寒い日ばかりで嫌になる。昨日なんて雪が降りやがった。最悪だ。
寒さに拍車をかけるようで雪はあまり好きじゃない。雨より雪のほうがマシだが、雪よりも曇り、曇りよりも晴れのほうが断然いい。
そう呟けば人を馬鹿にしたような顔をして、情緒のない人だと亜麻色が悟りきったように鼻で笑う。
「土方さんは真っ黒だから少しは白くなったほうがいいですぜ。さっさと雪に埋もれてきなせェ」
「オメーにだけは言われたくねー台詞だな。お前も雪に飛び込んでそのどす黒い心を綺麗さっぱり純真無垢にしてこい。そして生まれ変わってこい」
沖田はひょいっと眉を上げた。
「ひでーなァ。俺のどこが純真無垢じゃないってんでィ」
「ぜんぶ」
「…。死ね土方」
「死ね沖田」
「遠慮するなよ土方。本当は駆け回りたいんだろィ。本能のままに生きなせェ」
「テメーな、」
「そしてわんと言え」
「俺は犬じゃねェェぇえええ!!」
自転車を押して歩いて不毛な争いをするのはもう日常に溶け込んでしまって、今更その意味を考えることもない。
息を吐けば白い塊になって飛び出してくる。寒い。寒すぎる。温暖化なんて絶対嘘だ。だって俺はもう寒くて死にそう。
ふいに今日は両親が出掛けていることを思い出してうんざりした。帰っても冷たい家が待っているなんて、想像するだけで寒気がする。
ふと隣に視線を向ければ亜麻色から覗く耳が寒さに赤くなっていた。なんでもない顔をしているが時折吹く北風に目を細めて鼻をズッと啜ってマフラーに顎を埋める。
寒いくせに我慢しやがって。
そんな様が俺の笑いを誘う。微笑ましく思うのは惚れた弱みだ。
なんとなく視線を下げていってふと気付く。
「あれ?お前手袋は?」
総悟はなんでもないように言った。
「あァ。無くしやした」
「は?無くした?」
「どっかいっちまったんでさァ。あれしかなかったのに」
「じゃあ買えばいいんじゃねーの」
総悟はそこで眉を下げて何故か気難しそうな顔をした。「よく分かんねーんでさァ」
「なにが?」
「手袋を選ぶ基準ですよ。ほら、服とか靴ならなんとなく鏡で合わせて分かるでしょう?でも手袋ってーのはそんなにデザインにこだわりがあるわけでもねェし、あんま主張するモンでもねェ。けどやっぱ金を出して買うからには似合うモンを買いたいじゃないですか」
「あー、まあ、な。で、何?それで買わずに終わるってわけかよ」
「ヘィ」
あーもう寒ィから肉まんおごって下せェ。
総悟はそう言ってズビッとまた鼻を啜る。その小さな山の天辺が赤くなっていた。
男だがどことなく幼い印象を受けるせいか(主に顔とか丸い目が)、同じ年だというのに庇護心を抱くというから不思議だ。そして頭を働かせて心の中でコイツに似合う手袋をばたばたと探す俺も、救いようがない。
とりあえず寒そうだし俺も寒いから帰路を急ぐ為に「乗るか?」と自転車の後ろを差すと、マフラーに口元を埋めたまま丸い頭がこくりと無言で頷く。
…いや、そういう素直な反応をされるとこっちまで照れるんだが…とは、言わない言えない。
総悟に買い物に誘われた日は、そんな会話も日常の影に忘れた寒い冬空の日だった。
いくら好いた相手とはいえ、コイツが俺に誘いをかけるなんざ碌なことがないのが8割強。そう分かっているから誘いを受けても素直に喜べないのが常だ。この前なんて映画を見ようと誘われて嬉々として出向いたら日本のホラー映画だった。ふざけんな。
「タバスコ買いやす?」
「却下。おめー、それどうするつもりだよ」
「勿論鍋の中にぶちこんで、真っ赤な鍋を作るんでィ」
「味覚音痴は黙ってろ。そんな激辛鍋を作るんだったら俺は激マヨ鍋を作る」
「……」
「…ンだよその目は」
「アンタにだけは味覚を語ってもらいたくねーや」
今回は何が待ってるんだと思いきや、総悟の口からは意外な言葉が飛び出して来た。今日は家族が全員出払っているから家で一緒に鍋をしようという提案だったのだ。身構えていただけに言葉がすぐに理解出来ず、あ?ンだそれ誘ってんのかと検討違いな心配をしてしまった。そして心中で冷や汗をたらりと流すと、それを見透かしたように総悟が半眼で言う。夜になれば近藤さんと山崎も来ますぜ、と。お前それを早く言え。
咳払いをひとつ。
