ネット
居酒屋は賑やかだが、酒を酌み交わしている全員が全員、愉快なわけではない。
二人掛けの奥まった小さなテーブルに男は先ほどから突っ伏したまま、微動だにしない。向かい席に座った俺は、ほとほと呆れ果てていた。
「土方さん。いつまでもそんなに落ち込んでねーで、そろそろ帰りやしょうや」
「うるせえ。俺はまだ飲む」
そう言う割には、酒が半分入ったグラスを片手に握ったまま、机に突っ伏しているだけである。
手持ち無沙汰になってあーだこーだうるさくしてみるが、土方さんはぴくりとも反応しない。つまらない。
それに俺は土方さんの携帯だから、土方さんが落ち込んでいると、伝染するように俺まで気が滅入ってきて悲しくなってくる。
…と言っても俺はS属性が入っているから、困っていたりショックを受けている姿を見るのは、おもしろくもあるのだが。
「土方さん。いつまでそうやっている気ですかィ。しょうがねェじゃねェですか」
「しょうがなくねーよ。誰のせいで落ち込んでると思ってんだよ」
「俺のせいじゃねェですって」
依然土方さんは机と仲良くしたままだ。向かいのテーブルに座っていた女たちが、「ねえねえあの人カッコ良くない?」「でも潰れちゃってるよ。失恋かなー」なんてこそこそ話しているのが聞こえて、机に頬杖をついた俺ははあとため息をついた。
そういう理由だったら俺も優しくするのだが、理由が理由だけに呆れるやら情けないやら。
土方さんは俺のせいだと言うけれどそれは違う。俺はただ土方さんの命令を聞いただけだ。
「最悪だ」
「遅かれ早かれいずれ知ることでしたよ」
価格高騰かなんかでマヨが一時生産を中止するなんてニュース、家に帰ってテレビでも付ければすぐわかること。ってかそこまで落ち込んでいるのもこの度を超えたマヨラーぐらいである。
また零れ落ちそうになったため息を、これ見よがしに吐き出してやった。
土方さんは機械音痴だから俺の機能もメールか電話ぐらいしか使わないのだけれど、他の機能も興味を持ったのか、ネットでも使ってみるかと言ってきた。
何か面白いニュースはあるか?と聞かれたから、俺は今上がっているニュースの中で、土方さんが一番興味を持ちそうなものを取り上げた。
それがマヨネーズの生産ストップである。
それがここまでショックを受け得るとは…正直夢にも思わなかった。むしろ興味を持ってもっと話を聞いてくれると思ったのに。
「土方さん、アンタって意外にメンタル弱いんですよね」
「…ヘタレじゃねえからな」
「誰もンなこと言ってやせんよ。よし、じゃあ俺がまたなんか楽しそうなニュースでもひとつ選んで、」
ふが。
急に伸びてきた手に口を塞がれて俺は声が出せなくなった。視線の先で据わった目が俺を睨んでいる。やっと見ることのできた顔は、けれど心なしか少し涙目である。
「もういい。もう何にも言うな」
「ふがふがふが」
「え、なに?」
「ぷはっ。まァまァ遠慮しねーで。嗜虐心そそるご主人様の顔を見る為に、俺がとっておきのニュースを探してやりやすぜ」
「……。もう頼むからドS属性を捨ててマナーモードでいてくれよ。頼むから」
「嫌でィ」
ゴンッと音を立てて、土方さんはまた机と仲良しだ。
以降トラウマとして植えつけられたネット機能が俺の中でお蔵入りとなったのは、言うまでもない。
メール
見ていた番組がコマーシャルになったところで、ふと思い出した。
「そうだ。近藤さんにメール送らねえと」
後ろを振り返りベッドにのっぺりと沈みこんでいる体を揺する。
「おい。起きろ」
「………」
「おいってッ!」
「………」
「…コイツ」
寝てやがる。
勝手に電源を切ってやがる。
「起きろってぇぇ!!!」
「…うーなんでィ。せっかく省エネモードでまったりしてやしたのに」
「何がまったりだよ。省エネモードどころか完全にオフモードだったじゃねえかッ!」
「心配しなくともその間寂しいアンタにはメールも着信もなしでさァ」
「……いいから、メール打つから」
そういうと携帯はヘイヘイと面倒そうに返事をして、俺が一瞬きしている間に機械の姿になっていた。
ベッドの上に黒い携帯がポツンと置かれている。開くとディスプレイには綺麗な空が映っていた。
その携帯を手に取り慣れない手付きでポチポチとメールを打つ。普段からメールより電話で伝えることが多いから、短い文章でも作るのに一苦労だ。
