番外編 携帯そーごのハイスペック化
テレビのお笑い番組もこの空気には形無しだ。
ズーンと重たい空気が部屋の一角から漂ってきて、部屋の中だというのにじめじめとした湿った空気が俺の背中にのし掛かってくる。何も言わなかったがこうも長時間それが続けば構わないわけにはいかなくて、クルリと振り返るとベッドの上、部屋の隅で膝を抱えて落ち込んでいる携帯を見た。
その姿はこっちも同情を買いそうな程の沈みようで、けれどそうは言っても落ち込んだって仕方のないことでもある。
「おい、いつまでそうやってんだよ」
「ほっといて下せェ」
「ほっといてもテメーがそうやってイジけてるから気になんだろ」
ったく、仕方ねぇじゃねーか。
「お前が対応してねえんだから」
そう言うとグサリという音がした気がして、尚更落ち込む旧式の携帯がひとつ。
はあと俺は息をついた。
そう、携帯はメールに添付された画像が見れなくて落ち込んでいるのだ。
画像ファイルが大きすぎて表示しきれないらしく、見ることが出来ない。そんなエラーメッセージが表示されて、俺は「ああそうなんだ」程度に思っただけだが、意外に携帯はショックを受けてたらしい。壁と仲良く、シュンとしている。いったいいつまでそうやっているのかと、最早ため息しか出ない。がりがりと頭を掻いた。
「ったく、しょうがねえじゃねーか。ンなに表示してえなら近藤さんにファイルサイズを小さくしてもらって送り直してもらえばいいだろ」
「ンなの言っちまえば、近藤さんに俺がダメダメだって言うみてェじゃねェですかィ」
(いや、元々お前はダメダメだけど)
携帯は何故か近藤さんを慕っていて、初めて見た時、「すげー男前でさァ」と目を輝かせて感動していた。その近藤さんからの贈り物が表示出来なくてショックを受けているのだ。単純というか、しおらしいというか。
「あーもう俺は寝るからちょっと退け」
テレビを消すとベッドの上に上がりイジケている携帯を退かす。
携帯はまだウジウジ言っていたがリモコンで電気を消すとすぐに黙った。電気を消した瞬間電源を落として寝ているのかもしれない。ガキみてぇだなと思いつつ、俺も目を瞑ってまどろみに任せた。
「土方さん、朝でさァ。起きなせェ」
「あ?」
聞くはずのない声に俺の意識は持ち上がった。目を開くと携帯がジッと俺を覗き込んでいて、まだ靄がかった思考で珍しいこともあるんだなと思った。
(コイツに起こされるなんてな…)
う゛ーと呻いて、まだ寝足りないとゴロリと横向きになる。
が、眠気とは逆にだんだんと意識が浮上してきた。
(っつーかもしかしてもう結構良い時間じゃねぇのか?!)
アラームを設定していない携帯が起こす程だ。目覚まし時計も覚醒する起爆剤にならなくて呆れた携帯がいい加減起きろと言っているんじゃないか。
冷や汗と共に飛び起きて近くにあった目覚まし時計を手に取る。
「………あ?」
時計の針は予定の時間をゆうに越していた、そんな予想は綺麗に俺を裏切って目覚ましがちょうど鳴る時間だった。手にしたまま瞬きを繰り返しているとピピピと聞き慣れたいつもの音が響く。
なんだこれ。どうなってンの?
まだ夢の世界に居るように唖然としてとりあえず目覚まし時計のスイッチを切ると携帯の方を振り返った。
「………ん?」
そしてまた唖然。青い空色の目はいつもと同じで、それは間違いなく俺の携帯なのにある一ヶ所が違っていて俺は目を瞬く。
指を指して言った。
「お前、なんで眼鏡なんか掛けてるの?」
携帯は、何故か眼鏡を掛けていた。ずるりとずれた眼鏡を押し上げて、いつもならフフンと得意げに鼻を鳴らすところを携帯に表情ひとつ変えずにこう言った。
「まァ俺もいつまで経ってもガキじゃねェってことでさァ」
「…は?」
「成長したってことですよ」
何が? 誰が? 携帯が成長?
当然のことを言ったって顔をされてもこっちは全然当然の回答なんかじゃなくて、俺はぽかんとアホ面を曝け出す。
(分かった。これは夢だ。俺は変な夢を見ているんだ)
ごそごそと体を倒しておやすみとばかりに布団を被る。現実逃避という言葉が過るが、これは現実ではないからそれは該当しない。
そんな俺を見て携帯が呆れたようにため息を吐いた。土方さん土方さんと再度呼ぶ。「遅刻しやすよ」と言って起こすことを諦めようとしない。あの携帯が、だ。
気になって気になって寝るどころじゃなくて俺はむくりと起き上がると疑いのまなざしで携帯を見つめた。
「お前、なんか変な電波でも拾ったか?」
「何言ってんでィ。寝ぼけてないで、土方さんこそいい加減ベッドから出たらどうなんですかィ。遅刻しまさァ」
「……………」
まさか携帯に真っ当な説教を言われるとは露ほどにも思っていなかった俺は、まじまじと携帯を見た。なんか…お前からそう言われるとすごいショックだ。
はぁとため息を吐いて、ベッドから降りて俺は支度を始める。その間携帯は今日の日程を細かく口頭で説明して、ちょっとでもゆっくり用意をしていると何分までに家を出ないと電車に乗れないだの注意してくる始末だ。挙句に朝食の栄養バランスなんかもそれじゃいけないと小言を言われて、ああもうお前はいつから俺の執事になったんだよ!
