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 放課後のひとり居残った教室に大量の風が舞い込んだ。窓席でぐてっとだらしなく机に突っ伏していた俺はもちろんそれに直撃で、ぬくったい風に髪をぐちゃぐちゃに掻き乱されて起床を促される。
 くあァと欠伸をひとつ噛み殺す。春はどうにもこうにも眠たくていけない。
 だから早々に帰ってだらだらとしていたい俺としては、一刻も早く帰りたいわけで。同じく机の上に放置している携帯に何か連絡が届いてないのかを確かめて俺は、メールも着信もないという事実に椅子に仰け反って絶望する。
 何の音沙汰もないってことはイコール待っといてってわけだ。すんません長引きそうなんでやっぱり先に帰っといてください、そんな都合のいい言葉を俺は期待していたのに残念だ。

 カキーンと突き抜けるような音が青空に吸い込まれた。グラウンドでは主に野球部やらサッカー部といった運動部が青春を謳歌していて、隣接する校舎からはプォーと軽音部の抜けるような音がいろんなところから木霊してくる。他にもバスケ部や剣道部美術部とみんな部活動に明け暮れていて、ぐうたらに夢見る俺と違って青春を満喫して輝いている。待ち人である山崎もそのうちのひとりで、春の大会が近いらしく急にかかった部の集合に詫びを入れて俺を残して行ってしまった。一緒に寄り道をして帰る約束をしていたのに、だ。すぐ終わると思うんで待っといてください!山崎はそう言って全力疾走で行ってしまって、また今度にしましょうも俺ァ先帰るからという言葉も俺は貰えなかったし言うことも出来なかった。山崎のくせに俺を待たせるたァどういう了見でィ。

(待つのも面倒くせェなァ。先に帰っちまうか)

 椅子から立ち上がって下を眺めると、昇降口から多分帰宅部であろう奴らがぞろぞろと学校の敷地から出て行って帰っていく。俺もあの中に混じってとんずらすっかってすごく魅力的な考えが頭の中を駆け抜けたけれど、行動に移すのは悩むところだった。なんで先に帰っちゃったんですか?!なんて明日山崎に会ってねちねち言われるのも嫌だし、俺ァ待ってたけど来ないお前が悪いだなんて言ってぐずぐず泣かれるのも鬱陶しい。
 山崎退、女々しくはないのだけれどこの前の試合がボロ負けでボロ糞に監督から説教されたから最近ちょっと不安定で、俺としても扱いどころに困っているところだ。

(でもいいなァ。俺も帰りたいなー昼寝したいなー)

 楽しそうに門を潜っていく眼下の群が羨ましくて、俺はずいっと窓枠から乗り出すように半身を踊り出した。足が床に着いてなくて、このままもうちょっと重心を移したら落ちるんだろうなァって他人事みたいに思った。まあそれも気持ち良さそうで悪くはない、ただ地面にぶつかって惨たらしい姿になるのは御免だ。
 と、身を乗り出した眼下の先、昇降口からちょうど出てきた男がふと目に入った。黒髪で黒い学ランってのはどうにも光量を集めてそうで見ているだけでも暑そうだ。そんな黒づくめを遠巻きに女子が窺っている、カッコいいねなんて言っているのだろう、そんな光景がここからはよく見えた。

(あーあー、碌でもないマヨラーに女は騙されてんなァ。遠くから見てるから分かんないんだ、近くから見たら瞳孔開いてんぜその人)

 俺はぱたぱたと浮き上がった足を動かす。するといつから電波人間になったのか、だるそうに歩いていた土方さんは何かを受信したみたいにふいに上を見上げ、俺を見た。そして一歩踏み出した足はそのままに土方さんは固まった。口がもごもご動いているみたいだけどもちろん俺の耳までは届かなくて、仕方なく土方さんの口の形を真似て、俺が変わりに声を出す。

「お…、ば……?」

 ダメだ、全くわからん。首を傾げて気持ち身を乗り出せば、土方さんはぎょっとした顔をして風のように今出てきたばかりの昇降口へと駆け戻って行った。なんなんだあの人、なんて思っていると廊下を誰かが走る足音が響いてきてガラッ!と壊れそうなぐらい慌しく教室のドアが横にスライドした。開け放った人はもちろん瞳孔が開いていた。

「お前何やってんだ馬鹿ヤロオォォォ!!待てちょっと待て早まんなァ総悟!! 何があったかは知らんが身投げなんてすんじゃねェよ! 相談なら俺が聞いてやるからまだ早まんな……って、あれ…」
「なんでィ騒々しいったらないですぜ土方さん」
「…お前、今窓から身投げしようとしてなかったか…?」
「誰がんなアホなことしますかィ」

