「天と地が入れ換わる」なんて例えはあってもそれは絶対にあり得ないことで、同じようにこれも生涯起こり得ないことだと思っていた。
 鏡で見慣れた俺が鏡のない場所で俺の目の前に居る。ぱちぱちと目を瞬ききょとんとしている様はどこかアホっぽいが、それを口にすればそのまま自分に跳ね返ってくる気がして言うに言えない状態。だから言葉を変えて「そんな顔するんじゃねえよ」って言えば、眉を寄せてそっちこそと俺の声と口でソイツが言う。
 未だにピンと来ない状況に俺の頭は行ったり来たりを繰り返している。
 何度見ても目の前に居るのは俺だ。これならまだ幽体離脱だと言われたほうがピンとくるが右手を上げれば俺の意思で右手が上がって、口を開ければしっかりと口が開く。俺の意思で動く体はあるけれど、これは俺の体じゃない。

「なあ総悟」
「へィ」
「これって夢じゃないよな」
「アンタの頭をかち割ってみれば分かるんじゃねェですかィ? ほら、ちょうどここに手頃な灰皿が」
「やめろ、割れるのはお前の頭だ」
「あ、そっか」

 いつも聞いている言葉が俺の口から出てくる光景は、やっぱり何度見ても見慣れない。
 つまり、あろうことか俺と総悟は諸事情諸々により中身が入れ換わってしまったのだ。俺がお前でお前が俺で、を地でいってしまったのである。


俺がお前でお前が



 俺と総悟の中身が入れ換わったという状況になって最初は驚きっぱなしだったが、時間が経って落ち着けば結局やることは変わらない。
 見える風景がいつもより低いが書類の文字を眺めるのに不便はない。書く字は意識だけではどうにもいかないのかいつもより歪で何度試しても上手くかけなかった。が、作業を確認と押印だけに限定すれば問題はない。
 俺と総悟の中身が入れ換わったという事実に、近藤さんは謹慎という言葉を俺と総悟に言い渡した。つまり屯所から出るなということだ。体は動かせても意識とズレがあれば刀は振るえない。今のお前たちが外に出るのは危険だと。
 そもそもこうなったのは捕物で飛び込んだ時に変な煙を浴びちまったからで、調べてみれば効果は12時間ほどらしい。戻れると分かればそう騒ぐほどでもない。
 だから俺はいつも通り部屋にこもって書類を片づけていた。事務処理がたまっていたからちょうどいい機会だ。総悟も屯所で大人しくしているとなると変に気を揉まずに安心して仕事が出来る。
 その筈だったのだが…。

「悪い! どうしても人手が足りなくてなっ!」

 パンッと近藤さんが手を合わせて頭を下げた。ちょっとした騒ぎがあってそっちに人員を回すから、警羅の人手が足りないらしい。きょとんと俺たちは顔を見合わせた。

「派手な喧嘩があったんだろ。なら仕方ねえじゃねーか。予定通りに動けない日だってある」
「そうでさァ。近藤さんのせいじゃありやせんし、ちょうど暇してたところでさァ。ちょっくら外に出て土方さんに団子でも奢ってもらいやす」
「テメェ」
「そうか。そう言ってくれると助かる」

 気を付けて行って来るんだぞ。攘夷の連中と会っても戦うんじゃねぇぞ。近藤さんはそう言って笑顔で笑う。
 そしていきなり大きな手が俺へと伸びてきたかと思うとわしゃわしゃと頭を撫でられた。びっくりして目を瞑る。
 ああコレ、近藤さんがいつも総悟にやるやつだ。実際やられるとこんなかんじなのかと、俺はされるがままだ。近藤さんの手は大きくて不器用で乱暴にぐしゃぐしゃって撫でているのかと思っていたが、実際やられるとそれが逆に近藤さんらしくて落ち着く。いつも総悟が黙って受けていたが、なるほど、こういう気持ちだったのか。

