コンコンと窓を叩かれた。
コンコン。
コンコン。
一定の間隔で絶えず窓が叩かれる。
漫画に熱中していて3分どころか5分も待ちぼうけを食らって伸びに伸びまくったカップラーメンを片手に、総悟はカーテンの向こう側に誰か居るのだろうかと首を傾げた。
コンコン。
コンコン。
風の音だろうと再びテレビに顔を戻した総悟の耳に、けれどやっぱり音がする。誰かが拳で窓を叩いている音だ。
ズルズルっと麺を啜りながら総悟は窓に近寄った。相変わらず誰かが窓を叩いている。
総悟は窓を叩き返して言った。
「入ってやーす」
「トイレじゃねえんだから」
呆れたような声が窓の外から聞こえた。おや?と総悟は片眉を上げる。やっぱり、誰かが外に居るようだ。
ガラリとカーテンと窓を勢いよく開けると外には黒い闇が広がっていた。
入ってきた風がブワッと端に寄せたカーテンを揺らして、そしてベランダの手摺に座っている男の髪も揺らしている。
総悟は青い瞳で不法侵入の男を見つめた。
真っ黒な服に真っ黒な髪と長身の男はとにかく黒ずくめで、手摺に座っているというのに危なげ無く嫌みなほどに長い足を組んでいる。
「誰でィ、アンタ。泥棒ですかィ? 折角来てもらってなんですけど、ここには高価なモンなんてなんもありやせんぜ」
手持ちのカップラーメンを啜りながら総悟はのんびりと言った。怪しい男を前に驚くということをしないのだろうかと逆に彼のほうが呆れ、次いで可笑しそうに咽の奥を震わせた。
「泥棒か。まあそんなところだな」
「ここ結構高いのによく来れやしたねェ」
眼下では車や建物の明かりが散りばめられた宝石のように小さく光っている。高層マンションの上階は見晴らしが良く、沖田も気に入っている。でもだからこそ今までまさか窓から泥棒が入ってくるだろうなんて考えたことがなかった。
どうやって来たのだろうと麺を啜りつつ疑問に思った沖田を見透かしたように、黒い男は笑って肩を竦めた。
「侵入経路が気になるようだな。自然の風と違ってビル風は暴れ馬だからな、飛ぶのに苦労したさ」
「飛ぶ?」
首を傾げた総悟に男はにやりと口の端を釣り上げた。
丸い月を背負い堂々たる威厳で男が正体を告げた。
「俺は吸血鬼だ」
あまいのいかが。
突然の豪雨にのんびりと帰るはずがまさかの全力疾走。
バイトの上がり時間が一緒だった山崎と共にギャアギャア言いながらもやっとこさマンションに着いて、沖田は強さを増して降り続く雨雲を恨めしい目つきで見た。
「ちぇ。日曜日だってェのにバイトが入った上に雨なんて、ついてねェなァ」
おかげでこっちは上から下までずぶ濡れだ。
肌寒さに身震いをした総悟は床のタイルに点々と水跡を残しながら家へと急ぎ、ぴゅっと風のように部屋へと入った。
がちゃがちゃと荒々しく玄関の鍵を閉めていると、いきなりふわりと風に抱き締められたような柔らかい感触を受けた。
しかしそれはすぐに確かな感触になって、ギュッとキツく抱き締められる。
「おかえり」
突然頭上から聞こえた声やその腕の強さは総悟の知る者だった。
コイツが神出鬼没なのは今に始まったことじゃない。総悟は驚くこともせず後ろから自分を抱き締める男の胸に凭れかかった。男の指が髪を触る。
「びしょ濡れだな」
「どこを絞っても水が出やすぜ。せっかくだからアンタの服も濡れちまいなせェ」
「俺を濡らす前に先にシャワーでも浴びろ」
当たり前のように言う男にむっとして、総悟は後ろに軽く肘鉄を入れた。
「テメェが引っ付いてるから動けねェんだろ」
「そりゃそうか」
可笑しそうに笑って男が離れた。やっと解放された体で振り返ると、いつの間にか住み着くようになった自称吸血鬼が今日も黒い服を纏って立っていた。総悟よりも背が高く、正端な顔立ちで目を細めて笑う様に、総悟はいつも目を奪われ思う。
「…結婚詐偽でもしてんじゃねェの?」
「あ?」
「なんでもねェでさァ」
すたらこらと総悟は浴室へと逃げ出した。
実際問題、アレは誰なのだろう。
