になる


 春の兆しが降り注ぐ屯所の廊下に、ふたつの足音が響く。
 ギシギシと床板の軋む音が聞こえれば、それと同じスピードで、後ろからギシギシと床板を踏み鳴らす音がする。
 けれど追いついてくる様子もなければ、声を掛けてくるわけでもない。
 猫背気味に歩いていた土方はとうとう堪えかねて後ろを振り返った。

「なに?」
「なーんも」

 土方が足を止めると同時に立ち止まって、総悟はふるふると首を振る。
 朝からずっと後を付けてきて何もないことはないだろうが沖田の突飛な行動は昔からで、不審そうな顔をしながらも土方は顔を戻して歩みを再開させる。

 ギシギシ。
 ギシギシ。

 やっぱり沖田は付いてくる。
 土方はもう1度振り返った。

「…だからなに?」
「なーんも」
「………」

 堂々巡りである。



 ここ最近見られる、土方の後を沖田が付いてくる様子は真選組の中でも噂されるほど、誰の目から見ても奇怪な光景だった。
 ハイエナのように後をひたひたと付け回し、隙を狙って襲ってくるのかと思いきや、そうでもない。ただ本当に、カルガモの雛よろしく土方の後をついてきているのだ。誰も彼もが首を捻るしかない。

 始めは何かあるのかと警戒をしていた土方も、それが続けばある程度慣れたようで、距離を置いて総悟が付いてきていると知っていても構わず巡回に出ていた。
 鼻緒が切れて困っている女を助けている土方を少し離れた場所から見ながら、総悟は茶屋で団子を頬張っている。交通整備という役割を与えられていたが、やっぱり今日も与えられた任を放り出して総悟は土方の後をついてきていた。

「あんな野郎のことずっと眺めて、何が楽しいのやら」
「はは。なーんにも楽しくなんかありやせんぜ」

 店先の椅子に座った総悟の隣で、同じように団子を頬張っていた銀時はうんざりとした声を出す。
 総悟の青い目は逸らすことなく、女に肩を貸し布を引き裂いて鼻緒を拵えている土方に向けられていて、楽しくないと言っている割には1ミリたりとも総悟の視線は土方から外れない。

「じゃあなんでアイツばっかり見て後をつけてるんだよ」

 顔も向けずに返された言葉に、銀時は当然の疑問を口にする。
 対して総悟の、うやむやにされるかと思った返事は意外にも素直なものだった。

「実は攘夷のヤロー共がウチの副長を狙っているらしくて、脅迫状が届いたんでさァ。といっても俺は偶然土方さんが読む前にその文を見つけて燃やしちまったから、知ってんのは俺だけですけど」
「ふーん。じゃあお前はアイツのボディーガードってわけ」
「まさか。借りを貸すのも借りるのも、俺もあれも望んじゃいませんよ」
「じゃあ沖田くんは子どもが心配で目が離せない〜っていう過保護すぎる母親ってわけ? 過保護は良くないと思うけどね。それにアイツの腕がそこら辺の奴に簡単に殺られるとも思わねーけど」

 土方が下駄を直すのに暫く時間が掛りそうだと判断した沖田は、固定していた視線を外すとあーんと口を開け団子を食べた。
 総悟の横顔を見ながら、殊勝なことしてんなぁと銀時が膝の上に頬杖をついてそう言えば、ごくんと団子を飲み込んで総悟はビシッと言う。

「俺はね、影なんです」
「影? なに、忍者ごっこ?」
「違ィやすよ」

 沖田が団子の串を弄ってくるくると回す。それを空に掲げて、ちょうど太陽を串刺すように重ねた。
 冬の太陽の光を受けて、澄んだ空色の瞳が一層青く輝く。

「俺たちが真っ当で綺麗なことをしているとは思わねェ。でも俺たちには俺たちの信念や考えがある。だから真選組を潰すわけにも、それを構成するのに必要な部品も、失くすわけにもいかねェ」
「その部品ってやつが、お前にとってゴリラや多串くんってわけ」
「土方さんが含まれるのは認めたくねェけど、俺が副長になるまではしっかり働いてもらわねェと」

