちょいとそこのお兄さん」
すると道端の男に話しかけられた。
地面に布を敷いてその上に自作の絵を置いているのを見るとどうやら絵描きのようだ。
「絵はいかがですか?」
「へえ、うまいじゃないの」
「自分で旅しながらいろんな風景を描いているんですよ」
腕を組みどれどれと坂田は絵を見た。お世辞なしに絵が本当に上手かったのと、あとは冷やかし半分だ。
じろじろと見ていくとその中でひとつの絵に目がとまった。
「これは?」
「ああ、これですか」
絵描きは絵を取って坂田に渡す。
坂田の手の中に収まった絵には一面のひまわり畑が描かれていた。みんな同じ方向に向いているひまわりを、端に描かれたふたりの人間が揃って見上げている。
何故だか目が離せなくてじっと見ていると、絵描きがにこにこと笑いながら旅の話をした。
「ここよりずっと遠いところなんですけど、なんでも綺麗なひまわり畑があるって噂に聞きましてね。人里離れたところにあるから見つけるのに苦労したんですが、見つけてみれば本当に綺麗な場所で筆を取らずにはいられませんでした。しかもそこに住んでいる人たちがまた面白くて」
「へえ。どんな人だったの?」
「ふたりの男性なんですけどね。ほら、ここにも描いているでしょう。ひとりはお兄さんぐらいの背をした気難しそうな顔をした男でね。あんな辺境な場所に住んでおくには勿体ないぐらい整った顔をしているんですよ。なんにでもマヨネーズを掛ける変わった人でした。もうひとりは元気な子でしたね。口調がおかしくて「〜でィ」なんて言ったりするんですよ。一晩泊めて貰ったんですが、じゃんけんで家事を決めているらしくて長身の男がいつも負けて、その子は馬鹿にしていましたね。その掛け合いが面白くて」
「ふーん。楽しそうだね」
「ええ、とっても」
(ほんと、楽しそうだ)
男の会話で、それが土方と総悟だと坂田には分かった。以前ひまわりを育てたいと土方が呟いていたのを覚えていたし、話を聞く前からなんとなくこの絵に描かれた人影がそうではないかと思っていたのだ。
「偶然って怖いね」
「え?」
「なんでもない。気に入ったからこれちょうだい」
幸いそう高い金額ではなかったので坂田はそれを購入した。絵のタイトルを教えてもらって笑い、それを抱えて帰路を歩いた。
寝不足でとろとろと歩いていた足取りが妙に足早となっていて苦笑する。
この絵は太陽の光が入るあの場所へ飾ってあげようと心に決めていた。
絵のタイトルは”日だまり”。
(ぴったりじゃねえか)
ひまわり畑は空から見れば地面に落ちた大きな日だまりだと土方は言っていた。
その中で戯れるふたりは暗い世界とは無縁だ。やっと見つけた居場所。
迷いも葛藤も悲しみもいろんなことがあったのを知っているから、あのふたりには幸せになってほしいとそう願う。
(なんてな)
気恥しいような、けれど妙に誇らしい気持ちになって足を止めて空を仰ぐ。
見上げた先には一面の青空が広がっていて、大きく息を吸い込み一呼吸、限りなく続く空に向かって言葉を送ろう。
どこかに居る友人たちへ、その日々がどうか幸せでありますように。
この気持ちは嘘じゃない。