送信ボタンを押してやっと一息ついた頃には、コマーシャルなんてとっくに終わって、MCが番組を締め括っていた。そんなに時間が経ったのかと余計に疲れを感じて大きく伸びをする。
「土方さんの遅さは異常でさァ。俺の方がもどかしいぐらいですよ」
「うっせえ」
寝台に投げ置いた携帯は、シーツの上に体を投げ出してぐてっとだらけている。なんでお前が疲れてんだよ、たった数行に精魂使い果たしたのはこっちだ。そう言ってやりたかったが、如何せんそんなことを言うのすら今は億劫だった。
「つーかメールに時間がかかるのも、そもそもお前の頭の悪さが原因だよな」
「何勝手に俺のせいにしてるんでィ。むしろ最後まで付き合った俺の温厚さに感謝してほしいぐらいでさァ。一体何回電源を切ってやろうかと…」
「修理だしてえー!このひん曲がった根性をリセットして真っ白で綺麗な携帯にしてやりたいッ!!」
「…。俺が黒だからって、白のペンキでもぶっかけた日にゃ俺は壊れやすぜ」
「…そういう意味じゃねえよ」
最早怒る気力も起きない。がっくりと肩を落として、脇に置いてあったリモコンで適当にチャンネルを変えた。
「だいたいなんで『近藤』を変換したら『今度鵜』になるんだよ。そう珍しい苗字でもねえだろ」
「俺はひとつの読み方しか出来やせん。『近い、藤(ふじ)』って入れてもらわねェと」
「なんでそんな遠回しッ!ふざけんな。しかも終いには『コンドル』なんて打ちやがって」
「それはただのアンタの入力ミスですよ…」
すったもんだとはこのことか。
たった1通のメールを打ったぐらいで、俺も携帯もぐったりお疲れ様だ。
まあけど、そんなに焦ることもない。場数こなして俺も少しずつ慣れていけばいい。
そう言えば、「まあ気長に待ちやすよ」と携帯は笑った。忍耐強く俺も付き合ってあげまさァと言われて、俺もそれに笑みを返した。
ら、携帯がまたぐったりした。
「…土方さん。近藤さんからメールが来たんですけど、拒否していいですかィ?」
「………だめ」
メールを開くと聞いた質問の答えの他に恋愛相談(というか惚気)がびっしりと書き連なっていて、よくもまあこんな短時間で書き上げたものだと感心しつつ、俺も携帯と同様にがっくしと肩を落としたのは言うまでもない。
返信の為に俺も携帯ももう一戦奮闘することになる。
ストラップ
首に付いたマヨネーズのストラップをちょんちょんと指でつついて、こんなものが自分に付いているのかと思うと、センスのなさにため息ひとつ零して、眉間に皺を寄せる。
「ちょっと土方さん。なんですかィこれは」
「何って、マヨネーズ型のストラップ」
「ンな当たり前のことを聞いてるんじゃねェんですよ」
「じゃあなんだよ」
鋭い目付きをしているくせに、頭だっていいくせに、男は本気で分からないというかのように目をきょとんとさせている。
この人間の心臓はきっとマヨネーズで出来ているに違いない。
心底そう思いつつ、首に巻き付いている紐を掴んで、中央でプラリと揺れるマヨネーズを顔面に突きつけた。
「アンタセンスなさすぎでさァ。ストラップって言ってももっとマシなもんが他にいくらでもあるはずでィ」
なんでよりにもよってこれなんだ。
俺のセンスじゃない。
文句を言えば、けれど土方さんはてんで意に介していないようで、未だに目をきょとんとさせていた。当たり前のように言う。
「いいだろう。マヨネーズ型のストラップとか最高じゃねえか」
「どこが」
「ストラップ付けとけば失くさねえし、なんたって一発で俺のモンだってわかる」
「…まァ、こんな奇怪なストラップを付けている人間なんてあんたぐらいですけど…」
平然と言ってのける男の言葉に、不本意ながら俺は言葉を詰まらせる。
ストラップっていうのは一種の所有印だ。同じ型の携帯でもストラップが違えば見分けがつく。
でもそれがマヨネーズっていうのが、土方さんらしいと言えば土方さんらしいのだが、やっぱりどう考えても俺の趣味じゃない。
「いいな」
土方さんが俺の首についたマヨネーズのストラップを見て、心底羨ましげな声を出す。
「お前は平然と首からマヨをぶらさげておけるんだから」
「…土方さんも首からマヨをぶらさげたいんですかィ?」
「うん」
素直に頷く男がひとり。
結局俺が理解したことと言えば、このマヨネーズ狂の人間に何を言っても無駄と言うことで、これがため息を落とさずにいられようか。
「アンタには参りやした」
人生、妥協してなんぼである。