 総悟は口元に笑みを浮かべて笑った。それは子どもという括りで囲むには大人びていて、大人というにはあどけなさが目立つ。
 総悟は子どもとも大人とも言えない年頃で、そういう不思議な雰囲気を醸し出す人間だった。本心は身の内に隠して飄々としているが、厚い壁を崩してみるとそこにあるのは誰にも曲げられない太くて強い想いがあって、この子どもはそれを曝け出すのを嫌う。
 けれど信頼しているのか、銀時にはそれを少しだけ見せてくれる。真選組が大切なのだと沖田は言う。

「俺にはあそこを守る力も覚悟もある。旦那が言う通り、あの人が奇襲にあったって簡単に殺られるとはこれっぽっちも思ってねェ。けど知ったからには知らないフリは出来やせん。俺は真選組の影です。本体に危険が迫る前にそれを排除する」

 それが俺の役目なんです。
 団子の串を振って、まるで「完璧でしょ」と歌いだしそうなほど、なんてことはないように沖田が言う。
 いつも通りのやる気のなさそうな目で総悟を見ながら話を聞いていた銀時は、温かい中に居ながらも誰にも頼らずひとりで立つその子どもが妙に危なっかしく見えた。沖田ぐらいの年頃だった自分や新八、神楽を思い出す。まだまだ甘えても許される歳だ。そして沖田には手を伸ばせば甘やかせてくれる人間が大勢いる。それなのにこの子どもは自分をぞんざいに扱う。
 その言葉を言いかえるなら、影とはすなわち、

「沖田くんが犠牲になる必要があるの?」
「犠牲?」

 堪らず問えば、総悟はきょとんとした顔で銀時を見た。それからけらけらと今にも腹を抱えて転び出しそうな勢いで笑う。おかしくておかしくて仕方がないといった様子だ。

「旦那はおかしなことを言いやすねィ。これのどこが犠牲なんです?」
「だってそうだろ。真選組の為に影になって危険を排除する。立派な犠牲じゃねぇか」
「馬鹿なことを言わねェでくだせェ。犠牲っていうのは、自分を可哀想だと思っている奴が言うもんです。俺は進んで影になるんだ」

 総悟がちらりと視線を向ければ、ちょうど下駄の修理を終えた土方が、頭を下げてお礼を繰り返す女を背に歩きだすところだった。
 それを見て総悟は串を皿に放り投げてすくっと立つ。黒い隊服が影という言葉を妙に連想させて嫌な気持ちが拭えない。
 背を向け視線を土方に向けたまま、総悟が言った。

「旦那。ちょっと依頼を受けてくれやせん? もうちょっとであいつらの尻尾を出しそうなんですけど、俺がべったりしてるからなかなか奴ら出てくれなくて」
「土方を囮にすればいいじゃん」
「バレたら意味がねェんでさァ」

 椅子の上に団子の代金にしては有り余る金を出して、振り向いた沖田は子供らしい無邪気な顔で笑った。




 すっかりと夜に包まれた中、黒髪で隊服を纏い咥え煙草で歩く土方を見つけ、沖田が周囲に居ないことを確認すると攘夷たちはそれを襲った。
 常々土方のすぐ後ろを沖田が歩いていたから、土方の背後に沖田の姿がなければ沖田が居ないと決めつけたのがいけなかった。
 総悟は、殺気立つ攘夷たちの後ろに居た。
 暗闇に紛らせていた殺気を放ち攘夷たちが気付いて後ろを振り返った時にはもう遅かった。

 悲鳴や怒号が飛び交い、しばらくして雲間から月が出る頃になると、淡い光が地獄絵図を映しだす。
 細い路地裏を埋め尽くすように地面に倒れる死体の数。壁に飛散する赤い血。
 その中で刀を携え沖田は立っている。頬についた返り血がたらりと流れ、生温かくて不快だった。

 沖田が見る先で、足を切られ動けなくなった攘夷浪士がひとり、恐怖に顔を青ざめて必死に逃げようと手だけで這っている。
 最早動くことのない攘夷たちで埋め尽くされた道の先で、煙草を携帯灰皿に捨て黒いカツラを毟り取った銀時は沖田を見ていた。
 土方を演じ攘夷を誘き出すという依頼を終えた銀時は、手も口もださずに沖田が行う”排除"をその瞳に映していたが、目の前で地面を必死に這う最後の生き残りは沖田の圧倒的な力の前に最早戦意はない。もうコイツが真選組の脅威になることはないだろうと銀時は思う。

