まあるいか


 みんなが俺を子ども扱いする。もうなんでもひとりで出来るのに。
 総悟は、小さな自分の手のひらを見つめて悔しがっていた。

 近所のオヤジには「いつ見ても小さくてかわいい手だなー」とからかわれるし、八百屋のおばちゃんには「ぷにぷにしているわ」と笑われるけれど、けれどこれでも、大きくなったと総悟は思っているのだ。
 その証拠にじゃが芋だって前よりずっといっぱい持てるようになった。
 竹刀だって以前よりしっかりと握れるようになった。
 道場からの帰り道は大石を目印にいつもジャンプして飛距離を測っている。その距離が伸びる度に総悟は自分の成長ぶりを実感してくすぐったいようなむず痒いような感覚に襲われる。

 俺は立派に成長している!
 小さい総悟はそう胸を張る。
 けれど誰ひとりとして総悟の成長ぶりに気付いてくれる人は居なかった。
 傍目から見れば気付かないほどのものだったからだ。総悟にとっては自慢したくなるほど大きなことだとしても、気付いてもらえないのでは意味がない。

(でも俺は武士だから、褒めてもらおうとしてはいけないんだ)

 幼心にそう思い、肩を並べる三人の大人の背を見て、俺もあの中に混ざりたいと、ひどく悔しい気持ちになる。


 ふと侵入した畑で総悟は大きな大きな芋を掘り返した。
 1カ月前の自分なら力もなく運べなかったかもしれないほど大きな芋だった。しかし総悟は足をヨロヨロとふらつかせながらも、なんとか芋を道場まで運んできた。
 そこに偶然通りかかった長髪のいけすかない男に「どうだ!」と見せびらかせた。
 土方は目を大きく見開きひれ伏すと、「先輩すごいっす!そんな芋を持って来られるなんてもう大人ですね」と尊敬のまなざしで総悟を崇めた。

 …そんな様子を総悟は思い浮かべ、自慢気に鼻を鳴らした。
 だけれどどこまでもいけすかない土方は、頭を掻きながら総悟と腕の中の芋を見て、どうでもいいような顔をすると「それは先輩がすごいんじゃなくて、デカく育った芋がすごいんですよー」と小馬鹿にして去っていった。

「てめー! それが先輩に対する態度かっ?!」

 総悟はぎゃんぎゃんと叫んだが、土方が振り返ることはなかった。
 憧れを踏みにじられた気持ちだった。手を握りしめる度に悔しさが募る。



 ある日道場の廊下を歩いていた総悟は、ふと近藤の声を聞いて立ち止まった。中を覗くと、近藤が思案顔で唸っていた。
 どうしたんですかと問うと、風呂に使う薪が切れたのだと言う。けれどみんな用があって買い出しに行けないらしい。今日は水風呂かと苦り切った顔で言った。
 なんだそんなこと!と総悟はぱっと顔を光らせて、身を翻すとあっという間に走っていった。
 じゃあ俺が集めてくる!と背中で言った。
 近藤は驚いて止めたが、その時はもう総悟の姿はなかった。
 ウサギの如く、総悟の足は早い。


 薪ぐらいひとりで集められる。
 じゃが芋だっていっぱい持てるようになったんだ。薪だっていっぱい持てるに決まっている。
 意気揚々と林の中に入りこんで火の足しになるような枝を総悟は選んだ。けれど中々火の勢いを助けるような太い木が見つからない。うーんと眉を寄せて、地面を見ながら総悟は練り歩く。
 どのくらい経ったのだろう、ふと頭上が暗くなって、総悟が空を見上げた。
 雲が太陽を隠していた。
 薪集めに夢中だった総悟は、そこで初めて、自分がどこにいるのか分からなくなっているのに気付いた。辺りを見渡すが、背の高い草木が取り囲むように生えているだけだった。

(どうしよう…)

 総悟は、急に心細くなった。
 鳥の声がどこからか聞こえて、ビクリと体が跳ねる。
 集めた薪を手に総悟は立ち尽くした。周りのすべてが自分を襲ってくるような感覚に襲われる。
 震えそうになった手を誤魔化すように総悟はその場にしゃがみこんだ。
 薪を両手で抱え込み、膝に頭を押しつけるように縮こまると、ぎゅっと丸くなった体でうっかり姉の名前を呼んでしまいそうになって、声が出ぬよう唇を噛む。
 そうしてどれほど経っただろうか。
 急に草を掻き分ける音が聞こえて、総悟は飛び上がった。
 野犬? それとも熊?!
 太い牙を剥き出しに飛びかかってくる恐ろしいものを頭の中で描きながら、これだけは守らなくてはと総悟は近藤の為に集めた薪をギュッと握る。
 挑むように音の方向を見やる。何が来ても負けないのだと、気を抜けば震えだしそうな足を叱責した。