 土方さんはまたドアに手を掛けたまま固まって、ちゃんと地に足を着いて窓を背にして立っている俺の姿を認めて、そこでやっと長い息を吐いた。相変わらず苦労性な人だと思う。ったく、紛らわしい真似すんじゃねぇよと土方さんはぼやいて、俺の元へつかつか歩いてくるとげんこつを食らわして、どかっと前の席へと座り込む。理不尽だ、向こうが勝手に勘違いして慌てただけなのになんで俺が罰を受けなきゃなんないんだ。

「痛ェ。横暴ですぜ土方さん、これじゃあDVでさァ」
「何がDVだ、誰と誰が夫婦なんだよ。…っとにこっちは全力疾走してまで止めに来たっていうのによお」
「(全力疾走ねえ…)心配しやした?」
「心配したっつーかびっくりした。見上げたらお前の上半身が窓から出てたんだからな。俺はてっきり顔だけになったお前の頭が宙に浮かんでんのんかと思ったよ」

 忌々しくそう呟くから俺は頷いた。

「なるほど。あの時のアンタの顔は、身を乗り出した俺の顔を生首と勘違いして絶叫する一歩手前だったわけですね。相変わらずチキンですね」
「ちげーよチキン言うなコノヤロー表に出やがれ! クソっ、こっちは受験シーズンで忙しいってんのに無駄な時間過ごした」

 今年で高校三年生の土方さんはもぞもぞとカバンを開けると、何枚かの紙切れを取り出して眺めた。どれもこれも大学の資料で、学年が上がってすぐのまだ春だというのに土方さんはもう進路先を悩んでいるらしく、さすが優等生は違うやと万年落ちこぼれの俺は肩を竦めた。
 土方さんとは小学校時代からの付き合いだった。正確には真ん中に近藤さんが入って、近藤さんを通して知り合った人で所謂幼馴染みたいなもんだ。家もそれなりに近かったから交遊もそれなりにあった。もちろん近藤さんが間に入ってだけど。俺と土方さんは基本的に考え方が合わなくて、昔から衝突ばかり、近藤さんが仲介役に入らないとくっ付きもしない間柄だ。だから近藤さんが寮に入ってここから距離のある大学に行ってしまった時点で俺と土方さんの仲は疎遠気味で、こうして近くで話すのもずいぶん久し振りのことだと俺は急に思い出した。自覚した途端なんだか居心地が悪くなって、よれよれの上履きで俺は床を蹴った。

「ねえ土方さん。アンタここでそれ読みながら山崎待ってやってくれやせん? 本当は俺が待ってやんなくちゃいけないんですが、どうしても急ぐ用事が入りやして」
「山崎だぁ? 却下。どうせお前の急な用事なんて、家に帰ってぐうたらしたいとかそんなのだろ」
「…ちぇ、なんでィ土方のくせに分かったような口ききやがって」
「どうだ、当たりだろ?」

 こっちを見てにやりと、得意気に笑うから不覚にも俺の思考は一瞬フリーズした。どこでそんな気障ったらしい仕草覚えてきやがったんだ。気温はまったく暑くないのに俺はぱたぱたと手で顔を扇いだ。

「別に待つぐらいいいでしょうよ。受験生っていってもここでそんなのに夢を描く暇があるんですから、暇潰しついでに後輩のひとり待つぐらい」
「暇じゃねえよ。今から予備校に行くんだよ」

 思ってもなかった言葉に風を送っていた俺の手は止まった。らしくもなくもう一度聞いてしまう。

「え、なにアンタ予備校通ってんの?」
「ああ。去年の秋ぐらいからな。近藤さんも受験の時に通ってたとこにな」

 知らなかった。背格好も性格も目立った変化はないようだけれど、だからといって俺が知っている前までの土方さんとは違うのだ、そんな当たり前のことを改めて痛感して、俺はショックを受けている。同じ予備校に通ってるってことは近藤さんとも連絡を取っていたみたいで、俺ひとり放り出された気分だ。カキーンとまたひとつ青春の証が空に吸い込まれていって、俺は俯いてげしげしと上履きで床を突っついた。

「なんだ、土方さんも今を輝いてるんですねィ」
「なんだよその言い方。総悟、何拗ねてんだ?」
「へ? 拗ねるって、俺が?」
「その足で床蹴る癖、昔から拗ねてるか剥れてるか、なんか不満があって我慢してる時の癖だからな。なんかあった?」
「…あー、あーあ、なんでィ俺だけ成長してないのかよ…」

 大学のパンフレット片手に視線も向けずに寄越された言葉に、無性にここから飛び降りて、逃げ出してしまいたい衝動に駆られた。でもその言葉をずっと聞いていたいような気持ちが悪い俺もいて、どうしたらいいのかわかんなくなる。
 壁に凭れて仰け反るように顔だけを窓から出すと世界が反転して地面と空の境界線がわかんなくなった。あーとかうーとか無意味に声を出しているとぐいっと腕を引っ張られる感触がして、見るとパンフレットをいつの間に片付けたのか土方さんが俺の手を掴んでじっとこっちを見ていた。

