我らが生徒会長さまは、それはもうヒーローみたいなお人だった。勉強は出来て困っている奴は放っておかない。一見にして終始眉を寄せて気難しそうな姿は、女から見ればクールでカッコいいらしい。文武両道成績優秀容姿端麗、ああさすが我ら生徒会長さま、生まれた星が違うのね。…なーんて。
「会長、お腹がすきやした。マックでいいんで、帰りに何か奢ってくだせェ」
「…却下。いいからさっさとそのプリント片付けろって」
「ちぇっ。使えねー先輩でさァ」
「さっさと書けって言ってんの、俺はァァァァ!」
生徒会長さまはそこで1回キレた。いや違うか、2回目?3回目?忘れちまったがとにかく土方先輩はもう面白いぐらい怒鳴る。俺と先輩のふたりしかいない教室でその声はよく響いて、結局『キレやすい生徒会長』という目撃者はまた俺しかいないことになる。この人に寡黙なイメージを抱いて夢見ている女子には是非見せてやりたい光景だ。生徒会長に心酔な山崎に言っても頑なに信じようとしないから、無意味かもしれないけど。
カリカリとボールペンが走る音が静かな部屋にやたらと大きく聞こえる。俺が提出しなくちゃいけないプリントを忘れてたから、こうして会長直々の監視の元、長机にプリント広げて目の前で書かなければならない始末になっているのだが。
(なんでこう、タイミングが悪いのかねェ…)
代わりに差し出そうとした山崎はミントンの試合が近いから強制練習だった。いいな沖田さんは!放課後会長と一緒で!と羨ましがられたけれど、何がいいのかほんとわかんねェ。プリント広げて渋々と俺が書く様を、土方先輩が隣のパイプ椅子に座ってじっと見てるもんだからもう息が詰まるのなんのって。
「…土方先輩、ちょっと休憩しやせん?俺もう疲れやした」
「それ何回目だよ沖田…。お前それでよく高校受験とか出来たな」
「へィ。だって受験なんて教科書の内容覚えるだけでしょ。それだったら頭がカラな俺でも時間と根性があったら出来るんでさァ」
「じゃあ時間と根性かけて、標語を絞り出せ。ちょうど今日は俺暇だから。よかったな」
「よかねェよ」
あーあ、全くもって生徒会になんて入るんじゃなかった。
そもそも俺が生徒会に興味を持ったのは、前生徒会長の近藤さんのおかげだった。1年生と3年生で交流しましょ、なんて小学生でもないのにそんな行事があって、その時たまたまペアになって知り合ったのが近藤さんだった。近藤さんは大らかでよく笑ってすごく面白い人で、人見知りな俺もすぐに懐いた。 メアドも交換したから放課後とか昼休みに近藤さんと約束をして会うこともあった。そんな近藤さんが「トシはな、」と俺に話すのだ。近藤さんは卒業する間際に俺に生徒会を薦めて、「楽しいぞ」と言った。
『今度の生徒会長はトシだからな。アイツだったら上手くやるに違いないしな』
『土方先輩…でしたっけ?そんなに面白い人なんですかィ?』
『ああ。きっと総悟も気にいるぞ』
そう言われたから、俺は興味本意で入ったのに…。
(面倒くせェ)
最悪なことに俺と土方先輩の相性は地の下をいっていた。真逆で当然、意見が合えば明日は雨だってもんだから、相当なもんだろう。近藤さんの言う楽しさはここにはなかった。
「土方先輩。そういやァ近藤さん、まだ志村先輩のこと好きなんですかィ?」
「あー?あー…そうみてぇだな。たまに門のとこで待ち伏せしてるもんな、あの人」
「俺も見やした。相変わらず熱いお人で、俺ァ感動しやしたよ」
「いや感動する場所が違うぞ、沖田。近藤さんのあれは不毛なだけだ。志村にことごとくフラレてるんだからな」
「でも諦めずにいるでしょう? いいなー近藤さんは」
カキーンと青空に青春が吸い込まれる音がする。窓の方へと目をやって、俺が羨ましがれば土方先輩にしては珍しくきょとんと目を瞬かせた。
「…なに、お前もしかして好きな奴とかいるわけ?」
「そりゃあ…まァ、高校生ですからねェ」
「へえ…沖田が、なあ。どんな相手か俺すごく興味あるわ」
アンタだよ、アンタ。とは、さすがにノリで言えなかった。
「先輩は?モテるから選り取り見取りでしょうねェ」
「ばーか。そんなんじゃねえよ。ってか居ねーし」
「可哀想なお人だ。もうその年で枯れてるんですか」