「こんな所に居やがった」

 高い草の中から現れたのは野犬でも熊でもなく、人間だった。
 蝶と夜が似合いそうな端正な顔をしているくせに、頭に草の葉を付けてどこか間抜けである。
 知った顔に、総悟は安心からその場に崩れ落ちそうになった。けれどそれに気付かれぬよう、見下ろしている男をキッと睨むと吠えた。

「なんだよっ!」
「あ?」
「なんでテメーがこんな所に居るんだよ!」

 ほんとは安心したくせに、それを素直に出すのが癪で、総悟は薪を抱えたまま突っ掛かる。
 土方は心底嫌そうな顔をした。全く損な役回りばっかりだと言わんばかりの顔だった。

「近藤さんに泣き着かれて探してたに決まってンだろ。だれが好き好んでお前を探すんだよ」
「嫌嫌だったら探すな」
「俺だって見つけるつもりなんかなかったさ。適当に探してたらお前が居ただけじゃねーか」
「…なんで、近藤さんは来ないんだよ」

 本当は、近藤が来るんじゃないかと期待していた。それだけに、見つけた相手が想像していた人物ではなかったことが、総悟にはショックだった。
 一生懸命掻き集めた薪を抱き締める。
 居なくなっても、近藤さんはなんとも思わないんだ。土方なんかに、他の人に俺のことを頼むぐらい、どうでもいいんだ。
 そう考えると途端に悲しくなって、泣きそうになった。けれど土方の前で泣くのは癪で、唇を噛んでなんとか耐える。

 その姿を静かに見ていた土方だが、やがて、しょうがねえなあ、とでも言うかのような息を吐いた。
 総悟の前にしゃがみこむと、片手でおもむろに総悟の頬っぺたを挟む。
 むにゅっと唇が飛び出た。ひょっとこのような口に土方が微かに笑う。

「だからガキはキライだって言うんだ。言いてえことはなんでも素直に言っちまえ」
「うー!うー!(離せー!)」
「いいか、ガキっていうのは不貞腐れたら頬っぺたを膨らますモンだ。風船に針を刺したら空気が一気に漏れるみてーに、頬っぺたを突っついたら溜まった不満を言いたいだけ言えばいいんだよ。ガキがそうやって唇を噛んで我慢するんじゃねえ。それは大人のすることだ」

 土方は片手を離すと、総悟のおでこを突っついた。
 立ち上がる土方を総悟が悔しそうな目で追い掛ける。
 それを一笑して、乱暴に髪をかき混ぜた。ギュッと目を瞑る姿は子どもだった。

「近藤さんもあちこち探してんだ。ほら、行くぞ」

 土方はそう言って総悟に手を差し伸べる。警戒の色を浮かべつつ、やがておずおずと総悟は自分より大きな手を掴んだ。
 温かくて大きな手に包まれて、改めて自分はまだ子どもだと総悟は痛感した。けれど悔しさよりも、まだ子どもでいていいんだと言われたような、ひどく穏やかな気持ちが総悟を包み込んでいた。

「なあ、土方はもう大人?」
「当たり前だ。子どものお前とは違うんだよ」
「近藤さんのところで世話になってるくせに偉そうに言うんじゃねえよ」
「………(クソガキ)」

 繋いだ手も見上げた背中も、それは大人のものだった。
 総悟はチラリと横目で土方を窺う。髪や服にちょっと草が付いていて、引っかけた草履にも、どこを歩いてきたのか、泥が付いていた。
 総悟はなんとも言えない気持ちになった。

(このヤロー、結構探してくれてたんだなあ)

 さっきは適当に探していたと言っていたが、そうではないことぐらい分かる。
 けれどそれを言ってもこの男は認めないだろう。
 違うと頑なに否定して、スタスタと行ってしまうに違いない。
 土方は一匹狼を気取って、その内情を悟られるのをひどく嫌う。
 人と関わるのを疎んじているのではない、照れくさがっているのだ。総悟は近藤が言っていた言葉を思い出していた。

(しょうがねえから気付かないフリをしといてやる)

 俺はおまえの先輩だからな。
 ねこじゃらしでくすぐられたような、なんだか妙にむず痒い気分になる。
 総悟はひとりごちて、成長した自分がこの男と肩を並べて歩く姿を思い描いていた。
 土方の背を追い抜かして立派な大人を総悟は想像していた。

 しかしまさか大きくなってもこの男とこうやって手を繋ぐことになるとは、この時は思いもしなかった。
 勿論それは小さな子どもを導くための温もりではなく、もっと熱く、もっと愛しいものである。

 林を出ると近藤が向こうから駆け寄ってくる。
 見つかる前に離された手を追って大きな目で男を見上げると、土方は苦笑を浮かべて総悟の頭をぽんっとやさしく撫でてやった。