突然窓から入ってきてそのまま居着いてしまった男は謎だらけで、吸血鬼と言っているがニンニクや十字架が嫌いなわけではなく朝日を浴びても平然としていてイマイチ現実味がない。
同じ男として癪ではあるけれど顔は良い。もしかして本当に何か詐偽にでも引っ掛かっているのではないだろうかと思う時もある。
けれど何故だろう、総悟は男に気を許してしまっていた。
独りで居る寂しさに誰かに居て欲しかったのかもしれない、でもそれ以上に信頼している。
それこそ「詐偽師でも構いやしねェ」と思うほど、この謎だらけの男の存在を総悟は総悟なりに認めていた。
「アンタには前にどこかで会ったような気もするんでさァ」
「それは光栄だな」
壁に沿って置かれたベッドの上に男が座っている。
壁に背を預け、総悟はその股の間に座っていた。
後ろから長い指で髪を触られながら、濡れた頭をごしごしとタオルで拭かれている。
シャワーを浴びた総悟の体は火照っているが、男の体は驚くほど冷たかった。
気持ちがいい感触に、ついうとうとしてしまう。
けれどそれを遮るように、なあと男が耳許で囁く。
「アイツは誰だ?」
「…アイツ?」
「帰りに、一緒に雨に濡れていたヤツだ」
「ああ、山崎? ただの友達でさァ。バイトの上がりが一緒だったんでィ」
「友達? それにしては距離が近かった」
「ははっ。くすぐってェ」
耳許で喋るものだからそれがこそばゆく総悟はつい笑ってしまった。
なんもねェよと言いながら耳を舐めたり軽く噛んだりする感触に、総悟は堪らないと足をバタバタさせた。
「あ、そうだ」
そしてふと山崎の名前で思い出す。
「そういや今日お菓子を貰ったんでさァ」
「お菓子?」
「今日はハロウィンだから強請ったらたんまりでィ」
同じようにベッドの上に転ばして置いたカバンからごそごそと戦利品を取り出し振り返って男に見せると、吸血鬼は露骨に眉を寄せた。
総悟の手のひらの上に転がるチョコをひとつ摘まみ蛍光灯に照らしては、目を細めて見る。
総悟はその姿を眺めながら首を軽く傾げた。
男の姿は不思議なほどこの部屋に合っていた。家具も何もかもこの吸血鬼に合わせたようによく合い、全く違和感なく馴染んでいる部屋に総悟は少なからず驚いている。
(顔が良いって得だなァ)
まじまじと男を眺めていると、
「餌付けされやがって」
男は吐き捨てて総悟の首元に顔を埋め、ベロリと舐めては咬みきらない程度に甘噛みする。総悟の体がビクリと跳ねたことに気を良くして何度も舌で舐めた。
「じゃあアンタからもなんかくだせェよ」
負けられないとばかりに膝立ちになると男の肩に手を置いて、見下ろす形で吸血鬼の真っ黒い瞳を覗き込んで総悟は強請った。
上から男を見るという普段ない眺めに総悟はにやりと口の端を緩める。
「トリックオアトリート?」
「言ったモン勝ちだな。俺も何も貰ってねーからイタズラ出来るわけだ」
「アンタには俺からキスしてあげやす」
そう言って総悟は吸血鬼の口にキスを落とした。暗闇の目の奥底をじっと見つめ、誘うように妖艶に笑う。するりと腕を首元に回した。
「どうでィ? 俺のキスはそのチョコよりも甘いだろィ?」
「確かに」
普段より大胆な総悟の様子に吸血鬼は満足そうに目を細めて笑った。
甘えてくる総悟の腰を支え抱き寄せる。
先ほどとは逆に総悟が男の耳許で喋り、その声が吸血鬼の脳天に甘く響いた。
「アンタは俺にイタズラされなせェ」
「何をするんだ?」
「アンタの血を吸ってやりまさァ」
「面白い。吸血鬼の血を人間が吸うなんて聞いたことがねえ」
男が喉の奥で笑い、総悟と視線を合わせた。
「好きにしろ。昔から俺はお前のモノだ」
真っ直ぐとした男の言葉に総悟は酔いしれる。
全部全部俺のモノ。昔から、いや初めて会った時から何故かそう思っていた。
総悟の中でうずうず沸いた熱が暴れ出す。
考えるのはもう止めた。俺はアンタが欲しい。
「トリックオアトリート」
呟けばその言葉を合図に落ちてくるのは極上の甘い口付け。
あまいあまいイタズラいかが。総悟は夜に捕まった。