「なんですかィ、悪人面」
「……ほンっとにいちいち人の気に障るヤツだなァてめーは」
「はあ。ありがとーごぜーやす」
「誉めてねぇよ。ったく」

 土方さんはがしがしと頭を掻いて鞄を乱暴に掴むと、でも俺の腕は離さないまま踵を返して教室から出ようとする。勿論俺も道連れに。別にそのまま攫っていかれてもよかったけれど、なんとなくこの人攫い的な言わなくても付いてくるだろう的なさも当然って態度が気に食わなかった。階段を降りるところで足を踏ん張って立ち止まる、一段とちょい下に土方さんの頭があって、普段見ることのないつむじがよく見えた。

「どこ行くんですかィ。俺ァ山崎を待っとく約束してるんで教室に居なきゃなんねぇんですけど」
「別に先帰ってもいいだろーよ。あいつがそんなことにショックを受けていじいじするほどピュアなヤツでもねぇだろ」
「わかんねーですよ。誰だってなんでもないことで傷ついたりするんです」
「お前も?」

 振り返った、黒の瞳が見透かしたように俺を見る。ふいに視線を縫いとめられて逸らせない言い返せない俺を見て、全身黒の男は口角を上げるとまた前を向いて俺の手を離し、とんとんっとリズムよく階段を降りてゆく。その最中に言った。

「山崎より俺に付き合えよ。俺まだ時間あるし」
「さっき受験シーズンがどうたら言ってたのは誰ですか」
「ものには優先順位ってものがあんの」

 笑ってそう言った、彼の言葉を目を瞬かせて反芻する。優先順位ってなんの? 山崎よりアンタが優先ってこと? 受験より俺が優先ってこと? そんな馬鹿な。淡い望みは持たないほうがいいと知っているからこそ頭の中で即答して、俺は口を開いて尋ねる。

「それってどういう意味ですかィ」

 振り返った土方さんは、窓から差し込む光に照らされてどこか神々しくて、何もかもを味方につけたように不敵に笑って言った。

「おまえが一番ってこと」
「…ああ、」

 それは反則だ。
 言い逃げの土方さんは俺を喜ばすだけ喜ばして(喜ぶだって)、俺を放ってまたとんとんっと踊り場を通って先へ行ってしまう。ごめん山崎、心の中で謝って二段飛ばしで階段を駆け降りた。昔からこの男の背を追いかけるのは変わらない、追いかけて追いかけて段差が四段になったところで俺は思い切って飛んで男の背にダイブした。当然土方さんもろとも躍り場に落っこちてしまう、俺の空からの体当たりを食らって下になった土方さんは蛙を潰したような声を上げて思いっきり顔面を床にめり込ませた。

「土方さん、」
「無理。今喋れない。お前が飛び込んでくるから顔打って歯が痛い」
「長い付き合いじゃないですか。今更何言ってんですかィ。それよりもさっきの意味ってどういうことでさァ」
「…………」

 いつもならガバっと身を起こして怒鳴るのに土方さんは顔を床とこんにちわしたまま動かなかった。土方さんの背に跨った俺はちょっぴり良心が痛んで、もしかしたら鼻血でも出てんじゃねーのと心配した。心配したからポケットから携帯取り出してカメラモードにしていつでも撮れるように構えてから土方さんの肩を揺すって労わりの声をかけながら顔を上げるように促す。前歯が欠けてたら面白いのにって変な期待して、

「…、」

 観念して顔を上げて首を捻って跨った俺を見る土方さんの顔は前歯も欠けていなかったし鼻血も出ていなかった。でも顔も耳も真っ赤になっていたから首を傾げてしまう。

「そんなに痛かったんですかィ?」
「違ぇよばか」
「だって真っ赤ですぜ」
「……恥ずかしかったんだよ、さっきの台詞」
「……え?」

 お前が一番ってこと。
 飄々としてカッコつけて自信満々に言うからてっきりからかったんだと思った、その台詞。
 でも耳も顔も真っ赤にして恥ずかしかったなんて言うってことは本気で言ったんだってことで、そこまで言われちゃ頭の悪い俺でも分かって呆然としてついボタンを押してしまう。

 カシャッ。

 場にそぐわない機械的な音がして、顔ぜんぶを赤くして好きだなんてやややけくそ気味に言う土方さんの顔が携帯の画面いっぱいに映し出された。
 この写メをみんなに見せて笑い話に出来たらよかったんだけど、俺も返事に詰まって拒絶することも出来なくてつまりそういうことで願ったり叶ったりで。
 どもりながらも告げた返事の言葉は少し裏返ってしまったけれど、それを聞いて尚更顔を赤くして小さくやったなんて言って顔を腕の中に隠してしまう土方さんは普段じゃお目にかかれない貴重なもので、こんな彼を見ることが出来るのは俺だけなんだってちょっとした優越感。ああ俺、今青春してる。



明日もらし