※人様に差し上げるっていうのにパラレルです。ほんとすいません。
※現代で、端くれカメラマン土方×売れないモデル総悟です。でも両方売れてないので設定はあんまり意味を持ちません。ただの暇人ふたりです。



 土方は限界を感じていた。
 床にばら撒いた写真はそのままに、その真ん中で、フローリングの床にゴロリと寝転がって、ぼんやりと天井を眺める。

「何かが足りない」

 零れた言葉は静まり返った部屋の中で、誰にも聞かれず僅かに空気を震わせただけだった。
 体を横に向け、すぐ近くにある写真を一枚手に取る。
 そこには青い目を細めて笑う亜麻色の少年が映っていた。どの写真にも同じ少年が映っていて、様々な表情を浮かべている。けれどどこにも、土方が求める少年は居ない。

 撮りたい、掴みたい、自分は総悟の表情を最高に引きだせる。そう思っているのに、写真に映った彼はどれもこれも上辺をさらりと流れるような作り上げた表情ばかりで、「こんなんじゃないんだ」と落胆と苛立ちを抱えた己が身の内で叫んでいる。

「何かが足りない」

 土方は写真を握りしめてもやもやとしたものに繰り返し苛まれ呻く。


空向こうの



 通りは人で賑わっていた。
 その中にポツンと亜麻色の丸い頭があって、総悟は人波に流されるままぶらぶらと宛てもない歩を進めている。

 漸く訪れた暖かい春は、町を一気に彩った。
 誰彼もが寒さに縮ませていた身体を伸び伸びと伸ばし、広がった視界で春を愛で心を躍らせ顔を綻ばせている。足取りは雲を蹴るように軽い。
 しかし土方は、ひとり戦場の真っただ中を突き進むように神経を張り詰めて慎重に総悟の後をつけていた。
 総悟が歩いた軌跡をそのまま辿り、雑踏の中で見え隠れする頭を常に視界の真ん中で捕らえて、粒さも見逃さないように総悟の動向を愛用のボロカメラで納めていく。
 付かず離れずの距離で、土方は見えないものを手の内に入れようと必死になっていた。
 彼は自分の仕事に誇りを持っている。だから在ることは分かっているのにそれを写真に表せないことが、カメラマンの端くれとして、死ぬほど悔しかった。しかもそれがモデル兼恋人のことであれば、尚更である。


 総悟はモデルであるが、スポットライトにバンバンと照らされて常に話題をさらうようなモデルではなく、有象無象の中のひとつでしかない売れないモデルであった。
 そして土方もまた、賞を取る写真家でもひっきりなしに声が掛る名の通ったカメラマンでもなく、型の古いカメラをずっと使い続けて小さな仕事を細々とこなすカメラマンの端くれであった。
 けれどしかし、土方は自分の腕に自信を持っていた。
 機会に恵まれていないだけで、いつかは必ず、という野望は胸の奥深くでずっとくすぶっている。
 総悟だってチラシやファッション雑誌の一コマに収まるような器じゃない。恋人としての贔屓目を除いても、総悟には言葉では言い表せない魅力があった。テレビや雑誌を見て、こんなヤツより総悟のほうが、と比べることだって一度や二度じゃない。

 総悟をスポットライトの下に引き上げるのは自分の義務だ。
 それは仕事仲間として、恋人として、総悟を一番よく理解している己の責務。
 そう思っているだけに、土方がいつも感じる総悟の魅力がどの写真にも映っていないのが土方にとっては耐え難いほど悔しいことだった。

