起きてはいるが、どうもまだ夢の世界に片足を突っ込んでいるようでぼんやりとした意識。朝飯を食っても寝ぼけた頭ではどうも飯の味さえ虚ろだ。それでも生存本能は働くようで箸と咀嚼を続ける口は止まらない。
 もぐもぐ。
 もぐもぐ。
 口を動かして白米ばかりを食べていると、真向かいの男が味噌汁を片手に眉をしかめた。

「総悟、飯ばっかり食ってねーでおかずと交互に食え」
「うるせェ。テメーは俺の母ちゃんか」

 知らねェ聞こえねェと無視を続けていたが、お説教野郎は気にも止めずグチグチと説教を続ける。
 あーもー朝からうるせェなァ。なんだってそんなことをマヨ飯を食っているこの男に言われなきゃなんねェんだ。
 腹が立ったから土方コノヤローのおかずを頂戴する。テメッ!と怒鳴られたけれど、知らぬ顔してパクンと口の中に放り投げた。

「おい総悟!人の食わねーでテメーのを食えッ」
「これは救助でさァ。マヨまみれになる前に本来の味を味わってんでィ。コイツもそれが本望に違いねェ」
「は? マヨをたっぷり掛けられるなんて幸せなことじゃねーか」
「土方さんもまだまだコイツの気持ちが分かってやせんね。アンタにとっては喜劇でもコイツにとっては悲劇でさァ。それに土方さんの言う通り俺ァ飯とおかずを交互に食ってるだけですぜ。目の前の」
「揚げ足を取るなっつーの! っつかそのドヤ顔腹立つッ」

 人の目の前でガンッと机を叩いた朝からうるさい男は、もう付き合ってられんとばかりに横に置いてあった新聞を読み始めた。
 バサリと広げて読むものだから、そうすると目の前に小さい文字がびっしりと犇めきあっていて俺は見ているだけど頭がクラクラする。
 しかしこれで防護壁が出来た。
 上機嫌で新聞で隠れた小皿のモノを取ろうと箸を伸ばした俺の目に、とある文字が飛び込んできた。

(『可能性』、…ねィ)

 挑戦的な文字を見ながら噛み付くように戦利品のじゃがいもを咀嚼する。
 頑張ってどうにかなるなら、誰も苦労なんかしない。神様に願って望みが叶うならなけなしの300円を賽銭箱に入れてもいい。

 ちくわを箸で掴んでその穴越しに目の前の男を見る。目に見えないスカウターでピピッと数値を測って内心ため息。

(300円じゃ叶わねーかも)

 だって俺の勝算、0パーセント。


100%の可能性



 本日はお日柄も良く×××。
 皆の頑張りが×××。
 今年も無事×××。
 どんな挨拶よりも全員一致で欲しい言葉はただ一言で、今か今かと大将の口からそれが零れるのを待っている様はまるで餌を前に待てを強いられた犬のよう、むさくるしい男たちが目を輝かせて近藤さんの合図を一心に待っている光景は、俺の嗜虐心も相まって面白く見える。感情に素直で非常に分かりやすい。早く、と急かす言葉が今にも犬たちから溢れ出してきそうだ。
 ふふんと口角を上げふと俺は思う。年末とはいえあの男には仕事がある筈だ。土方のヤローもとっととおっ始めて、適当に相手してさっさと部屋に戻りたいと思っているに違いない。
 アイツもコイツらみたいに近藤さんの一言を待って目を爛々に輝かせているだろうと、期待を込めて近藤さんの横に座る男を見る。そうだったら面白いのにな、って。でも視線の先の土方さんはそんな考えなんて奥尾も出さず、どっしりと真選組の副長らしく構えて座していた。

(カッコつけやがって)

 俺の想像とはいちいち違うから腹が立つ。
 ムッとした顔でいるとふいにこっちを向いた土方さんと目があって、

「乾杯!!」

 隊士たちが待ちに待った言葉がやっと近藤さんの口から飛び出して、コップを掲げた野太いたくさんの声が部屋中に響き渡った。土方さんと目があってボケッとしていた俺はその大音量にビクッと肩を震わせる。
 隊長お疲れ様ですーなんて周りの隊士たちにコップを突き出されて、お、おう、なんて俺も慌ててコップを持ち上げる。そんなことをしている間に土方さんへの視線が外れてしまって、もう一度横目でちらりと見るといろんな奴らに言葉を掛けられている土方さんしか見えなくて、その黒い目がこっちを見ることはなかった。

(残念だな)