「近藤さん、無意識に間違ってるんだろうけど俺総悟じゃねえから」
「あ、そっか! こっちはトシか! いやーついいつもの癖で」

 がはははと大きく口を開けて笑う近藤さんは全く気付いていないが、俺の隣からどことなく不穏な空気がする。ちらりと窺えばむすっと不貞腐れている俺の顔があった。途端俺は嬉々とする。そうだ、いつも俺がどんな気持ちでこの光景を見ていたか思い知れ。
 拳を握って、総悟。

「土方さんばっかりずるいでさァ! 近藤さん! 俺の頭も撫でてくだせェ!」
「ってそっちかよ!!」

 嗚呼俺ってほんと報われない。




 警羅といっても日常的に何か事件があるわけでもない。基本的には平和で、そのほとんどが見回りという名の散歩に近い日もある。

(だからってなんだかな)

 見回りを始めて暫く経って、それは起こった。
 店先の椅子に座って団子を食べている俺の視線の先で妙な固まりがひとつある。色とりどりの着物を纏った女たちが輪になってそれを取り囲んでキャーキャーと高い声を上げている、そんな光景を俺は見ていた。
 中心に居るそれは俺の姿をした総悟で、まあ運悪く団体に捕まったってわけだ。
 始め総悟は多分俺のイメージを落とそうと、取り囲んだ女たちに向けて冷めた視線と声で「退けよ、メス豚」と爆弾を投下した。全くもって真選組の口から出てはならない発言である。
 普段ならそれで女たちが引いて終わっただろうが(俺のイメージもともに)、運が悪かったのはその先、それ良いわもっと罵って、と言う強者が居たことだ。ぐいぐいと攻められて、さすがの総悟もたじたじである。アイツは押しに弱い。
 その女に便乗して他の女共も私も私もと再度群がり、今じゃ総悟は女たちの輪の中で焦っている始末だ。

 団子なんてとっくに食べ終わって俺は手持無沙汰で、串を銜えてそれを見ている。
 いつもならあの中心に居るのは俺だからあそこから抜け出すのは至難の業だって知っている。この状況も仕方ないことでやりたくてそうなったわけではないことも。
 しかし何故だろう、俺の気分は下降の一途で今では底辺を彷徨っている。おもしろくない。何をしているんだ。そんなところ早く抜け出して来い。まだ見回りだって残ってるんだ。
 状況も経緯も知っているのに気持ちが全然追いつかない。苛々する。力技でこっちに来れば良いのにそんな素振りも見せない総悟が腹立たしい。
 総悟が女に取り囲まれている光景なんてこれ以上見たくなくて、ああもうひとりで見回りを続けようかとため息をついた、そんな折だ。

「うわーラッキー! こんなところで総悟くんに会えるなんて」
「あ゛?」

 不機嫌な声を出して振り向けば、いつの間にか目の前に変な男が立っていた。どことなくトッシー臭がするソイツは息を上げてどこか興奮気味だ。っつか総悟くんってなんだよ。

「誰だテメェ」
「知ってた? 君ボクらの中じゃ結構人気なんだよぉ。可愛い顔なのにその毒舌っぷり! そのギャップがたまんないんだよね。ポイント高すぎだよぉ」
「……お前、何言ってんだ?」

 とりあえずこれが変態だということは分かった。しょっ引くのは簡単だったが、今は総悟の体で、この手でこんなヤツに触れるのが勿体なくて俺は吐き捨てるに止める。触らせてたまるかよ。
 俺今こんな目に会ってんだけどと視線で総悟に助けを求めると、未だに輪の中心から抜け出さずにいる総悟が視界に入って一気に不機嫌になった。こっちはこんな変態に絡まれているっていうのにお前は一体何やってんだよ!

