スケジュール


 重なる時というのはなんの因果なのか、無情なほどに重なるものだ。
 帰路を歩きながら俺は、この何日かの予定を頭の中でなぞり返していた。課題続きの上に友からの誘いや家の用事など、断るにも断れない用事が折り重なるように続き、重たい体を引き摺る毎日だったと思い返して、精魂ともに使い果たした口からは最早ため息しか出てこない。

(俺はどこのサラリーマンだ)

 ひとり心中でつっこみ、忙しなく回った日々にほとほと嫌気が差した。
 こんな日がいつまで続くのだと気だるげに視線を上げ、先を行く背に声を掛ける。

「なあ、明日は何がある?」
「明日ですかィ? えーっと、合コンですねィ」

 歩む一歩一歩さえ重い俺とは違い、充電して元気満タンの携帯はくるりと振り返り登録してあるスケジュールを読みあげた。このタイミングで合コンなんて、今から考えただけで億劫だ。しかも数合わせで行くだけに乗り気になれない。けれど主催の奴には貸しがあるから断ろうにも断れない。

「最悪」

 声に出して言うと、携帯がきょとんとしてからニヤリと悪戯気な笑みを浮かべた。
 その目が穏便に語っている。「まァ過労死しない程度に頑張りなせェ」と。
 …ああ、温かい言葉が欲しい。

「お前は俺をなんだと思っている」
「機会音痴でドMの土方」
「敬意どころか悪意しか感じねぇぇぇぇ!! あーもういい。テメーに付き合っていたら余計に疲れる」

 立ち止まっていた携帯が俺の横に並んで、俺らは揃って歩く。
 ダルそうに歩く俺を横目に携帯がくくっと笑った。

「いやー本当に疲れてやすねィ」
「ここんとこは働き蟻だ」
「働き蟻ならもっと疲れを知らない囚人のようにキビキビと動くもんでさァ。まだへばる時じゃありやせんよ」

 人事だと思っていけしゃあしゃあと言う隣の携帯を、俺は恨みがましい目で見る。

「俺がどんなハードスケジュールを送ってきたと思ってんだ」
「知ってやすよ。月曜日までに仕上げる課題が2つに火曜日までに仕上げる課題が1つ、一昨日は友達の引越しの手伝いで、昨日は部活の後輩がどうしても指導してほしいって頼み込まれて母校に行って指導して。ああ先週は親戚が泊まりに来やしたね。そのせいで課題も思うように進まないで、おまけに従兄弟の相手役もしなけりゃならない。近藤さんの恋愛話に付き合って、断りきれなくて友達の失恋話を朝まで聞かされて。よくそんなに重なるものだと俺ァ呆れてまさァ。アンタ暇を叩き売りでもしてんじゃねェですかィ?」
「お、おい俺はそんなことまで登録してねえぜ」

 俺は予定が出来る度にその都度スケジュールに登録するなんて小まめな性格はしていないし、突然出来た用事もあっただけに携帯に登録してあるのは重なりあった用事の中のほんの一握りだ。
 それなのに携帯が俺の用事をつらつらと細かに説明するもんだから俺は驚いた。呼び止めた俺を見て携帯はふっと笑うと、前に回って俺の目を覗き込む。

「スケジュールなんかに登録してなくたって、土方さんの予定なんて知ってやすぜ。どこへ行くにもアンタと一緒ですからねィ。知ってて当然でさァ」

 透き通った青い目と言葉に思わず捕らわれて足を止めた俺を置いて、携帯はくるりと背を向けてさっさと歩き出した。歌うように笑うように言う。

「アンタが俺を手放さないモンだから、俺も土方さんと同じ毎日を送ってるんですよ」




























































































マナーモード


 講義が終わり内容を纏めていると、くいくいと引っ張られる感触がした。
 くいくい。
 カキカキ。
 くいくい。
 カキカキ。
 けれどキリのいいところまで進めたい俺は、気にせず書き物を進める。
 カキカキ。
 すると袖を引っ張る感触が消えて、終わったかと思いきや、いきなり頭を掴まれ机に叩き付けられた。

 ガンッ。

 鈍い物音が響く。机に突っ伏した体勢のまま妙な沈黙が降りる。約5秒。背後からはぁとため息が聞こえた。

「何やってんでィ。俺がせっかく教えてやってんだからとっとと気付きやがれ」

 袖を引っ張ったり机に叩きつけたりした張本人は、けれど悪びれもなくそう言う。
 嗚呼ふんぞり返っている姿が目に浮かぶ。
 じゃなくてぇぇぇええ!!

