何度だってきになる


「非常に混雑していますので、お気をつけください! 前の人を押さないように!」

 所々で張り上げている隊士の声が夜空に響く。
 拡張器など使っていないそれが星もない夜の空に木霊して、けれど誰ひとりとして聞き咎めてはいないだろう。ゴミを捨てるなと言った手前でゴミを捨てられることもある。
 厄介事が起こらないだろうかと、俺の心配は尽きない。そもそもここには直情型のやつが多いんだ。
 いつか喧嘩沙汰になるかもしれない。
 懸念して土手から眼科を見下ろすが、しかし夜の中で蟻のように人が蠢いているだけだった。

「どっからこんなに人が集まってくるんですかねィ。本物の花火を見る前に、あの群れの中に一発バズーカでもぶちこんで、でっけぇ人間花火でも咲かしてやりたいでさァ」
「ばーか。光ってこその花火だろ。あんなのを空に放ったところで、黒い固まりが汚く咲くだけだ」
「あらら。とても警察とは思えねェ台詞ですねィ」
「テメーに言われたくねえよ」

 手で筒を作って、双眼鏡で辺りを見るような仕草をして総悟は間延びした声を出す。俺はその横につっ立って、眼下の人だかりにうんざりしながらヤニを吸っていた。
 今日は工業地帯の河川敷で花火大会が催される日だった。
 その警備に俺たち真選組が宛がわれたわけだが、正直この人の多さには参っている。ある一角の警備を任せていたはずの総悟も早々に帰ってきて、今は高台から人間観察なんてことをやっていた。早く持ち場に戻れと言っても、あともうちょっとと言って言うことを聞かないからもう好きなようにさせている。

 「だいたい花火大会に、なんで人を見てなきゃいけねェんですかィ」というのが総悟の持論だ。
 気持ちも分からなくはないが、仕事として割りきれというには総悟はまだ子どもすぎた。

(なんて、なんだかんだ言って俺も甘いよな)

 ぼんやりと、ひとりごちた。頭があまり働かないのは、つい先ほどまでやれ警護だ検挙だ書類だと頭も体も働き詰めだったからだ。この仕事が終われば一息つけると言っても、溜まった疲れは隠しようがない。
 再度重く煙を吐けば、双眼鏡を真似た仕草をそのままに総悟がクイッとこっちを向いた。
 大きな空色の瞳が手で象った筒の向こう側に見えて、透き通った瞳に不覚にも一瞬息も声も詰まってしまう。

「な、なんだよ」
「いえ、今にも過労死で死にそうだなあと思いやして。歳なんですから無理しないほうがいいですぜ。80歳の土方さん」
「80歳じゃねえよッ!昔に劣らず今もビンビンだっつーの!ったく…お前のそれは心配してんのか茶化してんのか分かんねえよ」

 勿論からかってんでさァと総悟は何食わぬ顔で言ってケラケラと笑った。そうだよなあと息をつく。
 総悟に常識は通用しない。そんなの嫌というほど知っている。けれどなんというか、疲れた体を引き摺っている今はツッコミを返すのも億劫だった。ため息ひとつ落とせば、それに合わせるように筒の向こうので青色がぱちりと音を立てて瞬く。そして何が面白いのか、ふと口角を釣り上げた。

「ンだよ」
「いーえ、別になんでもありやせーん。ただ土方さんは不器用だなあと思っただけでさァ」
「はあ? 何が」

 俺は心底分からないという顔をしていたのだろう、総悟は笑みを深くして可笑しそうに喉を鳴らす。

「ちょっとは他に手を回せってことですよ。土方さんは無駄に器用だから、出来るモンは全部自分でやっちまう。けどそれで疲れてたんじゃァただのアホでィ」
「…仕方ねえだろ。やれることは全部見える範囲でやっておきたいタチなんだから」
「だから不器用って言ってるんでさァ。器用貧乏とも言いやす」

