変わらない日々
いつもだったら了承などせず行くぞと一蹴りでお終いなのだが、例外となりつい頷いて見回りの最中にも関わらず茶店で休憩を取っているのはひっくるめて言えば、今日が特別の日だからだ。
空は晴天よろしく、見事な五月晴れだ。目の前の家にはこの日の為に掲げられたこいのぼりが三匹、優雅に泳いで初夏の風を一身に受けている。随分と大振りなこいのぼりだ、傍目から見て、望まれて生まれてきたこどもなのは違いなかった。
こどもの日なのだ。加えて言うなら土方の誕生日でもある。行事に疎い土方にとってはどちらも意識して気に止めたことはないが、それでも近藤にとっては違うらしく、今日は早目に切り上げて誕生日会という名目の宴会が開かれるらしい。それよりも溜まったデスクワークを片付けたい土方である。自分を祝っての席だから主役としては嬉しくないと言えば嘘になるが、皆が宴会で羽目を外して明日使い物にならないのは勘弁願いたい。今からその惨状を思い浮かべて土方は複雑な心境だった。ひとつ溜息をつけば、何か揶揄ってくると思った隣からの反応は何もない。
総悟はずっとそれを眺めていた。せっかくだから柏餅でも食べましょうよ、との誘いだったはずなのに、頼んだ柏餅には手を付けずに泳ぐこいのぼりばかり眺めている。風を受けて亜麻色の髪を揺らし目を細める様は気持ち良さそうで、どこか機嫌がいいようにも思えた。疑わしそうにじっと見ているとさすがに気になったのか、横目でちらりとこっちを見てまた視線を戻す。
「なんでィ人のことジロジロ見やがってこのエロ方ー。そんなに夜が待てませんか。どこでも盛ってんじゃねェよ」
「ぶッ!」
「わ、また盛大に茶吹きましたね。汚ェ」
「テメェ、何公衆の場で言ってやがるッ! ってかお前らもこっち見るんじゃねェよ! 逮捕っすぞ」
「まァまァはしゃいじゃって。そんなに誕生日なのが嬉しいですかィ」
「誰のせいだ、誰のォォォ」
ギョッと立ち止まった野次馬たちを蹴散らし、土方は血走った目を向ける。悠々とそれを受け流し、沖田はまたこいのぼりに目を向けた。
いつもなら土方をからかいイラつかせ、願わくばストレスで死んでくれないだろうかと虎視眈々目を光らせてそのことに関しては余念がない沖田である。喧嘩の火種を起こしておいて早々に離脱するなど沖田らしくない。
普段と様子が違うから、土方の怒気は逸れてしまった。まったくもって総悟らしくない。静かだ。居心地悪そうにまた椅子へと腰を下ろすと、微かに沖田が口元を緩めた。
「やっぱこどもの日と土方さんって似合わねーですね。ネタにしかなんねェ」
「うるせぇ」
「でも昔俺ァ、一緒っていうのがどうも気に食わなかったんでさァ」
「…………」
沖田はひとつ、放置されていた柏餅を手にとって食べた。
総悟の悔恨は根深い。それを知っていてどうにも出来ないから放置している土方であるが、こう直接言われると思うものがあるというものだ。土方は気が付かれない程度に眉を顰める。
「向こうに居たときはどっちかっていうと貧しい家でしたから、何か良い事があるのは行事とかイベント事とかの時だけだったんですよ。まァ不満があったわけじゃないですけどね。でも美味しいものが食べれて姉上との祝いごとは何よりも最高の日だったんでさァ」
勿論こどもの日だって例外じゃなかった。
その先のことは言わずとも知れた。きっと変わらないその日常も、土方が現れたことで沖田にとっては嬉しくない変化があったのだ。弁解は意味を持たないから当に諦めた、過去をいくら今取り繕ったって美化されるものでもない。それ以前に、取り繕い方さえ土方にはわからない。子供心に沖田の言い分もあるだろうが、憎まれたってどうしようもないことなのだ。土方はただ近藤に迎えられ身を置いて暮らしただけだ。近藤を総悟から奪ったつもりも、ミツバを沖田から取ったつもりも土方には毛頭ないのだから。
新手の嫌がらせだろうか。
こうして「アンタが来たから俺がこんな目に会ったんだ」って言われて、脳裏にインプットさせる。いつか土方が罪の意識を覚えるようにと。もし沖田がそこまで計算していたなら、沖田の恨みは土方が思っているよりも相当深くて性質が悪い。そこまでだったかと、土方は少し痛む。どうしたらお前は俺を受け入れてくれるの。無理な話かもしれないが緩めることが出来るかもしれない、けれどその方法を土方は聞くことさえ出来ないままもう何年も過ぎた。壊れたようにこいのぼりの滑車がカタカタと音を立てる。
「けど、なんてゆーか、やっとアンタのこと祝えそうな気がするんでさァ」
ぼそりと呟かれた言葉に土方が視線を向けると、沖田は小さく笑った。
「だって俺もう子どもじゃねーし」
だから今日はアンタだけの日なんだ。
青いふたつの目が土方をじっと見る。おめでとうございますと初めて祝い事を言われた。
何故か土方の頭に武州の頃の思い出が鮮やかに蘇った。柏餅を取り合いして今日はこどもの日だろと突っ掛かって取っ組み合いをした子ども。総悟と重なる。ああいつの間にこんなに大きくなった。嬉しいはずなのに急に物寂しくかんじた。
「なに殊勝なこと言ってんだよ」
呟いた言葉は自分でも驚くぐらい静かだった。風車を持った子どもが茶屋の前をじゃれあいながら駆けてゆく。喫していた煙草を持ち替えて手を伸ばしてぐちゃぐちゃに亜麻色の頭を掻き混ぜた。乱暴な手振りにわっと小さく声を上げて総悟はすぐに手を払う。
「何しやがんでィ」
「お前はまだまだ子どもなんだよ。つまんねーこと言うな」
実は今日の宴会は俺の誕生日だけじゃなくてこどもの日の祝いも兼ねている。知っているのは直接嬉しそうに提案してきた近藤さんだけだ。真選組の一番隊長ともあろう者がこどもの日だと祝杯を受けるのは総悟自身も面子が立たないし屈辱的なことだろう。知っている、だって俺たちが総悟をそんなとこに置いたのだ。
それでも、そうだとしても俺や近藤さんは祝ってやりたかった。俺たちにとっては武州にいた頃となんも変わらない、今も続く俺たちの祝い事。
「俺はお前と同じ日に祝ってもらえて嬉しいんだから」
言えばきょとんとして、なんか言ってらーと横を向くその口元が緩く上に上がっていて俺の方が笑ってしまった。今日は俺とお前の日。