大型のショッピングモールに来たのだが買い出しを始めるにはまだ時間があった。駅前のゲーセンやショップはよく行くが、こんな郊外の店に来ることはなくて、せっかくだからとぶらぶらと店を冷やかしながらモールを満喫することにした。鍋の話や何気無い日常の話、通りがかったカップルを勝手な偏見で語ったりと、こうやって適当に歩くのも嫌いじゃない。不思議とつまらないとは思わなかった。こうも共に居ると、意味を成さない時間さえ居心地がよくなる。
ふと足が止まったのは雑貨屋の店先に手袋が吊るされていたからだった。忘れていた話題が蘇る。
「総悟、お前そういや手袋がどうこうって言ってなかったか?」
「あー…言いやしたっけ。よく覚えてやすねィ」
吸い寄せられるように店先の手袋を眺めた。デザインも悪くないし、値段もリーズナブル。学生の俺たちでも衝動買いで買えるお手軽さだ。
これからもっと寒くなる。買っていけば?と薦めれば、そうですねィと総悟が頷いた。
丸い頭が手袋をひとつひとつ手にとって吟味をする。その様を眺めてから、俺も適当に目に付いた手袋を手にとりながら、なにか掘り出し物はないかと品定めに入った。
彼女が居た時はこうやって買い物に付き合ったりした。と言っても俺はただ眺めるだけで、これはどうあれはどうかしら?と意見を求められて初めて、いいんじゃねえのと適当な返事を返すぐらいだ。俺はそこまで熱心に服や物を選ぶタイプでもないし、どうせこれがいいと薦めたところでそれは可愛くない趣味じゃないと否定されるのに決まっている。男と女が思う良さは根本的に違うのだ。
(あ…)
ふと手に取ったそれが、妙に俺の目を惹いた。ベージュ色で厚めのニットの手袋。目に入った瞬間総悟に似合うと思ってしまった。
瞬きをみっつぐらい繰り返し、じっと眺める。改めて見ると自身の物を選ぶ時とタイプが違っていた。俺が自分の手袋を選ぶなら、コレは手に取ってもすぐに棚に戻してしまうだろう。
なのに手に取ったままなかなかこれを戻せないのは、選らんだ基準が俺じゃなくて総悟だったからだ。無意識に俺は、“総悟に似合う物”を基準に手袋を見ていたのだ。
手の中の手袋を見つめて俺はひとり気恥しくなる。何やってんだ俺。野郎同士でやることじゃないだろう。無意識な行動だけに余計恥ずかしかった。
内心ひとり呆れていると、亜麻色がずいっと俺の視界に入ってきたからびっくりした。
「なんでィ、ずっとそれ眺めて。そんなにそれが気に入りやしたか?」
「べ、別にそうじゃねーよ」
「ふーん。まあでもそれを手に取るってことはアンタそういうのが好きなんですねィ。ちょっとイメージが違う気がするけど」
当たり前だ。だってコレはお前を思って選んだんだ。そんな言葉はきっと世界が終っても言えない。
言葉に詰まった俺をどう思ったのか、総悟は手の中の手袋を見つめてから俺を見上げてきょとんとした顔で問う。
「アンタはコレがいいと思うんですかィ?」
上目遣いは反則だ。心底俺は、そう思うんだ。大きな青い目に見つめられ、不覚にも見惚れて俺は、頭を小さく縦に動かす。
ふーんと総悟が柔らかく笑うから、思わずドキッとした。総悟は半ば放心状態の俺の手から手袋を掻っ攫うと手を振りながら店の奥へと歩き出す。
じゃあ俺、コレ買って来やす。そう言い残して。
(……え、なにこれ…)
何も持ってない手の平と亜麻色の後ろ姿を交互に見やって、俺はひとり取り残される。頭がよく働かない。どういうことだと頭の中を整理して、状況を把握しようと試みる。
俺の選んだ物を買った…?総悟が?もう見えなくなってしまった方向を向いて呆然とした。
なあ、それってつまり、俺がお前の物を選んだってこと…?
「……ンだよそれ…」
ため息を吐く。熱い息を吐いて手の甲で口元を抑えて俯く。耳が熱い。どうしよう、それってちょっと、いやかなりヤバいかも。
だってなんだか恋人同士みたいだ。
(あーもう勘弁)
恋は先にしてしまったほうが負けなんて言葉を、俺はこんな日常で思い知る。俺のテンションなんてお前の言動ひとつで浮いたり沈んだり。俺の世界はお前の手ひとつでどうにだってなってしまう。なあ、それを言ったらお前はどうする?
ふいにさっきの総悟の笑みを思い出して下唇を言いようのない感情を喜びを噛み締めた。
どうしよう。顔が戻らない。
どうしよう。もっとお前を好きになる。
その手袋を身につけるお前の姿を見られるなら冬も寒い日も悪くないかもしれない。
そう心の中でぼやけば、お手軽なお人ですねと総悟に笑われた気がした。