眼鏡を掛けて「成長した」と言った携帯は、それはもう優秀だった。
着信音は勝手に変えないし、電源だって自分の意思で切ったりしない。文字を打つ時の変換は一発OKで、予測変換はまるで俺の心を読んだように先の先まで表示してくれる。それだけではなく朝は天気予報や気温も教えてくれるし、俺が欲しかった本の発売日もしっかりと覚えている。買い物に行くと買わなければいけない物を次々と上げていったり、机にかじりついて勉強していると何を言うわけでもなくじっと黙ったまま後ろで俺の様子を見守っていて、躓いた問題や意味が分からない言葉が出てくると独自にネットで答えを引いてこっそりと教えてくれる。
優秀だ。何を言うこともなくまさに望んでいた携帯そのものだ。俺の言葉に逆らわず従いそれでいて俺が望むことを命令する前に実行する。
今も道に迷った俺の先頭に立って、GPS機能で迷い子の俺を導いてくれている。
「お前にGPS機能なんてモンがあるなんて知らなかった」
「土方さんは機械音痴ですからねィ。知ってても上手く使いこなせなかったと思いやす」
「確実に馬鹿にしてんだろ」
「事実を言ったまででさァ。まァこれからは俺に言ってもらえば案内しやすんで、行きたい場所があったら言ってくだせェ」
1日限定かと思った携帯のハイスペック化は、3日経った今も変わらず現在進行中である。
一気に頼もしくなった。携帯が肩越しにこっちを見て任せなせェと自身満々な表情で笑う。頼もしくなった携帯の背中を俺はぼんやりと見ていた。
役立ち俺の手助けとなる携帯。これが本来の携帯で、俺が望んでいたそのものだ。これで良かった、日常が便利になると喜ぶところなのに、俺は携帯の背中を見ながらスペックの悪い以前の携帯との日々を思い浮かべていた。
電源を勝手に切って頭が痛くなる文字変換をする携帯。我が侭で俺の言うことなんてなにひとつ聞かなくて目覚ましを設定したってそれで起きたためしもなくて自然と起きてみれば隣で一緒に寝てやがる。
浮かんでは端からパリンと消えていく思い出に、俺は何故か感傷を抱いた。それは妙な寂しさも伴って、嬉しいはずなのに複雑な気持ちで、どこかで落ち込んでいる俺がいる。説明なんかできない。
「土方さん?」
ふいに足を止めた俺に気付いて、携帯も足を止めて振り返った。コクリと首を傾げて俺を見上げる。
変わらない空色の瞳。いつもと同じだ。変わらない。俺が居てお前が居て、けれど
「これじゃあどっちが主人なのか分かったモンじゃねえよな」
苦笑すると携帯がきょとんと目を瞬いた。
「土方さん?」
「お前に道案内してもらって、俺の全部を把握してくれてさ、優秀だよお前」
「成長したって言っただろィ」
「ああそうだな。でも俺は着信変えて電源切って自由気儘なお前も嫌いじゃなかった」
風がざぁぁと吹いて、その言葉に携帯はきょとんとしていたがやがてふんわりと柔らかく笑って、
「土方さん」
呼び声に俺の意識は覚醒した。瞼を持ち上げると見慣れた天井があって、ずいっと携帯が俺を覗きこんできた。
ぼんやりとしていると空色がひとつふたつ瞬いてこう言う。
「土方さん。もう昼でさァ」
「…あ?」
「だからもう昼だって言ってんでィ。いつまで寝てるつもりですか」
まだどこかぼんやりとしたままむくりと上体を起こして近くにあった時計を見やれば、瞬間 眠気なんて一気に覚醒した。
「もう12時じゃねぇかっ!!」
「だからそう言ってんじゃねェですかィ」
「なんで起こさなかったんだよ!!」
突き詰めると携帯は呆れたように肩を竦ませて「そう言ったって俺は目覚ましなんか設定されていやせんでしたから」なんてことをいけしゃあしゃあ言いやがる。
「はあ?! お前目覚まし時計より先に起こすって言ってたじゃねえか!」
「言ってやせんよそんなこと。ンなめんどくせェこと俺が言いだす筈ねェじゃないですか」
「めんどくさいって言うな!! つーかお前眼鏡は? ハイスペック化は?」
携帯はぱちぱちと目を瞬いていたが、やがて半眼になって胡散臭そうに俺を見た。
「土方さん、アンタ夢でも見たんじゃねェですかィ。俺がいきなり高性能になんかなるわけねェじゃないですか」
…夢? あれは夢だったのか?
ベッドを下りて机の上のノートを開くとやった筈の問題は真っ白で、俺は自分の頬っぺたを抓ってみる。痛さは現実だった。
(なんだ、夢か…)
そう分かった瞬間、緊張が解けたようにひどくホッとした。振り返ると携帯がベッドの上で不思議そうに空色を瞬かせている。
もしやと思い尋ねてみる。
「俺が今日何するか知ってる?」
「知らね」
「1から100までを全部足したらどうなる?」
「とりあえずいっぱい」
「だよな」
いつもの携帯の答えに俺はふっと安堵の息を吐いた。アレが夢でこれが現実だと分かると、逆にあの高性能さが惜しくなってきた。
「性能が良くなった携帯の夢を見たんだ。お前もあれぐらいになれば俺も助かるのに」
携帯はこくりと首を傾げて俺の言葉を飲み込むと、にやりと口角を上げて自信満々にこう断言した。
「土方さんには俺ぐらいでちょうどいいんですよ」
その言葉は満更嘘でもなくて、夢の中でおどおどしていた自分を思い返して、そうかもな、と俺は頷いて苦笑する。
携帯は同意した俺を驚いたように見て、それから、嬉しそうに笑った。
その後
「しまった、迷った。お前GPSついてるんだろ? ここどこだよ?」
「さァ。俺も迷いやした」
「使いこなせぇぇぇぇぇえええ!!!」