「何しやがるんだテメー!!」
「だからメールがきてるって言ってるんでさァ」
「分かってるって! つーか言ってねえ! 口より先に手が出てンだよッ!!」

 机に張り付いた顔を勢いよく剥がし、後ろを振り向いて怒鳴ると携帯は嫌そうに眉を寄せた。

「なんでィ。分かってるならとっとと見なせェ」
「俺は今忙しいんだよ」

 ノートをトントンッと叩くと、携帯はどことなくムッとした。
 拗ねるんじゃねーよ。今はお前に構ってる暇はねえの、と内心で呟きつつ、今度は俺がため息をつく。

「ってかなんで喋ってんだよ。マナーモードにしていたはずだろ」

 そう、集中する為にマナーモードにしていたはずだ。その証拠にさっきも直接声には出さず袖を引っ張っていた。
 どういうことだと目で問うと、しかし携帯は悪びれもなく肩を竦めてみせる。

「アンタが気付かないんで解除しやした」
「だから…、なんでテメーはそう万年反抗期なんだ」

 これまで着信音を勝手に変えたり電源切ったりと、勝手なことばっかりやってきた携帯だ。今回もなんとなくそうなんじゃないかと想像は付いていたが、はっきり言われると余計に疲れを感じて先ほどよりも深い深いため息を俺は吐き出す。

「とにかく俺は忙しい。黙っていろ」

 ビシッと指を差して命じると、不服そうな顔をして携帯が押し黙った。なんだかんだ言って、最後は俺の言うことを聞くのが携帯だ。
 そんなに邪魔なら携帯など違う場所にでも置いておけばいいのにそうしないのは、端的に言えば俺が手放せないからで、ノートをまとめながらなんだかなあと思う。
 カリカリと書き物に戻るけれど、携帯は俺の背後でじっと黙って、でもそこに居た。ただ居るだけの安心感、そのことに安堵している俺がいる。
 カリカリ。
 カリカリ。
 携帯が黙ったことで、部屋の中は俺がシャーペンを走らせる音だけが響いた。
 携帯は黙って、でも俺の袖を掴んでいる手はまだ離れない。




























































































辞書


 はっきり言って、この機能があると聞いても、俺はまったく期待していなかった。
 文字変換でさえ頭が痛くなるような候補を表示するような携帯だ。頭の悪さは誰よりも俺が知っている。
 そんな携帯が、辞書なんて賢い機能を駆使出来ているはずがない。

「その顔はまったく信用してやせんね」

 箸を片手に疑り深そうに携帯を見やる俺を見て、携帯はやれやれと肩を竦めた。疑いのまなざしはそのままに、俺は携帯を一瞥して、部屋でテレビを見ながらがっついていた弁当の食事を再開する。辞書機能なんて信じられねーっつーの。
 取り合わない俺に携帯は布団の上に寝転がってだらけた。

「せっかくあるものを使わねェとか勿体ねェ野郎でさァ」
「使えると思えねーんだよ」
「俺の辞書は高性能ですぜ」
「じゃあ何を知っているんだよ」
「ナポレオンの辞書に不可能って言葉はありやせん」

 …聞いた俺がバカだった。
 げんなりと肩を落として、買ってきた弁当にマヨをぶちょぶちょと付け足す。これを足すだけで普通の弁当が高級弁当になるのだから、マヨを作ったやつは天才だ。
 そんなことに感動していた俺だが、背後から不貞腐れた携帯の空気がじくじくと部屋の中を漂ってきて、気になってしょうがない。ったく、どこが高性能なんだか。

「おい、これ」

 携帯に背中を向けたまま、ちょんちょんと机の上に置いたマヨを叩いた。
 ベッドに沈んでいた携帯が顔を上げてこっちを見る気配を背中で感じてから言う。

「これはなんだ?」
「何言ってんでィ。アンタが大好きなマヨじゃねェですか」
「 そういうことを言ってんじゃねえよ。辞書で引けって言ってんの」

 携帯がきょとんとしてから、鼻をふふんと鳴らした。

「そんなの簡単でさァ。マヨは黄身とサラダ油、酢に塩を混ぜ合わせて乳化させたソースでさァ。ちなみに摂取量が多いとその分肥満になりやす」

 意外にもちゃんとした答えに、俺はまじまじと弁当を彩るマヨを見つめた。後ろでどうでィとばかりに携帯が得意げでいる。

(よく分かんねーなあ、コイツ)

 バカなのかまともなのか、判断が付きにくい。
 しかし普段が普段だけに手放しで誉めるのも癪で、俺は部屋にある様々なものを指差して携帯に答えさせた。

「テレビは正式にはテレビジョン。送られてきた電気信号を映像で表現する通信機器でさァ。時計は時刻を知る物。他にも水時計や日時計なんかもありやす。エアコンは空気を快適な状態に保つ機械」

 俺が指差したものの説明を、携帯はつらつらと的確に答えた。
 そして俺は端に置いてあった姿見を指差した。ちょうど角度的に俺と後ろの携帯が映っている。
 携帯は暫く黙って、そしてごそごそと横を向いて顔を隠した。
 俺の指は確かに鏡を指差していた。けれど、

「土方十四郎、通称マヨ方。容姿に騙されて女にはモテやすが、重度のマヨラーにみんなドン引きでさァ。目つきが悪くてヤクザみてェな面をしてんのに、世界名作劇場じゃネジがぶっ飛んだみたいにボロボロと泣きやす」

 携帯がぺらぺらと喋ったのは鏡に映った俺のことだった。
 呆然とする俺に対して、携帯はまたごそごそと身じろぎしてからこっちを向く。
 「ヘタレでお節介焼きで苦労人でどうしようもねえ俺のご主人さまなんでさァ」と鏡越しに俺を見て、あーあと言って、そればっかりはどうしようもねェなァと携帯が笑った。