「総悟ッ!!」
朝の屯所に怒声が響き渡る。
ビリリッと空気を震わせて、けれど日常茶飯事なそれは平和の象徴でもあり、あーまたやってるよーと隊士たちは気に止めることもなく味噌汁を啜る。
今日も平和である。
当人たちを覗けば、であるが。
さてその当人たちであるが、怒鳴る土方の声を聞き、元凶たる沖田はにししとほくそ笑んだ。
今頃青筋を立てているに違いないザマーミロと舌を出すと目を細める。
こっちはちゃんと仕事をしているっていうのに何かと言えば始末書だとか言うから、一泡吹かせてやったのだ。
今頃悲惨な姿になったマヨネーズを目の当たりにして卒倒寸前に違いねェ。やーいやーい。
ルンルン気分で総悟は歩き出した。すると突然襟首を掴まれてぐえっと変な声が出る。
見上げれば案の定鬼の形相をした土方の姿があり、あははーと総悟は棒読みで笑った。
「いやーこんなところで会うなんて奇遇ですねェ。何年ぶりでしたっけ。いや何十年ぶり? 何百年ぶり? ありゃ、前に会ったのは前世でしたっけ?」
「何訳分かンねーこと言ってやがんだ。俺のマヨを犬の餌なんかにしやがって…!」
「腹を空かせた犬っコロが居たんで飯にマヨ掛けてやっただけでさァ。全然食いやせんでしたけど」
犬命救助、犬命救助と意味不明な単語を繰り返している子どもの頭をポカリと叩き、土方は深いため息をついた。
本当に、このクソガキには手を焼く。
もう18だというのに周りが甘やかしたからかいつまで経っても落ち着きがないというのが土方の悩みの種だった。
(近藤さんめ)
心の中でニコニコと笑う親友の姿を思い浮かべてこの有り様を見やがれと罵る。
自分だってその元凶のひとりだということに気付かない土方である。
襟を掴まれたまま、総悟。
「土方さーん。いい加減離してくれやせんかねィ。これじゃあ猫でさァ」
「猫のほうがまだ可愛げあるぜ」
ポイッと総悟を放り出す。トトトとたたらを踏んだ総悟はクルリと振り返ると、無表情のまま土方を指差して言った。
「土方さん。気付いてねェんですかィ?」
「あ? 何が?」
「分からねェならいいんですけど、他の隊士に会う前に鏡を見ることをオススメしまさァ」
おいどういう意味だと問う前に総悟はピュンッと居なくなった。
その後首を傾げながら洗面所に向かった土方は、歌舞伎のように顔中に落書きされていたことを知って総悟ォォォォオォと又もや怒鳴り声を上げることになる。
「ったく、冗談じゃねえよ。画用紙みたいに人の顔に落書きしやがって」
「あーそう。よかったねー女だったらお嫁に行けなかったもんねー」
「消えたからいいものの、落ちなかったらどう落とし前付けるつもりだよ」
「そうだよねー目付きが悪い上に黒いペイントなんてされたら誰も嫁に来ないもんねー。まあ俺はテメーがテメーである以上女でも男でもゴメンだけど」
定食屋のカウンターで横に並び飯を食らう。言葉を交わしているということは知り合いなのだろうが、しかしこのふたり会話が成立していない。
坂田の隣をひとつ飛ばして焼き鮭定食を食べていた男はチラチラと見ながら「独り言か?」と気にしていたが、「あ゛? 俺だってお前とは願い下げだ」と土方がご飯にマヨを掛けながら言ったことで知り合いだと知りついでにマヨの量に気持ち悪くなって視線を逸らす。
良いのか悪いのかマヨにある程度耐性が付いてしまった坂田は「なんだ聞いてたの」とやる気のない目をしてご飯を咀嚼してゴクンと飲み込んだ。
「っつーか俺的にテメーと肩を並べて飯を食うとかマジありえないんですけどー」
「そりゃあこっちの台詞だ。席が埋まってなきゃ誰がテメーの隣なんか好んで座るか」
「じゃあ店を変えりゃ良かったじゃん」
「なんで俺が店を変えなきゃいけねぇんだ。両隣が空いているんだからテメーがどっちかに寄りゃいいんだ」
「銀さんが先に居たんだから多串くんが出ていくべきですー」
