仕事が一息ついて背伸びをする。今までずっと適当にしてきたツケが回ってきたみたいに、仕事は減ることを知らずに貯まる一方だった。
開かれた障子から見える空は夕焼け色で、カァカァとカラスが鳴いて巣に帰っていく。気付けばもう一日が終わろうとしていた。
腕と首を回し、一息ついた俺はふと思い出したように辺りを見回した。しばらく仕事に没頭していてアイツの声を聞いていないと気付いたからだ。
この時間、どこにアイツがいるのか考える。食堂か部屋が妥当なところだろうか。
腰を上げて部屋を出ると、食堂を覗いたがアイツは居なかった。ボリボリと頭を掻いて次に俺とアイツ兼用の部屋へ向かう。
床板を踏み鳴らしながら歩き、角を曲がる。その先で目的の人物は縁側に座っていた。暮れる空を見つめて目を細めている。仄かなオレンジ色に包まれている姿は絵に描けそうなほど綺麗だった。名を呼ぶ。
「総悟」
夕日を受けた空色は俺の呼び声にひとつ目を瞬き、こっちを見た。土方さん、と俺を呼ぶ。
「仕事終わったんですかィ?」
「まだ残っているが、今日は終いだ」
隣に腰を下ろしてさっきの総悟と同じように空を見上げると、夕焼け色が一面に広がっていて、俺はゆるく息を吐いた。
そんな俺の顔を総悟はしばらく眺めていたが、やがてプッと口元を緩めると茜色の空を仰ぎ、投げ出した足をぷらぷらと泳がせた。
「やつれた顔してんなァ。アンタいつか過労死するんじゃねェですかィ?せっかく俺が命助けてやったんですから、ちっとは大事に生きてもらわねーと」
「心配ねえよ。俺は一回死んでいるからな、死ぬ限界ってのがわかってんだよ」
「ンな胸張って言うことですかィ。言いかたを変えればアンタはただのゾンビでさァ」
「酷い例えだな」
俺たちは黙って空を眺める。
こうやって何をするわけでもなく隣に居る、何か話しをしなければという焦りも居心地の悪さも感じないこの穏やかな雰囲気が土方は好きだった。
ひとりの時でも近藤とともに居る時とも違う、このゆったりと流れるこの時間はこの隣との特有のもので、何故そんな気持ちになるのか、土方はとっくに自覚済み。
心を許しているからだ。全面的に俺はコイツを信用している。
ふと思い、そんなことを考える自分にひとり気恥ずかしくなって土方は重症だなと呆れる。
生意気で可愛げがなくて俺の命を狙っていたこんな奴のどこがいいのか自分でも分からない。けれどそれでも。
土方はそっぽを向いてそっと息を逃した。そんな時に空色が「あ、そうだ」と突然声を上げるものだから土方の肩がビクリと跳ねる。
振り向けば総悟が大きな目をこっちに向けていた。夕焼けの光が差し込んで、空色に薄いオレンジがかかっている。昼の青空と夕暮れの茜色が交わったみたいだ。土方はそんな総悟の瞳に思わず見惚れてしまった。だから
「土方さんデートしやしょう、デート」
と言った言葉が飲み込めず、夕焼けをバックに、は?と土方はアホ面をさらけ出す。
その後 茶屋デート
土方は死神に目をつけられ2週間の余命を宣告されたが、紆余曲折を経て狩られるはずの命を死神に与えられた。その反動で死神は消滅してしまったが、大神様という格上の神様の手によって人間として甦った云々。
土方は事情を知っている近藤と共に、人間となった元死神に沖田総悟という名前を名付けた。人間として生きるのに名前は必要不可欠だし、まさか死神と堂々と呼ぶわけにもいくまい。傍から見ればただの虐め者だ。
初めは名前を呼んでも全くの無反応で、ただ単に気付いていないのか無視しているのか分からなくて心が折れそうだった。それを言うと名前で呼ばれる習慣がないから必要ないと呆れ顔で言われてがっくりと肩を落としたのを土方は思い出す。
いやだから名前で呼びたいんだって、なんて言葉はいつも気恥ずかしさに負けて言えず仕舞い。
それでも最近やっと沖田総悟が自分の名前ということに慣れてきたらしい。一言呼べば振り向くようになった。土方の努力あっての根性勝ちである。
「総悟」
呼ぶと丸い頭が顔を上げる。その口には団子が食わえられている。丸い頭に丸い目、丸い団子と上から丸いのが連なっている姿に一層幼い雰囲気を受けて、土方はぱちくりと瞬きをする。愛玩動物ってこんなモンなのか、なんていやいやいや。
「なんでィ、自分から呼んでおいてシカトですか」
「いや、そんなんじゃねえけど」