 足りないものはなんなのか。土方はいつも自問自答を繰り返す。
 総悟と話をしている時、「あ」と思う瞬間がよくある。これだ!と息を飲む瞬間が確かにある。しかしそれは、土方がカメラを向けた瞬間まるで幻覚を見ていたように跡形もなく掻き消えてしまう。
 自然体という言葉が最近土方の中で渦を巻いていた。カメラを意識するからいけないのか。
 そう思って、土方は、カメラを片手に総悟の後をこっそりと付けることにした。ただの”沖田総悟”という人間を映そうと思った。
 馬鹿みたいに人が多い都会に辟易することも多いが、こういう時は自分の姿を隠してくれるから有難い。しかも人波にレンズを向けても、不審そうな顔をしながらも一瞥のみ寄越して誰も何も詮索してこないから都合がよかった。

 カシャカシャとシャッターを切る。
 構えていたカメラから視線を上げ、土方は総悟の背中を眺めた。
 ふと思う。そう言えば、総悟の後ろを歩くというのは、記憶の中にもあまりないことだった。総悟はいつも、隣か、自分の後ろを歩いている。
 一歩、二歩、と総悟の後をつけて気づくその歩幅。これが誰にも合わせない総悟の歩調なんだ、改めてそう思う。
 まさか土方が付けているなんて総悟は微塵にも思っていないだろう、レンズの向こう側に映るのは、土方も知らない無防備な沖田総悟だった。
 ふと浮かべた表情、ふとした動作、特徴、知らなかった癖、一緒に居る時には見ることの出来ない総悟の世界を垣間見た気がして、後を付けている内に土方は、抱いた焦燥に駆られるよりも総悟の姿を見ることがただ単純に楽しくなっていた。

(アイツ、また菓子なんて買いやがって)

 駄菓子屋からふっくらと膨らんだ紙袋を抱えて出てきた総悟を見て、土方はため息をつく。
 嬉しそうな顔をカシャリと撮って、さっきよりもトントンっと弾む足取りに、土方はカメラで軽く肩を叩きながらしょうがないなぁという気分になる。もうあんなに大きいのに、中身はいつまで経っても子どもだ。

 カシャ。

 その後も総悟の気儘な散歩は続いた。
 ビデオ屋でビデオを借りて何を借りたのかと見れば猟奇殺人鬼の映画で、土方は顔を引き攣らせた。
 青い目がショウウインドウを見て足を止めれば、その後土方も同じように足を止めてそれを見る。アイツ、こんなのに興味があるんだな、って知れたことを微笑ましく思う。

 カシャ。

 ファーストフードで飲んだ飲み物が予想以上に熱かったようだ。口を付けた瞬間ビクリと跳び上がった肩に、離れた席に座った土方は手で口元を隠して思わず笑ってしまった。気をつけろアホと心中で小馬鹿にし、上機嫌にコーヒーを飲んだらあまりの熱さに土方の肩も飛び上がった。おまけに机で足を打って声なき苦痛を上げて土方は机の上に沈みこむ。

 それから。
 それから。

 総悟が電車に貼られた動物園の広告をあまりにも熱心に見るから、土方は今度そこに行こうかと密かに頭の中で予定を立てたこと。それが意外に面白かったこと。
 人通りが少ない道の脇に居た野良猫に何やら話しかけて、店の前に繋がれた犬に吠えられればべーっと舌を出して張り合う総悟。
 道端に咲いたタンポポの綿毛を抜いてふーっと吹けば、風下に居た土方のほうにそれが飛んできて慌てて避けながらアイツわざとじゃねーかと恨めしく思ったものだ。
 総悟が歩いてその後を土方が歩いて、距離の縮まらない追いかけっこを延々と続けた。総悟の足取りが軽ければ土方の足取りも同じ分だけ軽くなる。桜を眺め気持ち良さそうに目を細めた総悟の横顔をファインダーで捕える。

 カシャ。


 宛てもなく余りまくった時間を持て余した総悟の気儘な散歩は、土手へと辿りついた。
 総悟は土手を下りて河川敷へと歩くと川に向かって石を投げ始める。
 総悟が投げた一石は何度も数を重ねて跳ねて、でもやがては川へと落ちた。総悟はそれをじっと見つめて、それからまた石を投げる。
 土方は土手の上からそれを見ていた。すぐ近くで電車が通って、ガタンゴトンと激しい音を立てて走りすぎる。その後はただふわっと暖かい風が薙ぐばかりだった。町中の喧騒は遠い。

