まどろみにまどろみ
カクリカクリと首を傾けると、その度に髪が重力に沿って右へ左へと流れる。
髪を切ってスッキリしたが少し切りすぎただろうか。
沖田は鏡で確認するが、特に気になるほど髪が短くなったわけでもなかった。
うーんと唸って、またカクリと首を傾げる。
なんたって頭が軽い。ふわふわしている。けれどその理由が沖田にはわからない。
今回は割引券が偶然手に入ったからいつもの床屋ではなく美容院に行ったのはつい二週間ほど前のことだ。けれど髪を切っただけで、特別髪に何かを施したというわけでもない。
手のひらで自分の頭を撫でてみるが、髪質なんて殊更気にしたことがないから違いさえもわからなかった。
こうも軽いと心配になる。
まるで頭が空になったようだと不安になる。
すっからかんという言葉がふいに浮かんでぞっとする。
中に何も詰め込まれていない頭。脳みそが小さくなって本当に俺は馬鹿になってしまったのだろうかと、沖田は心配する。
(それか禿げたか)
ぽつりと一番当たってほしくない考えが頭に浮かんで、咄嗟に沖田は床を見回す。
けれど畳の上に色素の薄い髪は見当たらなかった。ただでさえ見付けにくい髪だから当たり前だ。
頭を振れば髪が抜け落ちるかもしれない。そうすれば抜けた毛が辺りに散らばるはずだ。もしそうなったとしたら俺の頭は禿げ始めているんだ。
ふと思い立ち、沖田は閃いた考え通りに行動を実行した。
部屋の中でひとり頭をぶんぶんと振る。
「…何やってんの、お前」
ふと声がした。
振り向けば呆れた顔の土方が部屋の前に立ってこっちを見ていた。
偶然通りかかったのだろう、恥ずかしいところを見られてしまったものだと沖田は顔に出さずにそう思う。
土方は沖田を見やり少しばかり眉を寄せた。ずかずかと部屋の中に入ってくると沖田の前でどかりと胡坐を組む。そして大きな手を伸ばすと、その手でボサボサになった沖田の髪を丁寧に手櫛で梳き始めた。
突然のことに沖田は呆然とする。見上げる先で土方が、ん?と不思議そうに顔を傾けた。
「お前、シャンプー変えた?」
「シャンプーですかィ?」
「そう。なんか柔らかくなった」
沖田の分からなかった答えを土方はすらりと口から吐き出した。
ひとつ瞬いて、そういえばと思い出す。
勤務中にお菓子を買ったら商店街のくじ引きを貰って、試しに引いてみれば5等賞のシャンプーが当たったのだ。本当は洗剤が当たったらしいが、沖田を見て洗剤よりシャンプーのほうが嬉しいわよねと恰幅の良いおばちゃんに押しきられたことを思い出す。
沖田が若いからか、髪が傍目から見て景品を変えるほどひどい有り様だったのかは分からない。
俺ァ洗剤よりもシャンプーよりも食える物のほうがよかった。内心で呟き、しかし折角の儲けモン。使わなければ勿体ないと沖田は今共同とは違うシャンプーを使っている。
頭が軽いのはそのせいなのか。シャンプーひとつで?
相変わらず髪を梳く土方を沖田はきょとんと見上げる。
「そんなに違いやすかィ?」
「ああ。すっげー柔らかくてサラサラしてるぜ。オマケに匂いもしやがる」
「わっ」
土方は撫でていた手を後ろ頭に添えると、そのまま丸い頭をぐいっと引き寄せた。
沖田は土方の首元に抱き込まれる形になって倒れこむ。
収まった頭に鼻を寄せてすんと匂いを嗅ぐと、花のにおいかと土方はひとり呟いた。厭きもせずにまた髪を梳き始める。
沖田はしばらく土方を見上げていたが、やがてそれも飽きてもぞもぞと身じろぎをすると居心地のいい場所を探して落ち着いた。体重を預けるように凭れ掛かると頭上で土方が笑う気配がした。
「今日は珍しく機嫌が良いんですねィ。春だから浮かれてんでしょ」
「俺はお前みたいに年中頭が春じゃねえよ」
「髪ばっか触って厭きやせんか?」
「不思議とな」
似合わぬ優しい手付きで髪を梳きながら、土方が言う。
「お前のことは全然厭きねえ」
吐かれた言葉に沖田の思考は一瞬フリーズする。
恥ずかしい人だと呟くと、耳が赤いと土方が笑って指摘する。
うるせぇェと黙らせて沖田が息を吸い込むと、嗅ぎなれた煙草のにおいがした。アンタのにおいだと言うと見上げた先で土方が困ったように笑う。
そんなこと言うなとぶっきらぼうに言うものだから沖田はにやりと嫌に笑う。
「そんなに俺が魅力的ですかィ」
「ばーか」
「俺ァアンタが厭きるほどお安く出来てやせんぜ」
「そうだな。お前は高すぎる」
だから厭きないのかもしれない。
笑って言って近寄って、顔が近寄ってきたから沖田は何も言わず目を閉じた。
この匂い嫌いじゃねえと合間に吐かれた言葉に、じゃああのシャンプーを使い続けようかと思う辺り俺はお安く出来ているのかもしれない。
自然にそう思って、俺も沸いてんなァと沖田は降り注ぐ口付けを受け入れる。
春の鳥が鳴く声がした。