「言っときやすけど団子はあげやせんぜ」
「要らねーよ。っつーかお前デートって言わなかったか?」
「そうですぜ」
みたらしがかかった団子に総悟はかぶりつく。
そう、総悟からデートの誘いを受けてわざわざ待ち合わせまでして連れて来られた場所は、何てことはない茶店だった。それも町中から離れた土手の上にひっそりと建てられた店で、外に並べられた椅子に座ると川からの風に直撃でちょっと肌寒い物寂しげな店である。
デートというからどこに行くのかと思えばこんな所かよと、ちょっと期待していただけにそれが外れた脱力感というのはかなり大きいものだ。
(まあ確かに美味いけど…)
ため息も一緒に飲み込むように三色団子を食べると、チラリと総悟を盗み見る。
丸い頭が幸せそうに団子を食べていた。その姿を見ているだけで微笑ましくもあるが、そうも団子に夢中だとただ単に俺に奢らせたかっただけじゃねえのかとさえ疑ってしまう。
「なあ、なんでここに来たんだ?」
問うと総悟はぱちくりと目を瞬かせた。
「はあ。それがこの前偶然通りかかって見つけやしてね。人も居ねェし団子は美味いしなかなかの穴場で俺ァ気に入りやして。また来たいなァって思ってたんでさァ」
「ああ、そう。ただ単に来たかっただけね」
やっぱりなと土方は肩を落とす。
口の端に付いたみたらし団子のタレを親指で拭い、それをペロリと舐めとって、まァそれもありやすがと呟くと総悟は頭上を飛び交う鳥を見上げて言った。
「でも一番は土方さんに来てほしかったからでさァ」
「…え?」
「美味しかったんで、アンタにも食べてほしかったんですよ」
土方は固まった。なんだこの可愛い生き物は。ポカンとした顔で、空を仰ぐ横顔見つめる。
目線を少し泳がし、後ろ頭を掻く。土方はゆるく息を逃がした。
さっきまで落ち込んでいたのに、この子どもの一言で気分が上昇する現金な自分に呆れた。
しかもどこにでもありそうな茶屋が、紹介したかったと聞くだけでまた一風違って見えてくるから不思議なものである。
(楽しんだ者勝ちってか)
総悟、と土方は呼んだ。ひとつ目を瞬いて、自分を呼んでいるのだと認識した総悟がこっちを向く。
「なんでィ」
「ついてる」
口の端にみたらしのタレがまだ付いていた。
その箇所をちょんちょんっと自分の口を指して伝えると、マジですかィと総悟が手を持ち上げて拭おうとする、その手を掴んで押さえると土方は顔を近付けてペロリと舌でタレを舐め取った。
少し顔を離すと、目を丸くしてキョトンと瞬きを忘れている空色があった。もう一度顔を近付けて今度はちゅっと音を立てて口付ける。
顔を離すとさっきとちっとも変わっていない顔で総悟はフリーズしていた。じっとそれを見つめる。だんだん眉が寄って総悟がこっちを睨む。けれど耳が赤くて迫力がなくて逆効果。それが可笑しくて土方は口角を緩めた。今目の前に居るのは死神ではなく同じ人間なんだって、改めて思った。
「俺お前のこと本気で好きだわ」
「…アンタ往生で何やって何言ってるんですかィ。警察行けよ」
「デートだから告白のひとつやふたつ合ったって良いと思わねえか?」
そう言うと総悟はグッと押し黙った。デートという名目にしたのはそっちだから、これは俺の責任じゃない。そうだろう?
分が悪そうになんでもないフリをして総悟は団子をまた食べ始めた。
表情が豊かというわけではないが、それでも神様だった時よりも顔に感情が出ている。不機嫌になったり楽しそうにしたりこうやって言葉に反応して耳を赤くしたり。
同じ立ち位置に居る、同じ目線でいられる、同じ時間を生きていける、嗚呼なんと素晴らしいことだろう。当たり前になりつつあるそれをふと実感する度、土方は感謝する。
誰にとは、言わないけれど。
(あーあ、俺もいいかんじに沸いてんなあ)
心の中で苦笑して手を伸ばして丸い頭を撫でた。一度失っただけに手を伸ばせば触れられるという、ただそれだけに喜びを感じた。
総悟が団子を食べながらチラリと横目でこっちを見る。
ん?と土方が不思議に思っていると、ゴクリと団子を咀嚼したキミの姿。
間に手を置きそっと顔を寄せた総悟が土方の頬に口付ける。
さっきの仕返しと言わんばかりのちゅっという音と湿った感触に、土方は呆然とする。
デートですからねィと耳を赤くして総悟が勝ち誇ったように笑った。