 土方は川に石を投げ続ける総悟の後ろ姿をまた写真に収めて、カメラを下げた。
 総悟の後を付けて、今日一日、総悟の世界に土方は介入した。追尾し、収めた写真はどれも土方が求めた”自然体"に間違いはなかったが、それはやはり、土方が求めるものではなかった。土方にはすっかり宛てがなくなってしまった。
 土方はポケットから携帯を取り出して総悟に電話を掛ける。眼下の総悟が石を投げようとした手を止めて、取り出した携帯を耳に当てた。

『はい』
「俺だ」
『ありゃ? もう仕事終わったんですかィ?』
「ああ、終わった。後ろを見ろよ」

 振り返った総悟は、土手の上に居る土方をすぐに見つけた。携帯と土方を不思議そうな顔で繰り返し見やり、首を捻ったままパタリと携帯を閉じる。
 総悟がこっちに歩いてくるから土方も土手を下りた。と、総悟が石を持った手を振りかぶった。
 石が飛んでくる!
 土方は「げっ」と目を瞬かせて思わず目を瞑った。

「…………」

 しかしいくら待っても石は飛んで来ない。
 不思議に思って薄目を開けた土方に向かって、

「ミサイル!」
「ぐえっ」

 石じゃないものが飛んできた。それを鳩尾にモロに食らって、土方は飛びこんできたもの諸共土手の草の上にバタッと大の字に倒れる。

「げほっ。ごほっ。総悟、テメェ」
「なーにやってんでィ。受身ぐらい取りなせェ」

 土方を押し倒したような形になった総悟は、土方の上に馬乗りになったまま土方の顔を覗き込むように見下ろしてははっと笑った。
 春の陽気な太陽を背景に飛び込んできた笑顔に、あ、と土方は思考を止める。ずっと捕えられなかったものが目の前にあった気がした。
 土方はガバッと身を起こした。

「総悟、それだ!」
「はい?」
「さっきの顔! ちょ、もっかい笑ってみろよ!」
「? こうですかィ?」
「ばっか、ちげーよ!」

 総悟は両手を伸ばして土方の頬っぺたに手を掛けるとびろーんと横に引っ張った。カメラを構えた土方は怒鳴った。俺は冗談じゃないんだと焦ったように叫んだ。そうしないと、掠めたものがまた遠くに消えて見えなくなってしまうような気がした。
 しかし総悟は、土方の焦りなどどこ吹く風、目をきょとんとさせてじっと土方を見つめるばかりだった。その目があまりにも無邪気すぎて、土方の気が逸れた。息をつく。

「馬鹿野郎」
「馬鹿土方」
「馬鹿沖田」
「馬鹿を言うほうが馬鹿なんでさァ、馬鹿土方」
「その言葉、そっくりそのまま返してやるよ、馬鹿沖田」

 ため息をついて土方は土手の上にゴロリと仰向けに転がった。総悟が真似をして隣で同じように転がる。
 あ、タンポポだ。沖田が言ってゴロリゴロリと転がって綿毛を千切って戻ってきた。ふっと吹くと綿毛は空へと飛んで、ひらひらと土方のほうへと落ちてくる。本日二度目の襲来である。
 馬鹿やめろ!と騒ぐと、隣でけらけらと上機嫌に総悟が笑う。総悟の声が青空に飛んだ。その上を春鳥が小さな羽を羽ばたかせて横切っていく。

 ふたりで寝転がったまま、静かに空を眺めた。平日の昼過ぎだ。世界は忙しなく動いているのに切り離されたようにひどく静かだった。
 まるではみ出し者だ。取り残されている。土方は思う。このままでもいいのかというどうしようもない不安が胸の中で巣食っていたが、それに埋め尽くされるにはあまりにも空が青すぎた。