 そんな光景を見ながらチビチビと酒を飲んでいた俺はふとそんなことを思ってしまって自分でびっくりして噎せた。
 げほげほごほごほ。隊長大丈夫ですか?!と慌てた隊士たちを手で制して、俺は手の甲で口元を押さえる。頬に酒ではない赤みが差して非常に困った。

 視線が合わなくて悄気るなんて、どこの乙女だ。
 違う違うと首を振りグイッと一気に酒を煽ると、良い飲みっぷり!と周りのヤツらが次々と酒を継ぎ足すからわんこそばよろしく片っ端から酒を飲んで俺はそんな感情も顔の赤みも誤魔化す。

 人はこれをやけ酒という。




 忘年会もドンチャン騒ぎで進み、みんなそこそこに酒も入って大いに盛り上がっている。いろんなところから笑い声が沸き起こって、飲んで笑って叫んで大賑わい。
 そんな空気に溶け込まず机に突っ伏してへばっている屍は、俺である。
 最初からピッチを上げたおかげでもう既にノックダウンだ。情けない、誰もが怖れる一番隊隊長の俺がウーと唸って机と仲良しこよしなんて。
 酒に強いと思われがちな俺だが、実はそんなに強くなくてすぐに眠たくなっちまう。顔を傾けると、視線の先に気の効いた山崎が置いていったコップがあった。中に水が入っていて、グラスの凹凸に歪んだ自分の顔が映っている。はぁと零したため息は思いのほか他重たく、とりとめのない思考回路が頭の中で渦を巻く。

 また、一年が終わってしまった。何があったと聞かれたらそれなりにいろんなことがあったようで、コレといった大きな変化はなかった一年だった。
 俺は可哀想な子だ。急に根付いた感情のおかげで、去年も今年も不毛な想いを抱いてあれこれとない期待を勝手に描いて裏切られてしょ気て、在りもしない可能性に掛けている。

(笑っちまうよなァ)

 俺が土方さんを好きだなんて。
 男が男に、なんて、なんて不毛な。

 再度自覚してまたため息を吐く。
 今同じ空間に土方さんも居るのかと思うと急に息苦しくなって、逃げるように俺は立ち上がった。隊長どうしたんですか? と尋ねてくる隊士に一言「酔っちまったから抜ける」とだけ告げて、そっと誰にも見とがめられないように大広間を去る。
 大広間を出た途端、最近急に冷たくなった冬の風がびゅっと吹いて思わず身震いをする。風も夜も空気も床板も冷たくて、世界も俺には冷たいだなんてつい恨めしく思ってしまう。

 しかし火照った体に冷たい風は心地よい。部屋へと戻る最中、俺は足を投げ出して縁側へと腰を下した。風に目を細める。考え事をするにはちょうどいいと思ったんだ。


 土方さんを好きだと自覚したのは、おおよそ2年前。前触れもなく唐突に自覚したこの感情が、俺は信じられなかった。自分を納得される理由を探したが見つからない。それさえ分かれば俺はどうにかこの気持ちとおさらばする事が出来たのだろうけれど、その根は理屈で説明できるところを過ぎていて、気付いた時には深いところまで落ちていた。
 叶わない想いながらも捨てきれない。土方さんに好きな人が出来れば諦め切れると思いながらも、もし本当にそうなったことを考えるだけで辛くもなる。
 可能性は限りなく0パーセントで、こんな爆弾を抱えながら一年が終わり、また新たに一年を迎える。
 酔っているからだろう、グダグダと余計なことばかり考えて、少しの感傷に浸りながらも新しい気持ちで迎えるはずの一年がひどく憂鬱で仕方がなかった。遣る瀬無さにひとつ、はぁとため息を吐けば、

「こんな寒いところで何やってんだ」

 聞き慣れた声が降ってくる。
 待ち望んでいたようで、一番聞きたくない声に、赤くなっているのは酒のせいと決め込んで背後に立つ土方さんを見上げた。

「俺がこんなに悩むのも土方さんのせいでさァ」
「は? なんだそりゃ。どうせまた俺をどうやって陥れようかとか考えているんだろ」

 土方さんは勝手に勘違いをして、年末ぐらい大人しくしてろよなんて言ってそのまま納得したようだった。そうですねィ、俺もそんなことばっかり考えていられれば楽だったのに。