「旦那ァ」

 屍の中を歩きながら総悟が、見透かしたように先手を打つ。

「邪魔しねェでくだせェよ。コイツを助けようとするならアンタも俺の敵だ」

 そう言って俯けていた顔を上げた沖田の顔は、笑っていた。開いた瞳孔に昼間見た透き通る青空はない。まるで何もかもを飲み込む暗い深淵を映したような瞳は、ひどく殺戮を楽しんでいた。犠牲という言葉が銀時の頭から離れない。しかしその身を進んで差しだしたのは総悟自身である。これが沖田なりの守り方なのだ。

 ガッ。
 総悟が問答無用で男の首に刀を突き立てた。辺りがシンっと静まり返った頃、銀時は静かに問いかける。

「影がどうなるか、知ってるか?」
「…知ってやすよ」

 顔を俯けた総悟がどんな顔をしているのかは銀時には分からない。
 しかし先ほどとは打って変わって抑揚のない声が、坂田には泣いているようにも聞こえた。




 屯所に連絡を入れてそれの後片付けをするのに、ゆうに1日の要した。
 現状を片づけた頃には既に空は夕焼け色で、夜中に連絡を受け空が白澄み出した頃から作業に追われた土方は疲労困憊といっていい。

「総悟、お前やりすぎだ。ちっとは考えろ」
「後処理をするのを考えたら、人は殺せやせんぜ」
「何も殺さなくてもいい。お前なら気絶に留めることも出来るだろ」
「…余計なこと喋られたら意味がねェんで」
「…? なんか言ったか?」
「いーえ」

 ぶつくさと文句を垂れる土方の後ろを歩きながら、同じく徹夜に近い総悟はくあっと欠伸を掻いた。
 地面には夕日に照らされて出来た影が長く伸びていて、総悟はそれを何気なく眺める。

 土方と自分の影がある。影になってもやはりまだ、土方には近づけない。
 総悟は手を伸ばして土方の影に触れた。実際には触れてもいないし背を向けている土方には沖田がそんなことをしているなんて気がつきもしないだろう。
 それでもよかった。
 ちょいちょい、ちょいちょいと総悟は何度か手を伸ばして土方の影に触れる。地面に色濃く落とされた影では土方と沖田の影はしっかりと触れあって、総悟はふっと口元を緩めた。

「総悟」

 すると突然土方が立ち止まり、名前を呼ばれて総悟はびっくりした猫のように跳び上がる。
 気に食わなさそうな顔をしてこっちを向いた土方は、目を瞠った総悟の首根っこを掴むと引き摺るようにして総悟を隣に立たせる。
 きょとんとした顔で土方を見やると、紫煙をふっと空に漂わせて土方が頭を掻いてどこか照れくさそうに言う。

「前々から言おうと思ってたんだけど、俺の近くに居るなら後ろじゃなくて隣に居やがれ」
「…土方さん、なんか顔が赤いですぜィ」
「ばっ! ンなことねぇよ!!」

 焦った土方を見て総悟はくすくすと笑う。嗚呼、敵わないなぁと思う。守りたいと思う。
 土方の隣を歩きながら、くすぐったい気持ちと暗い気持ちが胸の中でごちゃ混ぜになって、総悟はうっすらと口元に笑みを浮かべた。頭の隅で銀時が言った「影がどうなるか知っているか?」という言葉を思い出す。

 辺りは薄闇に包まれ、やがて太陽は沈み、夜がくる。闇は全てを覆い隠して静かに影を飲み込む。
 やがて影は、消える。影はいつまでも存在し続けられない。

(それでも俺は影になる)

 例えいつかこの身が消えるとしても、犠牲なんて言葉で片づけられっこない。俺は堂々と役目を全うして真正面から受け入れて、消滅する。

 そう割り切っているのに、土方が不意に持ち上げた手で優しくぽんぽんっと頭を撫でるから、その温かさが身に染みてひとりで立とうとしているのにどうしようもなく縋りつきたくなって、本当に困って、泣きごとを言わないように唇をギュッと噛み締めた。
 腕を組み壁に凭れかかった坂田は沖田の姿をじっと見つめて、遣り切れなさに頭を掻き毟る。

 視線の先の子どもは、あまりにも不器用すぎた。