電卓


 夏になると人の行動が活発的になる。
 あちらこちらで呼び込みの声が上がり、やれセールだ激安だと呼び込みの声がひっきりなしに飛び交っている。赤い下地にSaleと書かれた旗が頭上でひらひらと揺れるのも、いつの間にか夏の風物詩となっていた。

「50%オフか…。半額だな」
「こっちは70%オフって書いてやすぜ。こんだけ下げても買い手が居ないんじゃ、セール品っていうより処分品ですねィ」

 冷房が効いた店の中、俺たちは冷やかしと言う名の客だった。散歩がてら適当に入った雑貨屋で特に物色するわけでもなく、棚に並んだセール品を意味もなく眺めたり手に取ったりしている。俺は暑さを凌げればそれだけでよかったのだが、しかし変わった商品が多い雑貨屋に携帯は先ほどから興味津々だった。

「土方さん土方さん」

 少し興奮気味にそう名前を呼ばれる。
 なんだ?と携帯を見ると、ある一点を指差してそいつは目を輝かせていた。

「あれ!あれかけてくだせェ」
「却下」

 提示されたそれを目に入れた瞬間、俺は一刀両断した。けれど携帯はどうしても諦めきれないようだった。引き下らずさらに言い募ってくる。

「なんでィ。絶対土方さんに似合いやすって。俺が保障しやすから、ほら」
「絶対やだ。保障されてたまるか。っつーか似合っちゃ困るんだよッ」
「そうわがまま言わず自分の殻を脱ぎ捨てなせェ」
「脱ぎ捨てたら俺の何かが壊れる」

 何が悲しくてゴリラの(というか原始人に近い)かぶりものを俺が被らなきゃなんねェんだ。っていうかかぶりものなんて俺じゃなくても誰でもいいだろう。
 そう言えば携帯はわざとらしく肩を竦めて「土方さんが被っているってことがおもしろいんじゃねェですかィ」と生意気のことをいけしゃあしゃあと言いやがった。
 ぶちんと、ただでさえ丈夫ではない堪忍袋の緒が音を立てて切れる。

「ンだとこらッ! 俺よりもっと似合うやつはそこらへんに居るだろ!」
「例えば?」
「例えば、」

 近藤さんとか。一瞬頭をよぎった親友の名前を、俺は声には出さず咳で誤魔化す。すまねえ近藤さん。
 携帯はそんな俺の様子が分かっているのかどうでもいいのか、呆れたようにひとつ息を落とすとゴリラのかぶりものに歩み寄った。

「ほら見てくだせェよ。このゴリラのつぶらな目」
「いや全然つぶらじゃねえよ。つぶらどころか目の部分、刳りぬかれてるよ。穴が開いてるよ。よく見ろよ」
「ゴリラだって好きでこんなんになったわけじゃねェですって。それにほら、このゴリラもセール品で1980円の30%引きですって。つまり…」

 急に、携帯の言葉がそこで止まった。
 ん? と訝しげに思いながら言葉を待つが、一向に携帯は言葉を再開させない。というより、言いかけては口を紡ぐということを繰り返している。
 もしかして。ひとつの可能性を思い浮かべ、俺は恐る恐る問うてみた。

「おい、そのゴリラの値段を言ってみろ」
「1980円」
「じゃなくて、割引した後の値段だ」
「………」

 沈黙。そして顔を背ける。杞憂で終わってほしかった可能性がだんだんと濃くなってきて、俺の口元がひくりと引き攣る。

「ま、まさかお前、計算が出来ないなんて言わねえよな?」
「俺は携帯ですぜ。携帯っていうのは電卓機能ってモンがあって」
「じゃあそのゴリラの値段を言え」

 携帯はじっと黙ってから、居心地悪そうに視線を泳がせて、そしてこう言った。

「セールじゃなくてちゃんと定価で買ったらいいんでさァ」

 あくまでも白を切り通すつもりらしい。全く的外れの回答に、俺はぽかんと口を開けて怒ればいいのか呆れたらいいのか、どんな反応を返したらいいのか分からなくなってしまった。
 アホ面を曝け出すこと約5秒。
 じわじわと理解不能の苛立ちが募り、ついに爆発寸前の火山が大噴火をおこす。

「だーーーー!!! 意味わかんねえッ!なんで携帯が計算できねェんだよッ!! 一から十まで説明しやがれッ!!」
「説明しろって言っても出来ねェもんは出来ねェんだって。あ、出来ねェって認めちまった」

 計算が出来ないと知って俺は激昴しているというのに、携帯はてんで知らん顔だ。
 ってーかほんと意味わかんねえ! コンピュータっていうのは1と0から出来ていて、即ち言語を理するより数字の計算のほうが断トツに処理能力が早いわけだ。それなのに計算が出来ないってどういうことだよッ!それってつまり日本人なのに日本語がわかんねえってことと一緒だろ!(多分)
 しっかりと筋が通っていないと鳥肌が立つ俺は、頭を掻き毟りたい衝動に駆られていた。
 何故計算が出来なくて、落語がそんなにぺらぺらと喋ることが出来るのか、お前の構造をしっかりとご教授願いたい。

「まァまァ。そんなに苛立つと禿げますぜ」
「誰のせいだよ。っていうかお前の電卓機能全く使えねーじゃねーか」
「電卓なんか使わなくても生きていけますって。年柄年中セールやってるわけじゃねェし」
「あのなあ、セール品の値段を知りたい時だけに電卓使うわけじゃねえんだよ。例えば割り勘したい時とかだなあ」
「そんなのアンタが全部払っちまえばいいじゃねェですか。ほら、解決ー」
「…………」

