退治


「あそこからの眺めはいいんだろうね」

 捕り物が終わってこっちはヘトヘトだっていうのに、ある一点を指差して真っ直ぐと伸びた指は相変わらず綺麗だった。声のトーンもいつもと同じで、道端で話しかけられたようになんでもないように話しかけてくる、疲労の片鱗も彼女は見せない。だからなんとなく、ここがどこだか忘れて反応がちょっと遅れてしまった。

「あ、え、…へ?」
「永倉、反応が遅いよ。大丈夫? ここでそんなんじゃ死んじゃうよ」
「すんません」
「まあいいけどね」

 全然心配してない声色でそんなことを言う。沖田さんが血の付いた傘をシュンっと音を立てて刀みたいに一振りすると、赤いそれがビュッと地面に叩きつけられて放物線を描いた。返り血とか爆煙で薄汚れた俺と違って何一つ汚れていない、白いまんまの沖田さんはふと一緒に死地を乗り越えてきた愛用の傘を持ち上げると、あろうことか先端の銃口を先ほど指差した一点に向ける。あんぐりと口を開けて驚いたのは俺だ。俺の予想が違っていなければ、そのまま引き金を引けばそれは間違いなく銀髪の脳天を貫く。

「ちょちょちょっと! 沖田さんそれはヤバイですってッ。なに副長にそれ向けてるんですか!」
「だって私あの場所欲しいもの」
「欲しいものって…あーもう見てるほうが心臓に悪いからやめてください」

 見つかって下手したら処分ものだ。副長ならまだ許してくれるだろうけど、今日は警察のお偉いさんが現場を見に来ている。冗談ですお茶目なことなんですただの遊びですじゃ許されない。
 そんなこと沖田さんも知っているだろうに、俺が必死に宥めるてやっと、むぅと少しむくれて傘を下げた。むぅじゃない、おかげでこっちの方が変な汗を掻いた。そんな様は普通の女の子なのに、容姿もスタイルもバッチリでそこら辺のアイドルより俺は可愛いんじゃないかと思ってるぐらいなのに、彼女が今日の捕り物でも一番多く人を殺した一番隊隊長さまなのだから、ほんと世の中ってわからない。
 沖田さんはまだ諦めていないようだった。いいなぁあの場所、と切なげな目をする。

「場所って…まさか副長の立場が、ですか?」
「うん。そう。だっていっつも近藤さんの隣に居られるじゃない? 私なんて他の隊士とおんなじだし」
「いやいやいや沖田さんが他の隊士とおんなじだなんてそんなこと。沖田さんは別格ですよ」
「女だから?」

 局長と副長と沖田さんは武州からの古い付き合いだから、間違っても他の隊士と同じようにふたりは沖田さんを扱わない。いくら特別扱いしないって言ったって、同じように扱えと言うほうが無理なのだ。特に局長にとっては。それは俺の目にもわかるほどできっと新入だって感じ取ってる。
 そのつもりで言ったはずなのに、彼女の耳にはうまく伝わってないようだった。日本語ってむずかしい。素早く切り返されて上手い言葉が見つからなくて、でも絶対に否定しなくちゃいけないから頭をフル回転させていると「目が泳いでる」と額を指で押されてハッとした。沖田さんが無意味にブーツで地面を蹴る。

「ほんとはね、前に言ったんだ。土方さんに。私我慢出来ないし」
「はぁ。なんてですか?」
「鬼退治していいですかーって」
「……モロじゃないですか」
「だって奇襲って卑怯じゃない。私裏切り者になりたいわけじゃないし」

 沖田さんがブーツで地面を掘る、その音をなんとなく聞いていた。
 副長はクールというか、笑っていても裏で何考えてるかわからない人だ。策略家だからそんなものかもしれないけど、正直妙にとっつきにくいところがある。そんな副長に堂々と「あなたやっちゃっていいですか?」なんて宣言出来るのもきっと隊内でも沖田さんだけだ。すごい、とは思うけれどその時の光景はあまり思い浮べたくない。沖田さんもわりと淡白な性格だから冷めたやりとりだったんだろう、このふたりが盛り上がってるところなんて見たことも聞いたこともない。でも話の続きは気になったから「それで?」と先を促すと、沖田さんの答えはやっぱり淡白なものだった。

「『やってもいいけどお前には無理だよ』だって」
「え? それって…」
「お供がいないから私じゃ勝てないんだって」
「………」

 ぎぎぎと音が鳴りそうに顔を動かす、視線の先には上官と話す銀髪の男の姿。副長、その答え方ってなんだか小さい子どもを言い聞かせるみたいな、屁理屈な答え方じゃありません? もっと頭のいい人らしい返答かと思ったのに残念だ。それとも俺が気付いてないだけで、裏の意味がある含みの答えなんだろうか。

 でもすっきりしたんだ。
 聞こえてきた声は思ったより晴れやかだった。いつの間にか後ろを向いた沖田さんがうんと両手を広げて大きく息を吸い込んでいる。バックに広がるのは青空だ。ついさっきまで血の海を泳いでいたというのに、欠片さえ忘れさすように夢のように。体力使って疲れきって、思考に欠けた俺はぽかんとそれを見てた。どこか一枚の絵のようにも見えた。

「土方さんが無理だって言ってね、なんかすっきりした」
「納得…したんですか?」
「わかんない。最初からそんなに欲しくなかったのかも。副長なんて命令と書類ばっかりで頭使うじゃない? 私体動かしてるほうが好きだし」
「………」
「それに土方さんだからいいのよ。土方さん間違ったことしないもの」
「…なんだかんだ言って、やっぱり信頼しているんですね」

 それが無償のものなのか長年の情だからかはわからない、それでも確かに、俺とは違う絆が沖田さんと副長の間にはあるんだ。その人達だけにしかわからない空気みたいなもんがあって、他の誰とも共有出来ないものがある。疲れた体にそのダメージは大きかった。気力と終わった開放感でしか保っていない状態に、ずきずきと何故だか胸が痛み出す。しょうがない、しょうがないんだけど、でもちょっとだけ俺じゃ分かり合えないっていうのが悲しかった。

「信用してないよ」

 振り向いて、口の端を上げて笑っている顔が背景の青空によく似合っていた。横を通り過ぎる時に一緒に零れた言葉が妙に耳に残って離れやしない。振り向いた時には副長の姿も、沖田さんの背も遠くの景色に消えかかっていた。追い駆けたいのに動かない足と思考のせいで、俺はしばらくその場所を動けない。だから俺の頭はさっきの、沖田さんが笑ってた一枚の青空絵を思い出すしかなくて。


「だってあの人鬼だもん」


 じゃあ俺は貴方のお供になりますと、心の中でそっと呟いて誓う。