 ムスッとしたのが顔に出ていたのか、反論しない俺を見て土方さんは不思議そうな顔をする。そして早くどっか行けと言う俺の期待を裏切って、あろうことか俺の隣に腰かけた。

「何アンタも座ってんだコノヤロー」
「別にいいだろ。俺も酔い醒ましだ」

 ああ、なんでこんな悶々とした時にアンタが隣に居るんだ。

 俺の頭の中はグルグル回っている。なんだか少し息苦しくて、どうにか楽になりたくて、俺はこんなことを口から吐きだした。

「土方さん。俺、好きな人が居るんですよ」

 ギョッとした土方さんがこっちを見るから、絶対に俺は視線を合せなかった。投げ出していた足を抱えて、両膝の上に顎を置くとにししと笑う。

「どうでィ。驚きやしたか?」
「…まあ、突然だったしな」

 土方さんはおもむろに煙草を取り出してライターで火をつけようとする。けれど何度か失敗してカチッカチッと無機質な音が夜風に響いた。漂ってきた煙草のにおいに、ああ土方さんだなァって思ってみたり。

「で?」
「…でって?」
「お前どうしたいわけ? 告白するのか?」
「さァ。しないとおもいやすよ」
「なんで?」
「可能性がないから」

 薄く笑って答える俺を不憫に思ったのか、土方さんが口を開いて何かを言いかけて、けれど歯痒そうに口を閉じると前髪を強く握る。どこか押し殺した声で言った。

「相手が誰か聞いても、教えてくんねーんだろ」
「秘密でさァ」

 アンタだよ、なんて言葉、死んだって言えやしない。
 はぁと、隣に座っている土方さんが大きなため息をついた。

「聞くんじゃなかった。酒の酔いなんて吹っ飛んじまった」
「そんなに衝撃的でしたか?」

 土方さんはどうやら酔っているようだった。チラリと土方さんを見ると、普段なら絶対言わないような言葉を真面目な顔をして真っすぐと俺の目を見て言ってくるもんだから、俺は目が離せなくなって、

「当たり前だろ。大切にしていたモノを横から掻っ攫っちまわれるんだからな」

 言われた言葉がすぐに飲み込めない。目を開いて言われた言葉を反芻する。俺にじっと見られて居たたまれなくなったのか、今更自分の言葉に恥ずかしくなったのか、土方さんは煙を吐いて片手で顔を覆うと、とにかくとどこかヤケクソ気味に呟いた。

「告白する前でもした後でもいいから、どこのだれか俺に教えろ」
「な、なんで土方さんに言わなきゃなんねェんでィ」
「どこのどいつに取られるか知らねーと、俺が報われねえ」

 報われるって、何の話だ?

 目をパチパチと瞬かせる。土方さんがじっとこっちを見るもんだから、その黒い瞳に吸い込まれそうになって変な気分になってきた。
 俺をじっと見ていた土方さんは、ふっと諦めたような息を吐くと突然手を伸ばしてその手で俺の頭をくしゃくしゃに掻き混ぜる。

「何しやがんでィ!」
「まあ相談ならいつでも乗ってやる。悔しいけどな」

 土方さんが笑って腰を上げる。ぐちゃぐちゃになった髪を手櫛で直していると、ふわりと何かが肩に掛けられた。見やるとそれは土方さんの上掛けで、立った土方さんを追うように目線を上げると土方さんが苦笑する。

「そんな顔で見るな」
「へ?」
「体を冷やして風邪をひくなよ」

 優しい言葉を吐いてさびしげに笑った顔が月夜に照らされてどこか幻想的だった。俺が何か言う前に土方さんは踵を返すと角を曲って行ってしまう。

 土方さんの言葉とか、表情だとかいろんなことを思い返す俺の耳に、何処か遠くで響くみんなの騒ぎ声が聞こえる。切り取られた俺の空間は、土方さんが居なくなったことで急に静かになった。

「なんでィ。優しくするんじゃねェよ」

 目つきが悪くて冷たい印象があるけれど土方さんは優しいから、つい期待してしまう。もしかしたら可能性があるんじゃないかって望みを持ってしまう。
 優しいけれど残酷で、ああでも惚れた弱みだ、嬉しくも思ってしまって俺の中はぐちゃぐちゃだ。肩に掛けられた上掛けをギュッと握って火照った耳を冷ますように夜風の中に身を晒す。

 土方さんは知らない。俺がどんだけアンタの事が好きかなんて。アンタにこんな感情を抱いているかなんて。

「俺は土方さんの事が好きなのに」

 俺は知らない。上掛けのポケットに煙草が入っていて、それを取りに戻ってきた土方さんが曲がり角に居て俺の言葉を聞いて顔を赤くして棒立ちしているなんて、

「土方のバカヤロー」

 俺は知る由もなかった。