「「…………」」
そこでふと言葉を切って数秒無言で睨み合い、視線を戻すとふたりはまたと黙々と飯を食べ始めた。
綺麗に平らげ同じタイミングでチャリンとお代を置くと、同じタイミングで「ごっそーさん」と言葉を投げる。
そこでまた睨み合いハモんじゃねえ!と言った言葉がハモっている。
「っつかなんで同じ帰り道なの? 何? 嫌がらせ?」
「うるせぇな。こっちに用事があるんだよ」
定食屋を出て歩きながらも喧嘩する。仲が良いやら悪いやら。
平日の昼間。目が死んでいる銀髪の男と目付きの悪い黒髪の男が肩を並べて歩く脇を、無邪気に子どもが駆けていく。
それを何気無く見た坂田は何気無く先ほどの会話を思い出し、土方に問うた。
「さっきの話だけど、黒ペイントの犯人は沖田くんだろ? ヤバいねーセンスあるねーでもどうせならパイでも投げつけて白粉にしたらって言っといて」
「喧嘩なら買うぞコラ。総悟以外にンな餓鬼っぽいことやる奴なんかいねえよ」
(あーあ)
全くもって、その声色から怒りを感じられない。寧ろ仕方ないなーっていう妥協感の方が強くて坂田は軽く肩を竦める。
結局この男は、なんだかんだ言いながら沖田に甘いのだ。
なのに全く自覚がない男はそれでも沖田のことを誰かに言いたいようでわざとらしくため息を付いて続けた。
「冗談じゃねぇよ。書類だって溜ってるっつーのに次から次へと厄介事ばっか増やしやがって誰が後始末すると思ってンだ。近藤さんも近藤さんで何も言やしねえし最近じゃ一番隊の奴らも総悟の庇護に回りやがってどうしようもねぇ奴ばっかり増えやがる。ったくあんなクソ餓鬼の何が良いんだか。先週は猫で昨日は犬を連れてきて屯所の庭で遊び出すし仕事だっつーのにバックれて昼寝しやがるし怒鳴る前に呆れるわ」
「あーそー」
生返事である。構わない。
「ああもう本当に手が負えねえぜ。廃品回収があったら出したいぐらいだ。図体ばっかり大きくなりやがって頭が全然追いついてねえんだよ。物の考え方が足りねえっていうか、いつも馬鹿ばっかやりやがって。ほんと俺が居なきゃ逆に器物破損の現行犯で逮捕どころかお尋ね者だぜ? 真選組がなきゃどうなっていたことだか。昔っからうろちょろして落ち着かねえ。危なっかしくて気になっちまうと仕事も進まねえのに余計なことばっかやりやがるからいい迷惑だ。それから、」
「え? 何新発売なの? それならよろずや銀ちゃんにお任せしなさい。もう顔が広いからいろんな人に商品の良さを宣伝しとくから。とりあえず定春とかに」
ぐちぐちといつまでも喋り続ける土方を放って坂田は街頭で配っている新商品の飴をみっつも貰うとそのひとつを賞味しながら「つーかさー」と一応言葉を返した。
「そんなに気になって仕事が出来ねえんだったら、沖田くんちょっと貸してくれない? 俺さー明日仕事が入ってるんだけど新八が風邪ひいちまって人手が足りねーの」
カリッと飴を噛んで両手を頭の後ろで組んだ坂田は「おーこれで一見落着ー」と気楽な声を青空に投げた。
「沖田くんを貸してくれたら人手が足りて俺は大助かりだし、多串くんも気兼ねなく仕事に集中出来るわけだ。利害一致でいい考え」
「……………」
坂田の言葉に言葉を止めて思案顔だったが、ふと傍の子どもが「あ!」と赤い風船を空に上げそれを視線で追い、映した空の青さに眩しげに眼を眇め土方がふと笑う。
手が掛ってどうしようもなくて悪さばっかりするクソ餓鬼。
「冗談じゃねえよ」
まあそれでも。
「勿体ないからテメーには貸してやんねー」
こっちを向いてにやりと笑った土方は、どこか機嫌良さそうに別の方向へと歩いていった。
土方の言葉やこれまでの言動を頭の中でリフレインさせてその背を見ていた坂田は、あーあとぼりぼりと頭を掻いてから疲れたようなため息をついた。
機嫌が悪いのかと思えば、なんだ、アレってただの