「どうしような、このままだったら」

 共感を誘うにはあまりにも穏やかな声だった。答えが欲しかったわけでもこの不安を背負ってもらいたかったのでもなく、土方の口からは息を吐きだすようにそれが漏れた。
 そうですねィ、と隣から声が聞こえる。視界に映るのが空ばかりで、まるで空から声が降ってくるような感覚を土方は抱いた。

「どっか行きやすかィ」
「どこへ?」
「どこでもいいでさァ。どこに行ってもアンタのマヨ好きは変わんねェし」
「それが変わったら俺が俺でなくなる」
「アンタが売れない理由、それじゃねェの? ご飯食べに行って、うわ、コイツ人間としてありえねェよ、とか思われてたり。うわーありそー」
「アホ。マヨは関係ないだろ。お前だってその捻くれ具合が影響してんじゃねーか?」
「っつーかヤル気? 俺あんま売れたいと思わねェし」
「向上心ねぇのな」
「アンタがまっすぐ過ぎるんでさァ」

 でも、と総悟が言葉を区切る。
 視線を感じて首を横に傾ければ、総悟もこっちを見ていて目があった。
 春の陽気を受けてキラキラと光る青色、眩そうに目を細めて、口元に笑みを作って心地よさそうに総悟が言う。

「俺はアンタとこうしてぼんやりしてんのも、嫌いじゃねェかも」

(………あ…、)

 そこで土方は、撮りたかったものの正体にやっと気付いた。
 ずっと撮りたいと思っていたけど掴めなかったもの。記憶には確かに在るのにレンズ越しに見えなかったもの。
 土方が撮りたい、それさえあれば総悟を高見へと昇らせることが出来ると確信していたそれは、総悟が土方と一緒に居る時にだけ見せる顔だった。安心しきって絶対的信頼を寄せた表情に、土方は魅せられていた。

(なんだよ、惚気かよ)

 靄にかかったものがすぐ目の前にあって、驚くほど簡単だったことが分かって、土方はどっと疲れた。次いでなんだか可笑しくなってきた。笑いが込み上げてくる。くすくすと笑う土方を見て、総悟が不思議そうな顔をする。

(止めた。撮るのは止めだ)

 総悟が自分に見せるその表情を売ってまで、総悟を引っ張り上げたいとは思わない。それはレンズにではなく自分の目に捕えるので十分だ。

 土方は手を伸ばして、総悟の亜麻色の髪についた草を取った。ゴロゴロと転がったから草がいっぱい付いている。総悟がきょとんとさせていた目を猫のように細めた。
 土方が宣言する。

「見てろよ。俺がいつか最高の写真を撮ってやる」
「言ってなせェ。俺が売れたらアンタを養ってあげまさァ」

 見つめたままそう言って、ふたり同時にぷっと噴出す。
 土方は、足りないものが己の手にあったことが心底嬉しかった。そして口から語る夢よりも今この瞬間が何よりも変えがたいものに思えた。価値がありすぎて、隙間からボロボロと零れていく。言葉に表すなら、しあわせって言葉が一番近いだろう。でもそんなことをさらりと言うのは柄じゃない。

「馬鹿沖田」
「馬鹿土方」

 でも溢れてくるものはどうしようもなくて、土方は半身を起こすと衝動のまま総悟に覆いかぶさった。
 キスを落として至近距離で見ると、やっぱりそこには土方がずっと撮りたいと思っていたものがあって、それはレンズという土方の目で、フィルムという記憶にしっかりと焼き付けられて、土方の中にあるアルバムは溢れんばかり。

 ああどうしよう。撮りたいものが、いくらでもあるんだ。
 珍しく笑った土方の顔を、総悟が手を伸ばして掴んだカメラでパシャリと撮った。