「ちげーよ。なんつーか…なんだ、あんまり続かねぇんだよ。心底好きになる奴もなかなか居ねえしな」
「ふーん…」
俺は内心喜んでいた。先輩に彼女がいないことに、こっちを見張ってた監視という視線が逸れたことに。喜んでは、その裏で妙に落ち込んでいる俺がいる。
俺から振ったんだけど、この人から恋だ愛だなんて話、聞きたくなかったからだ。
「なあ沖田、お前の好きな人ってどんなやつ?」
「なんでィ土方先輩。アンタこういう話好きなの?ムッツリってやつですかィ」
「違うから、ムッツリじゃないから。いや近藤さんからいろいろお前のこと聞いてたし、なんか気になるんだよ…よくわかんねェけど」
そこで土方先輩はそっぽを向いて、頬っぺたを掻いた。なんというか、どことなく照れくさそうである。そんなに聞き辛いことだろうかとしげしげと先輩の横面を眺めていると、ジロリと瞳孔の開いた目で無言の催促を受けた。分かりにくいお人だ。言葉で言え、言葉で。俺は肩を竦めた。
「そうですねィ。顔は良くてキレやすくて、完璧なように見せかけて実はドジをよく踏む、目付きの悪いお人好しでさァ」
「……。よくわかんね」
「俺ァいつもその人の顔見る度、からかってやりたくなりやす」
「なに?沖田って好きな奴ほど苛めたいってタイプ?」
「違いやす。ただのサドでさァ」
「…そうかよ」
土方さんはパイプ椅子をギィギィ言わせながら座って、腕を組むと何やら真剣に考え始めた。
「告白はしないのか?」
「……はァ」
いつからここは恋愛相談室になったのだろうと、俺は呆れた。土方先輩はいつだってなんだって真面目を地でいっている人なんだと、改めて思った。
「告白はしやせんよ。ってかフラれてるし」
「えっ。もうコクったのかよ?」
「いいえ。ってか相手俺のこと好きじゃねェし。ほらあるでしょ、望みのない恋だーとか、そういうの。そんなかんじなんでさァ、俺の」
「でも言ってみなきゃ分かんねえし、」
「この話はやめやしょう。もういいでしょ、俺ァ負けと決まっている試合はしないたちなんで」
机にペンを放り投げて椅子にのけ反れば、俺の声に棘を感じ取った土方先輩が言葉を詰まらせた。
ちらりと見ると口を手で覆って居心地悪そうにしている。言い過ぎた、というところだろう。そうだよ、アンタはお節介すぎるんだ。そのお人好しさが俺は好きで、それと同じぐらい憎たらしくて残酷だとも思っている。
とちょうど俺も土方先輩も暇を持て余したところに、校内放送で生徒会長のお呼び出しがかかった。先輩はほっとしたことだろう。ひとつ息をついて、
「ちょっと行ってくる。その間に帰んなよ」
「ヘーィ」
ギシリとパイプ椅子から立ち上がって、生徒会室から出て行った。ちゃんと釘を指しておくところが抜け目ないあの人らしい。
(まあ俺は帰るけどね)
ルールは蹴破るためにあると考えている俺は、先輩の気配が消えるといそいそとカバンにペンを突っ込んで身支度を始めた。
それもすぐ済んでカバン引っ付かんで教室を出る、その手間で俺の足は止まった。
黒板の隅に小さく相合い傘が書いてあった。片方は知らない名前で、もう片方には人気の生徒会長の名前で。誰が夢見て書いたのか、女の子らしい、丸みを帯びた字だった。ああこの子は恋をしているんだ。
(…告白しろ、だって)
言って、告げて、困るのはそっちだろうに。生意気な後輩が、実はアンタのこと好きでした、なんて。
(…気持ち悪ィ)
ぐしゃりと心臓を掴まれたみたいだった。すごく痛い。
ああいっそのこと、この黒板いっぱいに書き殴ってやろうか。あの人へのこのどうしようもない感情を、書いて書いて書いて、そうして消してしまいたい。 そうしたら俺はこんな煩わしい想いもしなくて、毎日を適当に過ごして女の子に恋をして、普通に過ごすのに。
(でも俺はアンタが好きなんだって)
『言ってみなきゃ分かんねえし』
「………じゃあアンタは答えてくれるってのかよ」
吐き捨てるように呟いて、俺は教室を出た。
このまま、アンタの居ない世界に逃げてしまいたい。
でも同じように、明日がきても結局俺はアンタが好きなんだ。
誰かが想いを詰めて書いた黒板の隅の相合い傘は、俺の手によって、さっと消えてしまった。