しましょう


 暑い夏の夜がどこか涼しく感じられると、文机に向かいながら土方は思っていた。
 それは駄菓子屋の婆ちゃんに貰ったと総悟が勝手に取り付けた風鈴の音のせいか、それとも庭に置いた笹の葉音のせいか、どちらにせよどちらにも背を向けている土方には耳に届く音しか分からない。
 チリンと風鈴が鳴き笹の葉が囁く。静かで平和だ。すらすらと筆を滑らせる土方の手は順調に進む。

 スコーン

「………」

 が、平和を守るどころか自らが率先して破壊をしている(悪気はない筈)人間が居るかぎり静かな日常など遠い話だ。
 景気のいい音を立てて頭に当たった紙くずが机の上にコロコロと転がる。
 土方は動きを止めて目の前で止まった紙くずを無言で見下ろした。
 ぐしゃぐしゃに丸まったそれを開いていくと大きな字で汚く『7月7日 休暇願い』と書かれている。誰が書いたなんて問うまでもない。見飽きた字を見つめること数秒、ぐしゃりと紙を丸めるとそれを後ろ手で投げる。

「あー! 酷ェ!」

 途端に飛んでくる声には知らん顔だ。
 開けた障子から総悟が顔を出す。
 総悟は投げられた紙を拾うと後ろを向かない土方にぷーと頬を膨らました。

「酷ェや土方さん。俺のささやかな願いを丸めるなんて」
「何がささやかな願いだ。誕生日はちゃんと休みにしてるじゃねえか。2連休なんてやれるか」

(だって明後日はアンタが休みじゃねェじゃん)

 口を開いて声を発しかけ、やめる。手の中のぐしゃぐしゃに丸められた紙を見つめてまた拗ねた。

「土方さんってロマンチストのくせにたまに人間性を忘れるぐらいに鈍感ですよねィ」
「は?」
「明日は七夕ですぜィ。織姫と彦星の逢瀬の日ぐらい休ませなせェ。明日は晴れるって天気予報で言ってやした」
「それがお前となんの関係があるって言うんだよ。どうせ昼寝が出来るとかっていう理由だろ」

 恋人に鈍感と言われてさすがに振り向いた土方ではあるが、総悟の口から出てきた言葉にどっと脱力した。
 梅雨がまだ去らない昨今、雨ばかりが続いていたが折りし漸く明日は梅雨休みとなったらしい。久しぶりに晴れて外で昼寝が出来るから休みが欲しいだけだろと土方はぼりぼりと頭を掻いた。

(っつかいっつもサボってんだから休暇願いなんて出す意味ねぇだろ)

 しかも明日、わざわざ久しぶりに取れた休みの日にそんな頭が痛くなるものを出しやがって。これじゃ「明日はサボります」と公言しているようなものである。
 土方はため息をついた。

「俺にお前を探せってか。ンなことしてるほど暇じゃねーの」
「何言ってんでィ。誰も昼寝するなんて言ってねェよ」

 総悟はまだ拗ねている。
 ムッとしながら部屋の入り口に立っている総悟を見上げて、土方は少し首を傾げた。

「じゃあ何するんだよ」
「誰かさんが休みなんで俺も休んでたまにはどっか一緒に行ってもいいかなァと思いやして」
「え?」

 風鈴がチリンと鳴く。そよそよと風に揺られ笹がしなやかな音を立てた。男所帯に似合って大雑把に飾り付けられた短冊や折り紙の飾りが夜風に踊る。
 土方はぽかんとしていた。
 総悟を見上げたまま動きどころか息も止めていた。
 それって俺と出掛けたいってことか? なんて初な少年でもないだろうに総悟の言葉が身の内で木霊する度に胸が熱くなる。
 総悟は静かに土方を見下ろしていたが、目を細めてにやっと笑みを浮かべると首を傾げた。夕方から綺麗に晴れた日だった。無数の星が輝いた夜空に照らされた笑顔は土方を捕えて離さない。

「織姫と彦星が1年に1回会うんですから俺たちが会ったって誰も文句を言わねェでしょ」

 生意気で捻くれていて素直に甘えられないのにどこか健気で可愛らしい。
 最近の仕事生活を思い出しながら土方は俯いて苦笑した。

「ばーか」

 込み上げてくるいとおしさがこしょばゆい。

「俺たちは1年に1回どころか1日に何回だって会えるんだ。七夕だけに限定するんじゃねえよ」

 1年に1回の逢瀬なんてこっちがたまらない。
 土方は立ち上がり総悟に近付くと、腰に手を回し空色と視線を絡ませキスをした。目を閉じて素直に受ける総悟の柔らかい髪を優しく梳く。
 胸の中に抱き込むとにししと総悟が笑った。
 土方の手に1度は投げ捨てられた紙くずをもう1度握らせる。総悟が顔を上げて本人は自覚がないだろうが目を妙にキラキラとさせて言った。

「今度はもう捨てられないでしょ」
「お前こういう取引は変に頭が働くよな」
「誰かさんが単純なんでさァ」

 ゴロゴロと機嫌良さそうに笑う子猫に反論する言葉を持ち合わせていないのが非常に残念だ。
 無言は肯定と黙認で、職権乱用だなと土方は苦笑しつつ、もうこの手の中の汚い休暇届けを受理するしかない。
 仕方がない。そんな気持ちになってくる。
 隣に総悟が居る七夕の休暇しかもう思い描けなくなってしまった。
 仕方がないんだと自分に言い訳しつつ、七夕の日を誰よりも楽しみにしている自分がいる。
 抱きしめると暑い夏だというのにひっついている暑さも気にならず、むしろ両手の中にある存在が何より大切に思えてくる。

「土方さん」

 腕の中で総悟が言った。離すのはなんだか勿体なくて抱きしめたまま耳を傾ける。

「織姫と彦星は年に年に1回の逢瀬ですぜ」
「知ってる」
「だから次の日になる一瞬までも一緒に居なきゃいけねェんでさァ」

(本当にテメーは)

 意地っ張りで地球上最強なドSで手に負えなくて振り回されてああもうこいつの言葉だけで俺は地獄も天国も味わえる。
 七夕の次の日がなんの日か忘れるわけがない。昔から特別な日なのだ。次の日になる一瞬まで一緒なんて、殊勝なことを言いやがって。

「知ってる。なんの為に死に物狂いで明日を休みにしたと思ってんだよ」
「へ?」

 きょとんと顔を上げた総悟を見下ろしてちょっと自分で苦笑い。丸い空色の目、まだあどけなさを残した子どもに必死な自分が可笑しく思えた。
 空色を覗き込んだままさらりと髪を撫でる。
 吸い込まれそうな空色の瞳。
 もう手放せない。

「織姫と彦星に例えるなって言っただろ。日付が変わる一瞬どころかずっと一緒に居てやるよ」

 空色を覗き込んだままさらりと髪を撫でると、すぐに理解出来なかった総悟がきょとんと瞳をひとつふたつ瞬かせ、やがて恥ずかしそうに笑った。
 気障野郎と口では言いつつも照れた笑顔は嬉しそうだ。そんな総悟を見て土方も自然と笑みを浮かべる。

 どちらともなくキスをした。星が瞬く。さあ明日は何をしようか。次の日はどうする。
 七夕になった瞬間織姫や彦星よりも早く抱き会い、七夕が終わると同時に誰よりも早く祝いの言葉を送ろう。

「総悟、好きだ」

 キミの存在でこんなにも日常が輝く。