 ダメだ、本当にこの携帯が分からなくなってきた。ネジが一本取れたドラ●もんでもあんなに役立っているのに、コイツに足りないのはネジの一本二本じゃないというわけか。
 唖然としつつ、なんだか派手に疲れて俺は肩を落とした。
 そんな俺の隣にちょんと戻ってきた携帯は、大きな空色の瞳でじっと俺を見て、微かに笑うと妙に自信満々な声を出した。

「大丈夫でさァ。電卓が使えなくたって、俺はきっと土方さんの役に立てやす」

 だから、その自信はどこから来るのだろうとか、なんの根拠もないだろうとか、言いたいことはいっぱいある。
 けれどその青を見ていると吸いこまれるように何も言えなくなるのだから、俺は本当にどうにかしている。
 ため息ひとつ零して、まあいいかと妥協して、携帯を見た。まっすぐと見上げてくる瞳を受けて、散々騒いだ店を出る。

「割り算も出来ない、掛け算も出来ない。じゃあ1から100までを全部足したらどうなる?」
「とりあえずいっぱい」
「………よくできました」

 これ以上ってぐらいに呆れながら棒読みで誉めれば、当然のようにぴったりと横を歩いていた携帯が悪戯気な色を浮かべてにやりと笑って見上げてきた。

「でも計算が出来ない俺でも、今更手放せないでしょう?」

 疑問形というより断言に近い声色に、俺は肯定以外の言葉を持ち合わせていないのが本当に残念だ。




























































































目覚まし


 ベッドでぐぅぐぅ眠っていたのに、不意に目が覚めて覚醒を余儀なくされる。
 寝惚けた頭のまま上体を起こすと、カーテンの隙間から白い朝が射し込んでいた。太陽が顔を出してからまだそう経っていないようだ。窓の外から朝っぱらから活動的な雀の声が聞こえて、元気なものだと俺は欠伸をする。

「土方さん、起きなせェ。時間ですぜ」

 課題があるとかで早朝に目覚ましなんて掛けやがった張本人は、けれど体を揺すっても全く起きる気配がなく、仰向けで気持ち良さそうに眠ってすやすや夢の世界だ。
 俺はちゃんと時間通りに起きたってェのに、当の本人は一向に起きる気配がない。
 理不尽さにピキリ。こめかみに青筋が立つ。

「土方コノヤロー、起きやがれってんだ!!」

 乱暴に呼んでも、しかしこの平和ボケは、揺すっても叩いても名前を呼んだってちっとも起きやしない。
 ジト目で睨むこと数十秒。

(もういいや)

 きっかり30秒経ったところで俺は起こす任務を早々に放棄した。
 1回で起きなかったんだ、何回呼んだところで結果は同じだろう。うん。
 再びゴロンと横になって、再度眠りにつく体勢に戻る。
 すると視線の先に土方さんの顔があった。普段の切れ長の目が閉じられていて、顔が近くてついついその端正な寝顔を観察してしまう。顔にかかった黒い髪、筋の通った鼻。うっすらと口が開いていて、そこからスゥスゥと寝息が漏れていた。それが目先の俺の耳や前髪に届いてくすぐったい。

(なんかエロいなァ)

 土方さんは異様にモテるだけあってどことなく色気がある。
 それは容姿だったり仕草だったり、要所要所で感じる場所は違うのだけれど、それに当てられた女は転げるようにこの土方十四郎という人間に落ちてしまうのだ。

 間近にある顔をじっと見つめて、俺は擦り寄るように体を寄せて目を閉じた。
 普段は机の上に置かれるだけに、触れる布団の感触にむずむずする。こうやって布団の上に置かれるのは気付くようにと目覚ましをセットされた時だけだ。朝早く起きるのは嫌だけれど、その時だけはこうやって傍に置かれる。
 目覚ましは朝も一緒に居られるという約束なようなものでもあった。

「土方さん、起きねェんですかィ?」

 ごそごそと近寄って小声で言うと、土方さんがううと唸った。そして俺の後ろ頭に手を置く。目覚ましを止めたつもりだ。何事もなかったかのように、また眠りに続けている。

(なんか、あったけェなァ)

 抱き寄せるような手の感触に感じるはずのない温もりに触れた気がした。
 それが布団よりも柔らかく心地よく胸を擽るのは何故だろう。
 じーと土方さんを見上げて、その口から漏れる寝息が子守唄のように心地良くて、俺も落ちるように眠りにつく。




 その後、自然と起きた土方さんに、どうして起こさなかったんだッ!って怒鳴られた。
 けれど「俺ァ起こやした。起きなかったのはアンタのせいでさァ」と言えば、言葉が詰まったように黙り込む。自業自得でィ。
 時間との戦いだと言わんばかりに、土方さんは机にかじりついて必死になって課題をこなしている。
 その背中を見つめ、ニッと唇を釣りあげた。
 目覚ましを5分おきに5回もセットされていたが、たった30秒でやめてしまったことは秘密にしておこう。
 布団の上でまだ残っている温もりに擦り寄るようにして、俺はまた目を閉じてアンタが必死に走らせるシャーペンの音を聞きながら、心地よさにまた眠りに落ちるのだ。