 『土方さんには関係ないでさァ』
(…あ)

 ふと、心の中で何かが引っかかった。
 前に今日とおんなじようなことがあって、女に囲まれて逃げ場のなかった俺がちらりと見ると男に絡まれている総悟を見てしまった。たったそれだけのことでブチッときて固まりから抜け出して問い詰めると、総悟が不機嫌な声色で俺には関係ないと言ったのだ。
 あの時は総悟のその言葉にキレたが、総悟もあの時こんな気持ちだったのかと思うと雷にを打たれたような衝撃を受けた。
 そうか。そりゃ不機嫌にもなるか。あんな光景を見せつけられた後、やっと帰ってきたと思えば逆に怒られるんだもんな。

 総悟は感情を表に出さないから求めるのはいつも俺のほうだと勘違いしてしまう。だからこうやって総悟の想いに触れた時、年甲斐もなくギュッと胸を締め付けられる。
 むしょうに総悟の顔が見たくなった。
 総悟!と心の中で叫んで求めて振り向いた先

「ねぇ総悟くん。黙っちゃってどうしたの? ねぇ写真撮ってもいいかなあ?」
「俺の視界に入ってくんじゃねぇよこの糞野郎!!!!」

 ……総悟の口の悪さは俺の責任もあるのだろうかと、気付かなくていいことに気付いて俺は頭を抱えたくなった。




「あーもう散々な日だったなァ。俺ァなんか妙に疲れやした。一気に老けた気分でさァ」
「それはこっちの話だ。尺が違うからいつもの倍歩いた気分だぜ」
「…それは尺の違いじゃなくて土方さんの体力のなさじゃねェの。もう年なんだから引退したらどうです。ってか引退しろよ、俺が安らかに眠らせてやりやすから」
「刀仕舞え刀ッ!! お前のそれは引退じゃなくて明らかに殺しだっ!!」

 縁側に横並びで座っていると、総悟が素早く刀を抜いて、振り下ろされたそれを俺は素手で受け止める。
 あれから時間が経って夜も更けた頃、漸く俺たちは元の姿に戻った。慣れない体と違う日常に疲れ果てていた。
 いつもならもう二三度くる攻撃も今日は一度で終わり、刀を仕舞った総悟は俺に背を向けるとドカリとその場に腰を下す。

「全く冗談じゃねェや。今日一日でアンタが如何に女好きかっていうのがよく分かりやしたぜ俺ァ」
「馬鹿。今日1日俺になったんなら分かるだろ。アレは不可抗力だ。俺のせいじゃねえ。俺だって今日変な男にあったさ。総悟くんなんて呼びやがって、誰だよアイツ」
「知らね。知っててもアンタに言う義理はねェ」
「テメーな」

 青筋をピクピクとさせて振り返ったが、総悟は背を向けたままだんまりを決め込んだ。ため息をついて俺も背中を向ける。背中越しに相手の気配を感じながら、胡坐に頬杖をついて俺はちょっと考えた。

「けど1日お前になって分かった。絶対俺よりお前のほうが楽だ。書類は片づけなくていいしやたらと周りは甘いしなんか毎日が適当ってかんじがする」
「それはこっちの台詞でィ。書類はめんどくせえけど周りはへこへこ頭下げてくるし睨めば町の奴らは道開けるし何より近藤さんの近くに居られる」
「いーや、絶対お前のほうがいい」
「アンタだって」

 でも。

 でも、1日総悟になってみて総悟がどんな1日を送っているのかいろいろと分かった。確かに羨ましいと思うところもある。
 しかし分かった上でやっぱり行きつくところは同じだ。

 庭先から聞こえる虫の声は沈黙を落とした俺たちの耳によく響く。夜も更けてきてそろそろ寝ないといけないのだがどうも立ち上がる気が起きない。
 そんな時、ぴたっと背中に何かがひっついてきた。総悟の背中だ。ちょっとの距離を開けて座っていた総悟がずいずいと距離を詰めてきたのだ。
 全体重で寄りかかるんじゃなくてちょっとひっついているぐらいで、素直じゃないコイツらしいと背中を向けたままごく自然に口元が緩んでしまう。

 1日総悟になって違う角度で世界を、総悟を、俺たちを見て分かったことがある。
 いろいろ考えても行きつくところは結局同じだ。
 どうしような。
 俺はやっぱり、俺のままでお前の傍に居たい。