 手を筒にしてこっちを見て、ね?と首を傾げる仕草が妙に幼かった。的を射ているだけに反論出来ず、だんまりを決め込んで居心地悪そうに俺は頭を掻いた。
 そうして俺は、逆上せるようにだんだんと気恥ずかしくなってくる。
 コイツはこれでも疲れている俺を心配してくれているのだろう。素直に一言、「心配している」と言えば言いのに、遠回しな気遣いは天の邪鬼の沖田らしかった。
 けれど隠されているだけに、それに触れるとストレートに言われるよりも温かくて気恥しくてグッとくる。

 悟られないように咳払いをした。視線を転じる。けれどどうしても、目の端に想い人の姿を捕えてしまう。最早長年の癖の様なものになっているのは俺だけの秘密だ。
 小さな子どもをそのまま大きくしたような容姿は、時たま俺を武州の記憶へと迷い込ませる。男にしては細い体だが、これでも真選組随一の使い手だ。そんじょそこらの剣客では敵わない。
 けれどひとたび抱き締めればその体がすっぽりとこの腕の中に収まるということを、一体誰が知っているというのだろう。愚問である。俺だけだ。堪らず生まれてくる優越感と照れくささ。

 それに頭を掻いて誤魔化していると、いきなりピューっと空を裂く音が聞こえた。釣られて空を見上げと、ドォンと地面を揺るがして、空一面の大輪が夜空に咲き誇る。美しさに一瞬息を忘れた。
 一瞬きの輝きは人々を魅了して、しかし何も惜しむことなく空に溶けていく。それを引き金に待ちに待った花火が次々と夜空に打ち上げられていく。
 輝きに俺はしばらく見入っていた。同じく隣で空を見上げていた総悟が、ふと言葉を漏らす。

「そういやガキの時、俺ァ大きくなったら花火に近付けると思ってたんでさァ」

 視線を向けるが沖田は夜空に咲く花火だけを見ていた。何かを掴むように、不意に空に向かって片手を伸ばすと再度口を開く。

「背が伸びて手を伸ばせば花火に触れられると思ってたんですよ、俺」
「また子どもらしいかわいい考えだな」
「でしょ。でもこうやってデカくなっても全然ダメでさァ」
「そりゃそうだ。逆に届いたら化け物だな」
「違いねェ」

 そう言って総悟がははっと笑う。あまり口には出さないけれど誰よりもいとおしいと思っている彼の顔を、音を立てて弾けた花火が照らしていた。
 花火よりその顔を見ていると、ふいに総悟がこっちを見て、笑みを浮かべたままふわりと口元を緩めた。

「けど花火は遠いまんまでしたけど、土方さんとは近くなりやしたよ」

 だって手を伸ばせば、今はアンタの顔に触れられる。


(―ああ―――)

 気付けば、俺は伸ばされた総悟の手ごとその体を強く抱き締めていた。
 息が出来ないほど懐に抱え込むが、総悟は身動きせず大人しく腕の中に収まっている。
 そろりと両手が俺の背中に回って抱き締め返してくれた。伝わる温かさと腕の強さに、思わず口元が緩む。

 嗚呼。嗚呼どうしてこれほど愛しく思えるのだろう。
 ふと零れた熱や言葉に触れる度、幾度となくこれが想いの丈の最大だと感じてきたのに、新たな温もりに接するとそれは簡単に越えていってしまう。
 想いに限りはない。
 この腕の中の存在がそんなことを教えてくれる。

 髪に頬を寄せてから総悟を見ると、青色もこっちを見た。
 空に花火が上がる。総悟の青色の目に花火が映つり込んでいる。まるで昼間に咲く花のようで、青空をバックにキラキラと光り輝いていた。その美しさに目を閉じて顔を寄せる。
 最初は軽く口付けてだんだんと深くする。求め合い、分け与えるように唾液と息を絡ませる俺たちを尻目に花火が次々と咲き誇る。
 まるで祝福のようだ。
 額をひっ付けて顔を覗きこめば、照れくさくて笑えてくる。それは向こうも同じで、夏の夜に俺たちは柄にもなく笑い合う。
 全てをかなぐり捨てて今は幸せだと思えた。
 そんな青臭いことを考えた夏の夜に、満開の花が咲き誇る。